三国志 戦争篇 第十二章 漢中攻防戦 曹操と劉備の最終決戦

第十二章 漢中攻防戦

曹操と劉備の最終決戦

曹操VS劉備

211年 曹操、馬超・韓遂を破り関中併合

214年 劉備、益州を奪取

217年 曹操、漢中を併合。

劉備、漢中へ進撃開始

219年 劉備、曹操を破り漢中を占拠

曹操の西部併合

赤壁の敗戦後、ひとまず南下をあきらめた曹操は、西へと目を向ける。

2117月、曹操は西の関中と呼ばれる地域へ出兵する。

韓遂と馬超を中心として関中の豪族たちは曹操軍に対して抵抗する。

異民族との交流が盛んなこの地域の兵たちは、騎兵として優秀であり、曹操軍は苦戦する。

だが、曹操は巧みな計略によって関中軍の中心人物である韓遂と馬超を離間し、関中の豪族たちを四分五裂させる。

こうして関中を平定した曹操であったが、曹操が西へ動いた事によって、同じ西部の漢中と益州が動揺。

特に益州の劉璋は、曹操の侵略を恐れ、荊州の劉備に救援を求めるのであった。

211年、劉璋の救援に応じる形で益州に入った劉備は、一転して劉璋を裏切り益州に進撃。

そして、214年に成都を落として益州を我が物とするのである。

劉備が益州を得たことで、曹操は再び西部に目を向ける。

2153月、曹操は益州の入口とも言うべき漢中へ侵攻を開始する。

そして7月には張魯の降伏を受け曹操は漢中を併合する。

曹操の漢中併合は劉備にとって大きな脅威であった。

劉備は孫権と荊州の領有問題で揉めていたが、これを大幅に譲歩して決着させる。

そして217年、曹操が濡須口より孫権を攻撃した機に乗じて漢中へ侵攻を開始するのであった。

217年、劉備軍は馬超を先鋒として漢中に進出する。

これを漢中防備を任されていた夏侯淵が迎え撃つ。

これに対して曹操は交戦中であった孫権と講和し、曹洪を急派して、漢中を救援させたのである。

218年、下弁において馬超と曹洪の軍が激突し、曹洪は馬超軍を打ち破る。

しかし、劉備本軍は陽平関に入り、漢中進撃を続ける。

これに対し孫権と和議した曹操は、自ら漢中に出陣するのであった。

劉備は決して戦下手な人物ではない。

むしろ当時は戦上手で知られていたほどだが、ただ一人曹操に対しては、常に敗北を続けた。

それだけにこの戦いには期するものがあったろう。

219年春、劉備は陽平関を南下し定軍山に要塞を築き駐屯する。

定軍山は漢中の西北に位置し、漢中と指呼の距離にある天然の要害である。

まさに天王山というべき地である。この地を抑えた劉備は、曹操の来援が到着する前に夏侯淵を攻撃し、曹操の従兄弟であり軍の重鎮でもあった夏侯淵を斬った。

夏侯淵救援に間に合わなかった曹操は、定軍山を劉備から奪回すべく激しく攻め立てる。

だが、劉備は頑強に抵抗し、山腹の要塞から出ることなく曹操軍を攻めあぐねさせるのである。

約2ヶ月に渡る定軍山の攻防戦の末、曹操軍は許からという長大な行軍の果ての戦いといいこともあり完全に疲弊する。

赤壁の教訓が頭をよぎったか、219年5月、曹操は漢中より撤退を決断するのであった。

かくして劉備は漢中を併合する。益州の防備というだけでなく、長安への進撃路を確保したという意味で、戦略的にも大きな意義がある戦果でもあった。

また、劉備自身にとって長い間天敵として敗れ続けていた曹操を、堂々と正面から撃破した初めての戦いであり、当時の劉備は得意の絶頂にあったことは言うまでもない。

ここで劉備陣営は漢中より長安をうかがうとともに、荊州より関羽を北上させるのである。

第十二章 劉備対曹操

情報戦

敵軍の内情や状況を把握することは、あらゆる意味において戦略戦術を有利に導く要素である。

それは戦場においてばかりでなく、敵の性格や癖をも含む広い意味においても同様である。
劉備という人物が、陶謙、呂布、袁紹、劉表、孫権、劉璋といった、曹操の脅威を受けていた人物たちに常に重用され続けていたのは、実績から見れば実に不思議である。

劉備は曹操に対しては、ほとんど連戦連敗を続けたと言ってもよい。
しかし、それでも曹操の脅威を受けた陣営では、例外なく彼を重用し、頼りにされている。

それも劉備の人徳などによるものではなく、軍事的にである。
この謎を解く鍵は、ほとんど唯一正面から曹操と戦って勝利した漢中攻防戦にある。
この戦いにおいて、劉備は陸戦においては、ほとんど無敵を誇る曹操軍を見事に退けている。

この戦いにおいて、劉備がとった戦略は基本的に各個撃破であるが、そのために彼は、彼のみが看破していた曹操、というよりも曹操陣営の弱点を徹底して突いていたのが見えて面白い。
曹操軍の強さは、他陣営には見られないほど統一された指揮系統にある。

彼は兵力だけではなく戦略や作戦の立案をもスタッフとラインで明確に分業させて、曹操軍における全ての意思決定を曹操に集中させている。
これあっての彼が得意とする兵力の集中運用や機動戦であり、曹操軍の強さの源泉がここにあるのはすでに書いた。
しかし、それこそが曹操軍の弱点である事を見抜いて者がいた。

それが劉備である。

とにかく曹操軍は、兵力も指揮系統も曹操自身に集中されている。

前線指揮官たちは曹操の司令を、いかに忠実に遂行できるかが問われ、あまり個々としてはは出な活躍を求められていない。
実際、曹操が配下の武将に与える兵力や権限は、他陣営に比べて寡少である。

このため曹操陣営は曹操自ら出陣したときと、他の武将に指揮を任せた場合に格段の勝率に差が出る。
これを意図的に突いていたのが劉備であった。

彼は曹操自身にこそ敗れるが、その配下の武将たちに対しては曹洪、夏侯惇など、その配下の武将に対しては常勝といってもよい実績を持っているのである。
漢中攻防戦に当たって、劉備が徹底したのは、曹操自身が出陣する前に漢中防衛の指揮官夏侯淵を破る事であった。

劉備は曹操陣営に所属していた事もあり、驚くほど曹操軍の将たちの性格や戦術の癖を把握している。

この戦いにおいて劉備は夏侯淵が、速攻を好みしばしば突出する癖があるのを利用して、見事にこれを討っている。
この戦いで曹操と夏侯淵が連携して挟撃される危険を取り除いた劉備は、定軍山に陣を構えた。

持久戦に持ち込めば、曹操の遠征軍は疲労と伸びきった兵站に結局は撤退せざるを得なくなる。

事実、曹操は撤退する。
このように曹操軍の強さと弱点を当時、もっとも把握していたのが劉備であり。故に曹操と敵対する陣営は彼を重用し、頼りにしたのであった。

張魯(字・公祺)

生没年不詳

道教による宗教戦争

曹操軍の強さのひとつに太平道の残党を吸収し、それを直轄兵力とできたという点がある。

十字軍やイスラムの例を引くまでもなく、信仰を持った軍団の結束力と士気は強力であり、曹操にとってはまたとない戦力であったことは言うまでもない。
そのため非常に曹操は道教に対して保護政策とも言える態度をとっており、宗教史的に見ても儒教国家であった漢に対して、魏は道教の色彩の濃い国家となった。

張魯が率いた五斗米道と太平道は、ほとんど教義に違いはなく、曹操軍の太平道信者への配慮から曹操の漢中併合後、張魯は非常に優遇されている。
魏へ降伏後、張魯は魏の道教信者の指導者となり、魏において道教は国教化するのであった。

そして、張魯はその指導者として現代まで続く道教の系譜の始祖として名を残している。

その意味では、曹操と太平道の同盟から始まる後漢末期の戦いは、形を変えた宗教戦争であったという見方もできるだろう。
実際、徐州侵攻における曹操による大虐殺という事件がある。

これは当時、徐州において太平道とは別系統の于吉を教祖とする道教が広まっており、また仏教が根づき始めていたという事情があった。

そのため、この戦いはただの戦いではなく信仰を賭けた戦いになったために、あれほど凄惨な戦いになってしまったのである。
ちなみに五斗米道は正一教という名で残り、現在に至るまで信仰は続いている。

そういう観点からすると、後漢末期の動乱における、最終的な勝利者は張魯であったのかもしれない。

法正(字・孝直)

176~220年

法正と劉備

ある意味、目的のために手段を選ばず、善悪を考えないという点で法正ほどの人物は少ない。

劉備の益州攻略では、いち早く劉備に内通し、事実上、劉璋を追い落とす謀略を一手に引き受けている。

そして劉備が益州を奪取した後は、自分が恨みに思った人物を次々と私怨で処刑したりしているのだから、これほど性格の悪い人物も珍しい。
しかし、その謀略と戦略戦術の冴えは善悪に拘らないだけに本物であった。

益州攻略や漢中奪取という劉備陣営の華々しい戦果の影には必ず法正がいるといっても過言ではない。
劉備という人物は戦況の読みや撤退の見切りについては、当時でも有数の人物であった。

だが、その反面で攻勢に出る決断が極めて遅く、勝機を逸することも多い。

特に戦況が膠着状態に陥ると、それを打開する手を打つのが極めて遅く、夷陵の戦いではそこを陸遜に付け込まれている。

そう、そんな劉備を補佐するのに、善悪もなにも考えず目的のために手段を選ばない果断さを持った法正という軍師は、極めて適役であった。
とにかく法正が陣営にいた時期といなかった時期を比べると、劉備陣営の戦略的な行動力が明らかに違っているのがわかる。
夷陵の戦いの後、劉備は「法正がいればこのようなことにはならなかったろう」と述懐している。

夷陵の戦いにおいて自分の欠点全てを突かれて敗れた劉備は、その欠点を補う事の出来た法正という軍師の存在の重さを痛感したのであろう。

こと軍事において水魚の交わりという言葉は劉備と法正にこそ相応しい。

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