決戦シリーズ①
西陵の戦い
~三国志最後の名勝負~
OPナレーション
時は、晋・秦始八年(西暦272年)既に三国の内蜀は魏によって滅ぼされ、魏もまた司馬氏によって玉座を追われている。三国の内で残ったのは呉のみであり、いわゆる「三国志の時代」も、いよいよ終わりを迎えようとしていたそんな時代。
曹操、劉備は王朝の祖として伝説的存在となり、諸葛亮と司馬懿の戦いも歴史の中に沈んだ。姜維と鍾会・鄧艾たちですらとうに亡い。
もはや英雄豪傑、名将名軍師たちの時代は、遠い昔となってしまったのだろうか?
いや、この時代においてもなお戦いは止まず、将たちの系譜は続いている。
これは、『三国志』の最後を飾る二人の名将の戦いの記録である。
呉はすでに自ら滅亡の危機に瀕していた。
五代皇帝孫晧は最悪の君主であり、その奢侈の暴虐によって呉の人心は離れ、
呉・鳳皇元年(272年)秋8月。
そんな呉に愛想を尽かし、呉の要衝西陵城を預かる歩闡が篭城の軍備を整え晋へ投降を宣したのである。
西陵城が呉の益州と荊州を結ぶ重要な拠点であったというだけでない。歩闡の祖父は呉の丞相にまで上った歩隲であり、このような重臣までが離反したという事で、呉は動揺する事甚だしかった。
この事態にただちに軍を発して西陵に向かったのが呉の鎮軍大将軍陸抗である。
陸抗(字・幼節)。夷陵の戦いにおいて劉備と戦い、呉の柱石として孫権を支え続けた名将陸遜の息子である。
陸抗が選ばれたというよりも、もはや呉には人材が枯渇しており、この国は陸抗一人の手で支えていたというような状態であった。
(父子2代でこの地を戦場とする、か……)
西陵はかつて夷陵を呉が領するにあたって西陵と改められた地である。
西陵に着いた陸抗はただちに西陵城を包囲させ、攻撃……ではなく野戦築城を始めさせる。それは、城の周囲とさらに包囲軍の外周に二重に野戦陣地を築くという大規模な土木工事であった。
この陸抗壮大な戦略に羊祜は静観するのみであった。
雷譚「大将軍、どうして攻撃をかけませぬ! 我が軍の士気旺盛なうちに総攻撃をかければ、この程度の城は容易く陥とせます。このような工事で兵を疲弊させるなど、正気とは思えません」
陸抗「それは私に対する誹謗かね?」
雷譚「は?」
陸抗「この城の縄張りをしたのは私だ。地勢、設備、備蓄すべてを私が構築し、その堅固さは誰よりも知っているつもりだ。今、全軍をもって攻撃をかけても容易に落ちる城ではない。そうして梃子摺っているうちに、晋の来援が来ればどうなる? 我らは城と援軍に挟撃を受け甚だ厄介な事態に陥るだろう。それに備えての工事だ、」
しばらく工事のシーン
兵「いったい戦さにきたってのに、こんな工事ばっか、なんだってんだ」
兵「これじゃ手柄も立てらんねえ」
兵「まったくだ」
もういちど進言
雷譚「勇んで戦場に着いた将兵たちも、これでは意気が上がりません」
陸抗「ならば、一度だけ攻撃許可を許す、身をもって試してみるがよい」
攻城戦シーン
攻撃失敗
雷譚「面目ありません大将軍……」
陸抗「予想されていた事だ、これで将兵たちも納得するだろう」
晋軍陣営
部将「え? 江陵へ向かうと?」
羊祜「そうだ。このまま江陵は荊州南部の要衝、物資や交通の集積地点でもある。こちらに我が軍が向かっているとなれば、呉も動揺せざるをえまい。うまく江陵救援に向かってくれば、その隙に別働隊を派遣して西陵を救出する」
呉軍陣営
陸抗「陽動だ、放っておけ」
雷譚「し、しかし……」
陸抗「江陵は城壁も堅固で兵士も十分揃っているから心配する必要はない。たとえ江陵が落ちたとしても、あの城は周囲が平地で出撃の拠点とするには便利だが防御に適した城ではない。取り返すのは簡単だ」
雷譚「ですが江陵が落ちれば、荊州出身の将兵たちは心穏やかではいられないでしょう」
陸抗「ならば張咸(江陵督 江陵城の司令官)にこうするよう伝えろ。」
晋軍陣営
羊祜「呉軍は動かず……か。さすがは名将の遺児陸遜ということか。まあ、かまわん、こちらに来ないというのであれば、遠慮なく江陵を陥とさせていただこう」
伝令「車騎将軍閣下!! 大変です江陵城が!」
羊祜「なんだ? どうしたのだ」
側近たちだけで馬を走らせ江陵付近に向かう羊祜
江陵を中心として水没している。
羊祜「なんと……。これでは」
部将「これでは手も足も出ませんぞ」
陣営に戻って軍議を開く。
羊祜「陸抗とはずいぶん思い切った手をうってくる男だな。あれは我が軍が攻めにくくなるというよりも、むしろ江陵城の将兵が離反や逃亡できないようにしたのであろう」
部将「しかし、実際、これでは江陵は諦めざるをえませんな」
羊祜「江陵が水没しているというのなら、せいぜいこれを利用させてもらうまでだ」
部将「と申しますと」
羊祜「水量が増えたおかげで、当陽まで水運を利用できるようになったではないか。到着が遅れている兵糧や武具などを船を使って輸送させる事としよう。そして物資を集積できたら、一気に西陵を突く」
部将「はっ! ただちに用意させます」
羊祜「あ、それとだ。どうやら、相手はあの陸抗だ。我が意図に気付かれぬよう、こう宣伝させるのだ『我が軍は堰堤を切って、水を排して江陵へ進撃すると、な』」
呉軍
雷譚「お、おやめください!」
陸抗「どうした?」
雷譚「せっかく築いた堰堤を切らせるなど、晋軍の思うままではありませんか!」
陸抗「あれもまた詐術だ。羊祜という敵将は中々に詐術の多い人物だが、それに惑わされてやるわけにもいくまい。おそらくは水運を利用して輸送でも行なうつもりなのであろう」
雷譚「しかし、水が引けば晋軍が江陵を攻めるのも容易になりましょう」
陸抗「大丈夫だ。水が引いても城の周囲は泥濘となり、軍が動けるような地ではなくなる。私が羊祜の詐術に気付いたのも、そのためだ」
破壊される堰堤。
急速に水が引いて陸上に残される晋の輸送船を前に羊祜。
羊祜「……ことごとく我が意図を読まれるか」
部将「暴虐の王にも関らず、呉が健在なのは陸抗があるからだという世評は本当だった模様ですな」
羊祜「父の名に恥じぬ、というより陸遜以上かも知れぬな」
部将「」
羊祜「もはや知略で対するのは諦めるとしてよう。正直、私が敵うような人物ではないようだ、素直に知においては兜を脱いで、力で対する事としよう」
ナレーション
緒戦の読み合いに敗れた羊祜は、一転して国力と兵力で圧倒する作戦に切り替える。
それは三路より呉を攻撃するという壮大な作戦であった。
車騎将軍羊祜率いる晋本隊は江陵を包囲し、呉軍の兵站や進軍を阻害する。さらに蜀方面から巴東監軍徐胤が西から建平を攻撃すると同時に、長江に水軍を下らせて西陵を沿岸から救援させる。そして西陵には荊州刺史陽肇を向かわせて陸抗を攻撃させたのである。
このような大軍を複数同時に展開させて敵を圧倒する多方面作戦は魏の鍾会の登場以来、魏・晋軍が好んで使用するようになったものである。
呉軍
雷譚「……以上が各方面における晋軍の動きとなっております」
陸抗「いよいよ、本格的に動きだしたか。このような大規模な作戦を疎漏なく展開させるとは羊祜という人物、中々の男らしいな」
雷譚「で、我が軍はいかに対応すべきでしょうか?」
陸抗「江陵はこのまま張咸に任せておけば落ちる気遣いはなかろうし、晋軍も無理攻めはするまい。さらに公安より孫遵に長江南岸を進ませて、羊祜本軍を後方から攪乱させ、いわゆる掎角の構えをとらせる。益州の徐胤に対しては、水軍督の留慮と鎮西将軍の朱琬に建平を向かわせ、水路を封じる。」
雷譚「はっ、直ちにそのようにさせます」
陸抗「我が軍はこのまま西陵を包囲しつつ、陽肇を迎え撃つぞ」
雷譚「ははっ」
晋軍陣営
西陵に辿り着いた陽肇は堅固に固められた呉軍の陣営を見て呆然とする。
陽肇「これは……、西陵城の外にもうひとつ城が出来たようなものではないか……」
呉軍
二重包囲戦
雷譚「内と外に二重に包囲とは……。これまた前例のない戦形でありますな」
陸抗「そうでもない」
雷譚「と申されますと?」
陸抗「西の果ては大秦の地で、偉大なる王がこれと同じような戦いをしたそうだ。今回はそれを学ばせてもらった」
雷譚「はあ……」
晋軍陣営
攻めあぐねる晋軍に吉報が届く。
部将「申し上げます! 呉軍の部将朱喬、営都督兪賛が我が軍に投降してきた模様です」
陽肇「なんだと?」
接見する陽肇。
陽肇「つまりは、もはや呉に将来はないと?」
朱喬「はっ。確かに陸大将軍は優れた人物ですが、それだけにあの帝の下では長くはないでしょう。」
兪賛「優れた配下ほど猜疑の目で見るのは孫家の伝統ですから」
陽肇「確か、陸抗の父陸遜も孫権に疑われて憤死しておったな」
朱喬「元々、陸家と孫家は逆縁とも言うべき両家です。それだけでなく昭侯(陸遜)の先代もまた長沙桓王 (孫策)に討たれているのですから」
陽肇「孫家は三代に渡って陸家に祟っているというわけか……。よかろう、投降を認める」
朱喬、兪賛「ありがとうございますっ」
呉陣営
陸抗「兪賛は古くから軍中の内務を務めており、我が軍の実情をよく知っている。おそらく私が山越から徴用した兵士たちの訓練不足を心配していた事も知っているだろう。兪賛がその情報を手土産にしただろう」
雷譚「いかがいたしましょうか?」
陸抗「ただちに陣の配置換えを行なう」
翌日、陽肇は兪賛の情報を元にまさにその陣へと攻撃を開始する。あらかじめ精鋭に守らせるだけでなく、その方面への防備を厚くしていた陸抗軍は、陽肇の攻撃を撃退し、多数の流血を強いたのであった。
西陵城、陸抗軍、陽肇軍の対陣は数ヶ月に及んだ。この間、さまざまに陽肇は攻撃の手を打ったが、陸抗の陣は破れずに精根兵站尽き果てて退却する事になる。
陸抗の追撃を恐れ夜陰に乗じて退却する陽肇であったが、これもまた陸抗に察知される。しかし陸抗側も追撃をしたいものの、歩闡は未だに強勢であり、追撃して隙を見せれば逆に背後を突かれかねなかった。そこで夜陰という事もあり、兵士たちに軍鼓や鬨の声を上げさせて追撃するふりをすると、陸抗の知略にすっかり怯えている陽肇軍の将兵たちは、それだけで恐慌状態となり鎧を脱ぎ捨ててわれ先にと逃走を始める始末であった。
そこで陸抗は少数の軽兵を出して追撃させると、恐慌状態の陽肇軍はさらに混乱して、同士討ちや事故などで自滅し、潰滅状態になってしまう。
晋軍陣営
羊祜「陽肇が敗れたか……。建平の徐胤も利あらず、ここも孫遵によっていいように攪乱されたままときている」
部将「陽肇の支援に西陵へ向かいましょうか?」
羊祜「いや襄陽へ撤退する」
部将「え?」
羊祜「知で敗れ、力で敗れたとあれば、これ以上留まるのは損害ばかりが大きくなるという事だ。歩闡には気の毒だが、冬も近い。ここは退くしかあるまい。」
ナレーション
かくして、陽肇の敗北を受けて羊祜はこれ以上の派兵を諦め、全軍の撤退を命じる。
これにより後顧の憂いをなくした陸抗は、本格的に西陵城攻撃を開始。
二七二年十二月、西陵城は陥落し、歩闡と一族とその主だった部将は処刑される。だが、陸抗はそれ以下の者たちは孫晧に願い出て赦免してやった。
かくして西陵を巡る一連の戦いは終わった。だが、陸抗と羊祜の本当の戦いはここから始まったとも言える。
羊祜「知で敗れ、力で敗れたとあれば、心を攻めるまでだ」
西陵の戦いにおいて、自らの軍略を悉く看破された羊祜は、一転して呉の心を攻める作戦に出るのである。晋は襄陽を中心とした北荊州において徹底した仁政を行い、それを喧伝して呉の臣民の心をひきつけようとしたのである。
この作戦は孫晧の暴虐によって痛めつけられている呉の臣民たちにとっては効果的であった荊州の呉側の住民は動揺し、晋に投降する者も相次いだのである。
陸抗「相手が仁政を行い、味方が酷い事ばかりを行なっているのであれば、戦う前から降伏しているようなものだ。それぞれが持ち場をしっかり守り、小さな利益ら惑わされないように」
これに対して陸抗もまた江陵を中心にした南荊州においてこう訓戒し、仁政に務める。こうして呉と晋は競い合うように善政を行い、国境において余った食料が農地に置き去りにされていても敵国がそれを奪うような事はなく、牛や馬が逃げて相手の国に入ると、わざわざ相手国に知らせれば取り返しにいけるようになったのである。
どこかの森での狩りのシーン
陸抗「たまには、こうして気を緩めるのも必要であろう」
雷譚「こうまで敵との境が平穏なのも、何やら不思議な気がします」
陸抗は手にした弓で鹿を見事に射止める。
と、その鹿の尻に先に刺さっていた矢がある。
そこへ登場する狩装の晋人。
羊祜とその配下だ。その一行に兪賛もいて驚いた顔をしている。
羊祜「これは呉の方、見事に射止められたようですな」
陸抗「先にそちらの矢が命中していた模様です、失礼いたした」
羊祜「しかし、射止められたのは貴公だ」
陸抗「巻狩りの獲物は第一矢を当てた者に権利があると聞きます。どうぞ、この鹿はお取りください」
羊祜「しかし」
陸抗「呉も晋もこのような事では争わないように、お互い仁徳を競っているのではないですかな?」
穏やかに笑ってその場を去る陸抗。
兪賛「あれは……。陸大将軍です」
羊祜「そうであろうな、穏やかな物腰の向こうにある才知と威風。噂で聞いていた以上の人物であったな」
こんなエピソードがある、陸抗は病に倒れる。元々、病弱であった上に、暴虐の帝の下に一身で衰亡する呉を支え続けた心労が重なったのであろう。
そんな折、陸抗は羊祜に使者を発する。
手紙の陸抗「どうやら、不甲斐なく病に倒れ申した。聞けば晋には名医が多く良い薬があると聞きます、少し譲っていただけますか?」
これに対して羊祜はなんと自ら薬を調合して返信する。
手紙の羊祜「私も少々医学の心得がありまして、自ら特効薬を調合させてもらいました。あなたの病が重いというので、これをお送りする」
使者に薬を持ち帰らせた。
雷譚「おやめください! 敵がせめて手ずから調合した薬を飲むなど正気とは思えません! せめて毒味させ数日は様子を見てからになさいますよう」
陸抗「……」
薬をそのまま飲み干す陸抗。
翌日、本復した陸抗。
陸抗「あの薬だが、だいぶよく効いた。これは礼状を書かねばなるまい」
その手紙を受けて羊祜は使者を前に破顔する。
羊祜「そうか、あの薬はよく効きましたか。陸大将軍のは天下の偉才。病などに負けられては、私の立場がないというものです」
雷譚(なんとも不思議なお二人だ……)
それから1年以上もこのような対峙を続けた後、陸抗は274年七月に病死する。呉はその最後の柱石を失い、滅亡へとまた一歩進むのであった。一方、陸抗の死を知った羊祜はその死を悼みつつも、呉の最後の障壁が去った事も知る。
二七八年十二月に羊祜も死去する。
彼は死ぬまで常に「陸抗が死んだ今こそ、呉を討伐して天下を統一する好機である」と唱え続けたという。誰よりも陸抗の才器を知っていた彼は、戦場において友情を交わした好敵手の存在の大きさを、このような形で表現したのであった。
陸抗と羊祜。
それは呉と晋において、互いに国家を背負って戦い、その才知を認め合い奇妙な友情を交し合った好敵手であった。
280年、晋はついに羊祜の遺した作戦に従い、呉への進撃を開始する。生前羊祜が唱えていたように陸抗亡き呉は、杜預率いる晋の破竹の進撃を前に敵すべくもなく、呉皇帝孫晧は晋に降伏を申し出る。
かくして三国時代最後の国呉もまた滅亡し、ここに『三国志』の時代は終わりを告げるのであった