三国志 戦争篇 第十八章 陸抗と羊祜の戦い 三国志最後の華

陸抗と羊祜の戦い

三国志最後の華

265年十二月 魏の禅譲を受け、司馬炎皇帝に即位。晋の成立。

272年 西陵の歩闡が晋に投降

273年 陸抗と羊祜の戦い

274年 三月 陸抗病死

晋と呉の対峙

265年十二月、蜀に続いて魏が滅亡する。

魏の最後の皇帝曹奐は司馬炎に禅譲する形で、帝位から退いたのであった。

かくして魏と蜀の旧領は司馬氏の晋が支配するところとなり、残るは呉の孫氏のみとなる。

270年、呉は最前線の荊州の総指揮に陸抗を任命する。

陸抗は、かつて夷陵において劉備を破った名将陸遜の遺児であり、その才幹はもしかすると陸遜以上のものがあったかもしれない。

当時、呉の皇帝は孫晧。

三国志の中で最悪の皇帝とされる彼の下で、呉は国力を疲弊させていた。

これをほぼ一人で支えていたのが陸抗である。

荊州には羊祜という武将が司令官として就任し、盛んに呉を圧迫しており、これに対峙できるのは陸抗をおいて他になかったのである。

陸抗と羊祜

272年、国境の重要地点である西陵という城において、この城の守備をしていた歩闡という人物が晋に寝返るという事件が起きる。

これに対して、ただちに陸抗は西陵奪還に出撃。

羊祜もまた西陵救援に向かう。

先に西陵についたのは陸抗であった。

西陵城を設計した陸抗は、この城の守備力を熟知しており、強攻を避ける。

彼は二重の陣営を築き、内側の陣営で西陵城を包囲し、外側の陣営で晋の救援部隊に備えたのであった。

これに対して羊祜は、陸抗の備えが堅いとみるや、陽動作戦として西陵ではなく江陵を攻撃する。

だが、陸抗はこれを陽動作戦と見抜いて動かず、西陵城の包囲を続けたのであった。

陸抗が動かないとみた羊祜は、陽動作戦から切り替えて、本格的に江陵を攻撃する。

これに対し陸抗は、江陵の周囲堰堤を築かせ自ら江陵を水没させることで、羊祜が江陵を攻められないようにしてしまう。

だが、羊祜は屈せず、水路を利用して輸送作戦を計画する。

これを察知した陸抗は、築いた堰堤を破壊し、この作戦を封じたのである。

この戦いは陸抗と羊祜の読み合いによって戦況が二転三転する、名勝負というに相応しい戦いであった。

戦況は読み合いに一歩勝る陸抗有利のまま展開し、ついに数ヶ月におよぶ対峙の末、晋軍は撤退。

陸抗は西陵城を陥とし歩闡を斬ったのである。

この後、晋は陸抗の力を恐れ、呉に対して持久戦の構えをとる。

そして呉の人民に対して、保護政策を喧伝するのであった。

この効果は絶大で、孫晧の暴虐な政治に苦しむ呉の民たちは、次々と晋へ逃亡していった。

これに対して陸抗も指揮権の範囲では善政を行い、民たちをひきつける。

荊州における陸抗と羊祜の対峙は、両者が競って善政に勤めたため、荊州国境では余った食料が放置されていたも誰も盗まず、牛や馬が敵国に紛れ込んでも返還されるという、戦時の国境とは思えない状況が生まれた。

こうした対峙を続けた両者の間にはいつしか友情にも似たものが芽生える。病弱な陸抗が病に伏せたときに、羊祜は陸抗に薬を送り、陸抗はそれを毒味もせずに飲み。

返礼として陸抗は羊祜に酒を送り、羊祜も毒味なしにそれを飲んだ。

こうした両者の友誼に疑いの目を向ける者があったが、互いを好敵手と認めつつも、両者とも常に職務に忠実であり敵を破るのに最善を尽くし、そうした疑いの目を退けたのである。

まさに三国志の最後を飾る名勝負がここに繰り広げられたのであった。

陸抗VS羊祜

心理戦

直接的に打撃を与えるのではなく、敵国や将兵に対して戦争継続の意欲や士気を減退させる手段をもって敵に対する戦略あるいは戦術。
軍隊が基本的に良きにつけ悪しきにつけ国に依存する存在である以上、軍事が国内事情に左右されるのは当然である。

そうした観点から見れば、羊祜と陸抗の対峙において、終始、陸抗が主導権を取ることができたのは不思議というほかない。
陸抗が羊祜と対峙していた当時、呉の国内事情は最悪であると言えた。

呉は孫晧を帝に迎えるのだが、この孫晧は後漢から三国時代を通じて類を見ないほどの暴君であった。

宮廷内や後宮において虐殺は日常のように行なわれ、孫晧は孫権全盛期にもなかったような宮殿の造営を行い国庫を傾ける。

さらに気まぐれに遷都を行い内政を混乱させるなど、およそ国家を傾けるあらゆる行為をやってのけていたとさえ言える人物であった。
こうした呉に愛想を尽かす人物は多く、この対峙のきっかけとなった西陵城の城主であった歩闡も同様であった。
呉の最前線とも言うべき西陵城の城主歩闡の離反は、呉の防衛線の破綻に直結する。

そこで陸抗が展開した奔放とも言える見事な作戦は、本文にも書いた。
ここで陸抗に翻弄された羊祜が力押しに出ずに、呉に対して心理戦を強いたのは誠に慧眼であったと言えるだろう。
人徳をもって敵に対して、暴政に悩む呉の人民を篭絡する羊祜の作戦に対して、陸抗は同様の作戦でこれに対峙する。

両者の対峙は美談に溢れており、当時としては珍しいぐらいの美しい名勝負となる。
しかし、これは羊祜と陸抗の対峙においては互角であったが、晋と呉の対峙としては一方的に晋に利するものであったろう。

前線においては陸抗の統治下で善政が敷かれるが、呉国内は相変わらずの状態である。

さらに言えば羊祜と正々堂々と対峙してしまったがために、陸抗は孫晧から晋と通じているとの疑いを受けて更迭の危機すら受ける。

いや、もし陸抗が病死していなかったら、間違いなく陸抗は孫晧によって更迭されていたような状況であった。
そして、晋に対して陸抗がほとんど単独で対抗しているような状況を見せれば見せるほど、病弱な陸抗が死んだ後の喪失感は大きくなる。

羊祜がしかけた心理戦は、そこまでの意図を含んでいたのは間違いない。

事実、羊祜は晋の宮廷に対して「陸抗が死んだ後こそ、呉侵攻の好機」と再三にわたって上奏している。
これに対して、陸抗が打つ手は事実上なかった。

打つ手があるとすれば、すなわちクーデターによって孫晧を除くぐらいのものであったろう。

その節義においても父陸遜以上の器を持っていたと思われる陸抗がそんな手を打てる筈もない。
西陵城の戦いでは一方的に翻弄された羊祜であったが、この対峙では正確に陸抗の弱点を突いていたのである。

その意味では単純で美談ではなく、えげつない戦略であったとも言える。

陸抗(字・幼節)

 陸遜は陸抗の父なり

父、陸遜は孫権に叛意を疑われ更迭され憤死している。

そして陸抗自身は、恐怖政治と奢侈に溺れる暴君孫晧に仕えている。
呉に恨みこそあれ、恩などないように思える陸抗であるが、彼は病弱の身ながら誰よりも呉のために働き、政治軍事のあらゆる面で呉を支え続けている。
西陵の戦いに見られるように、陸抗の作戦能力の高さは、状況を掌握する情報収集能力と分析力にある。

その意味では陸遜と彼の能力は似通っており、まさに名将陸遜の子であると言えた。
名将の子が名将であることは稀であるが、陸抗の才幹は陸遜以上であった。

彼の軍事能力には奔放とも言える構想力があり、西陵の戦いでは、野戦築城を行い二重包囲作戦を展開。

羊祜の陽動作戦から江陵を守るために、江陵城を水没させ、これを敵が利用して補給を行なおうとすると、決壊させてその計画を頓挫させる。

とにかく陸抗の作戦行動は、大胆そのものである。
間違いなく陸抗が呉が生み出した最強最後の名将であった。

晋は彼の能力を恐れ、陸抗存命時にはついに大規模な呉侵攻作戦を行なうことが出来なかった。
文字通り呉の柱石であった人物であるが、その彼は羊祜と対峙した敵味方を超えた友情を育んだため、晋に内通していると孫晧に疑われる。

このような親子2代に渡る仕打ちにあってさえ、陸抗は病死するまで呉を守り続ける。

おそらく呉土着の名家陸氏にとって、孫家の事情とは別に祖国として呉を守り続けようとしたのであろう。

孫家の王朝としての呉ではなく、彼の生まれ育った故郷の呉を……。

羊祜(字・叔子)

221-278

呉の陸抗の好敵手として晋呉の最前線で対峙し、幾多の美談を生み出した晋の武将。

陸抗に比べると明らかに軍事的才能に劣るのは否めない羊祜であるが、それでも彼は陸抗の好敵手と呼ぶに相応しい人物である。

生来、美男子で博学で、話術に優れた彼は宮廷でも人気があったようだ。

性格も闊達であり、兵や民たちに慕われた。

彼は西陵の戦いで完全に陸抗に手玉に取られるが、これは相手が悪かったとしか言いようがない。

西陵城の戦いで羊祜は、陸抗に対して江陵を攻めて陽動作戦を行なってみたり、江陵が水没したのを利用して水路での軍需物資を輸送しようとしたりと、実に臨機応変な作戦展開を見せている。

むしろ、そういった羊祜の数々の作戦を看破して、全て利用しきってしまう陸抗のほうが異常な才能であるとしか言いようがない。

羊祜の面白いところは、ここで陸抗に対して本気で尊敬の念を抱いてしまうのである。

羊祜と陸抗の対峙は、戦史でも珍しいようなフェアプレー精神に乗っ取ったものであった。

こうした状況に持ち込んだのは、間違いなく羊祜の性格からであった。

晋呉の荊州戦線で信義と徳の争いを仕掛けたのは羊祜であり、これが孫晧の暴政に苦しく呉の兵や民に効果的であると看破したのは慧眼というしかない。

力で敗れた羊祜は、呉に対して心で攻める作戦をとったのである。

ともあれ羊祜と陸抗の戦いは、三国志の中でも特異な様相を見せた戦いであり、三国時代の最後を彩るために奇跡的に咲いた華と思えてならない。

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