その正義は私には重すぎる

表現や言論の自由は無制限に認められるべきだ。

人間が健康に生きるためには衣食住と同じぐらい精神の自由が必要だ。

こんな事を言っている過激派ですが、まあ昨今の日本の表現規制については、このまま進んでいくんだろうな感が強い。反対派がいくら騒いでもたぶん避けられない。

そもそも、すでに表現規制は進んでいて、かつては児童ポルノ法での児童ポルノの単純所持規制にも反対していたのだ、反対派は。

しかし、今は児童ポルノは「明確な被害者がいる」という論点で児童ポルノの単純所持規制は反対派も容認してしまっているし、この部分については仕方ないと防衛線を下げてる感が強い。

このようにして二次元の表現規制についても、どんどん進んでいくのだろう。

なぜなら、ネットが普及していって一般に広がっていってからというもの、官憲や出版社の規制によらず、不道徳はやり玉に挙げられるし、インモラルな言葉は炎上するようになっている。

みんな正義や道徳を掲げたい人間が多いのだから、どんどん不道徳は規制していく流れになるのは避けられまい。

正直、いろいろ諦めている。

突然だが、私は淫夢ネタが大好きである。ホモビを見て笑っている。

しかし、これは実際に被害者のいるネタだ。男優さんだってにんげんなのだから、これを笑いものにしたり加工したりして遊んでいい筈がない。よくない、不道徳だ。

それはわかっているけど、やめられるほどいい人生を送っているわけでもない。

私はゆっくり虐待を嗜んでいる。

実質のない饅頭で被害者は存在しないかもしれないが、やはりこれだって悪趣味な嗜好だし、見たら不快感や嫌悪感を覚える人も多いだろう。

しかし、それをやめられるほど世の中に満足しているわけでもない。

そう、人間は良いものだけを摂取して生きられるのは、ごくわずかな幸福で豊かな人間だけに与えられた特権なのだ。

今の不道徳やアンモラルを糾弾して正義を振りかざしている人は、低俗だったりインモラルな楽しみを抜きにして生きられるほど幸福な人生を歩んでいるのだろうか?

私はそうではないと思う。

たぶん、大部分の人はそれに無自覚に正義を振りかざす快感に酔っているのではないかと思う。

しかし、正義によって不道徳なものやインモラルなものや低俗だったりするものを排除していって、肝心の自分を維持できるのだろうか?

自分の人生を維持していくための必要悪すら、正義を振りかざし続けていく間に潰していっている気がしてならない。

表現規制やポリティクスコネクトなどの騒ぎは、私は敵というよりも「人間が人間であるために自壊に向かっているのではないか?」という恐れを感じるようになった。

人間、先進国、日本は、まだ表現規制やポリコネを無自覚に振りかざせるほど豊かで幸せな社会を築けているのだろうか? 少なくとも今の日本社会や構成している人々は、それほど強靭ではないと思っている。

他人のためではなく、自分のために、その振りかざそうとしている正義のこん棒は重た過ぎはしないか? と、最近特に思うようになっている。

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