表現や言論の自由は自分で守るしかない

表現の自由についてはネットの内外で活動家がいて、議論が様々だが、基本的に信用していない。

昔、表現の自由についての活動家たちは、児童ポルノの単純所持での処罰に反対していたが、今では完全に後退していて「児童ポルノは実際に被害者がいるから仕方がない」という論調が一般的になっている。

一見、それは世間の常識に照らし合わせて考えても当然のような気がするが、いったい「どこからが被害者が存在するのか?」という事を考えると、いくらでも退潮のできる話になってしまうのだ。

二次元のポルノだって、精神的に被害を負ったと言い出す人は必ず出るし、事実Twitterなどではすでに出ている。

要するに、表現の自由は今後も撤退戦になるのは確かだろうし、活動家たちの支援はアテにならないという事だ。

せめて活動家の人たちが「児童ポルノの単純所持に逮捕された人の名誉回復運動」や「見せしめとしか思えない報道への批判」でもしてくれるなら別だが、そういう地味な活動はどうせしてくれないのも知っている。

かといって出版業界は、というと、これがもっと酷い。

軽減税率のために『有害図書』の検閲制度を取り入れようとしている始末だ、もう何をかいわんやである。期待するだけ無駄だろう。

もう表現の自由については、個人個人がゲリラ的に逮捕覚悟してからでないとやれないような時代になるのかもしれない。

とりあえず、個々でメディアを持っていないと、好きな事を言えなくなるのは必然的未来だろう。

新しくサーバーを借りてブログを始めた理由も、Twitterの凍結システムがキツくなってきているので、言いたいことが言えなくなってきているという理由もある。

もちろん、このエックスサーバーだってレンタルサーバーである以上、司直の手は及んでいるだろうが、それでも出版やTwitterよりは今のところ自由だ。

このように、いろいろな所にいろいろな段階でメディアを持っておいてリスク分散を図っていかねばならないのだろう。

そのうち、表面的なブログと隠れブログを作るかもしれない。

マストドンとかも利用するかもしれない。

国も出版も団体もアテにはならない。

今は資産だけでなく思想や思考もリスク分散が必要になっていると思う。

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