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赤壁の戦いはなかった! 事にしたい曹操と郭嘉の
赤壁の戦い反省会
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ナレーション
建安13年(西暦208年)、はるか北方において袁家を滅ぼし、名実共に中原の覇者となった曹操は、その時代の勢いのまま天下統一の総仕上げとすべく兵を南下させた。
曹操の大軍は劉琮降し、劉備を破り、荊州とその水軍を支配下に納めると、そのまま長江の渡河点烏林に陣し、江東の孫権・劉備連合軍と対峙する。
この戦いにおいて、周瑜率いる孫権・劉備連合軍5万は、20万を越える曹操軍に対して、火攻を以ってその支配下の水軍を殲滅。
袁術・呂布・袁紹など数々の群雄たちを屠り無敵と謳われた曹操軍を一敗地に塗れさせたのであった。
これが世に名高い『赤壁の戦い』である
泥濘の華容道。
敗走する曹操の周囲で倒れる兵士たち。
その悲惨な曹操軍の有り様を描写。
思わず目を背ける曹操。
「くっ……」
そして面を上げて何か詩を吟ずるように、朗々と嘆く。
「嗚呼、郭嘉よ、郭奉孝よ。郭奉孝さえ我が傍におれば、このような無様はなかったであろうに……」
と、一編の悲壮なる詩篇のように決まった、と思った曹操の背後に声。
「いや、それ無理だから」
振り向くと郭嘉の幽霊がいる。
「げぇ、郭嘉!!」(横山三国志風に)
「いや、大将。そのリアクションは違う」
ツッコミ。
「して、奉孝よ。貴様がいても、あの戦いはどうにもならなかったと申すのか?」
「なかなか、難しかったんとちゃいますかねえ……」
タイトルバック
赤壁の戦いはなかった! 事にしたい曹操と郭嘉の赤壁の戦い反省会
反省その1
黄蓋の苦肉の計に乗らなければよかった
曹操「そもそも、あんな見え見えの偽降に乗ってしまったのが間違いなのだ。余はどうしてあんな単純な策に乗ってしまったのであろう」
郭嘉「そりゃ、“乗ってしまった”のではなく“乗りたかった”からじゃないですか?」
曹操軍は兵力においては圧倒しつつも、兵站は限界に達しており、また中原から強行軍に継ぐ強行軍の上に慣れぬ水軍の真似事までさせられて兵たちの体力は消耗しきっていた。その結果、弱った兵士たちには風土病が襲い掛かり、陣中に蔓延し始めていた。
その上南方とは言え大陸の冬の寒さは厳しい。冬営の準備などしていなかった曹操は、兵数は圧倒しつつもその実、戦うか退くかではなく、撤退の決断をいつするかという所まで追い詰められていたのであった。
郭嘉「そんな時の黄蓋の偽降ですからね。乗るなというのか難しいでしょうし、どっちにしろ撤退するのは避けられんかったでしょう」
郭嘉「だいたい大将、俺が乗るなと忠告して言う事聞く精神状態でしたかい? あの時だって、周囲も忠告してなかったわけないし」
曹操「む・・・」
反省その2
烏林からとっとと撤退すればよかった。
曹操「ならば、早期に撤退の決断をしていれば、被害も最小限に押さえられたであろうし、周瑜や孫権などの奴ばらに名を成さしめる事もなかったのだ」
郭嘉「あー、それ無理」
曹操「無理とはなんだ」
郭嘉「だいたい撤退時には水軍は捨てざるを得ないでしょう? まともに撤退戦できるような練度の水軍じゃないのは陸口の前哨戦でバレバレだったし。
郭嘉「ま、敵に船を渡さないために焼き払いながらの撤退ですわな」
想像図、赤壁の戦いとまったく同じ構図、ただ火つけるのが曹操軍というだけ
曹操「結果は何も変わらなかったというのか」
郭嘉「ま、そういう事っスね」
郭嘉「それに、周瑜や孫権に名を成さしめるなと言っても、うちら『無敵曹操軍』を退けたというだけで、奴らの大手柄ですがな。大いに世上に喧伝して誇るには変わりねっす」
反省その3
孫権と和解できなかったのか?
曹操「ううむ・・・、孫権に“会猟”などと言って挑発したのはまずかったか。なんとか和解して、劉備を孤立させるという手もあったな」
郭嘉「大将、天下の統一を捨てる気ですかい?」
曹操「そのつもりはない」
郭嘉「仮にも朝廷を擁してそれを大義名分としているうちらが下手に出るわけにもいきませんし、だいたい、せっかく北方のくびきから逃れられそうであった、南方の豪族やら民や懐柔するには、江東全域を安堵してやるぐらいしないと無理でしょう」
郭嘉「それでは、結局はいずれもう一回南方征伐を繰り返す事になるだけで、問題を先延ばしにするだけ。だいたい、大将だっていい年なんだし、問題を先延ばしにする時間的余裕なんてないでしょ?」
反省その4
劉備を破った後、荊州を固める
曹操「思えば、慌てて孫権・劉備どもと決戦する必要もなかった。江陵を押さえたあとで、荊州を固めて、じっくり奴らを追い詰めてやればよかった」
郭嘉「まあ、理想だけ言えばね」
曹操「何が言いたい」
郭嘉「だいたい、江夏の鉱山を押さえないで、大将の南下の大目的は果たせてないでしょうが。それに中原から率いてきた兵士を、荊州にいつまでも駐屯させていれば、その負担にかえって荊州の情勢は悪化。かといって兵を引けば、劉備がまたぞろ荊州に手出してくるわけで」
曹操「短期決戦は避けられなかったというわけか……」
郭嘉「兵は神速を尊ぶ、というのはいつだって真理ですがな」
反省その5
荊州を降した後、劉備を追わず兵力を温存
何故かタイトルバックを見て郭嘉
郭嘉「問題外ですな」
曹操「まあ、そうだな」
郭嘉「あの時点で劉備を追撃しなかったら、江陵を押さえられて、荊州南部は奴のもの。なんのメリットもありゃしない。あの時の大将の決断と追撃戦はお見事というしかありません」
曹操「そ、そうか?」
うれしそうにはにかみ笑う曹操。
郭嘉「まあ、その後、水泡に帰したわけですが」
曹操「……」
反省6
荊州から攻めず徐州から侵攻する
曹操「そもそも、南下するにしろ、荊州から」
郭嘉「とうとう戦略そのものの転換ですか?」
郭嘉「確かに徐州から南下して、一気に呉郡あたりを突けば、“孫権は”大いに動揺していたでしょうな」
曹操「だろう?」
郭嘉「けど、劉表は残っているし、その客将である劉備は、常に大将の隙を突いて許都を攻めようとしてましたな。大将が徐州から南下しようとしたら、好機と見るでしょうな」
郭嘉「だいたい、荊州を制して水軍の人材やらノウハウやら南方情勢の資料を押さえないで、どうやって長江を渡河して、南方を制するつもりですかい?」
曹操「む……」
反省7
荊州をほっとく
曹操「だいたい、余が攻めなくともあの年すぐに劉表は死んでおる。ほおっておけば、劉琮と劉備が争って内紛が起きたあとで南下すればよかったのかもな……」
郭嘉「そもそも、それって劉琮があっさり降って、劉備を追撃に成功した先の結果より楽な道だと思われます?」
曹操「う……」
郭嘉「内紛でバラバラになった荊州を制圧するのは、劉琮をあっさり降した時よりよっぽど困難を伴うでしょうし、あの食えん男の劉備がまんまと荊州全土を制するような結果になったら目もあてられません」
郭嘉「だいたい、劉表の死自体が怪しいってのに、それを前提に動けるわけがないでしょうが」
反省8
とにかく仕方なかったんだ
曹操「ああああ、もう好き放題言いやがって!」
曹操「だいたいだな、あの戦い自体がおかしいんだよ。なんか変な格好した奴が踊り狂って東南の風起こしたり、なんだか我が軍は敵味方の識別もロクに出来ない事にされて、まんまと十万本の矢を奪われたり、大の男が手の平見せ合ってニヤニヤしたり、余は余で中原随一のブレーン抱えているのにあんなブサイク面した男を軍師として信用した事にされたり、とにかくワケのわかんねー事多すぎなんだよ! そんなの重なっていれば、いくら余が負けたって仕方ねーだろうが!」
郭嘉冷たい目で。
郭嘉「それ、なんて講談?」
エピローグ
曹操「にしても、奉孝。あの敗戦は不可避に近かった事は認めよう。しかし、あまりにも言い過ぎではないのか? さすがに腹に据えかねるぞ」
郭嘉「俺はね、大将。一回負けたぐらいで死んだ俺なんかの事をあてにしてる、あんたの弱気こそ責めたい」
郭嘉「大将は、まだ一回負けただけじゃないスか。別に致命的な打撃を受けたわけでもないし、これからいくらでも巻き返せるでしょうが」
郭嘉「まあ、反省は反省としてね。ちょこっと負けたぐらいで後ろ向きになって、死んだ部下を頼りにするような真似したら、今の配下たちも気悪くしますって。」
郭嘉フェードアウト
馬上での居眠りな夢オチ
曹操「そうだな、郭嘉……。何時の間にか勝つのに馴れすぎていたのかもしれん……」
曹操「俺は逆境でこそ力を発揮する男」(←ウソです、入れちゃだめ。同人誌だったらいいけどねw)
ぐっと顔を上げて、将兵たちを叱咤する曹操。
後の歴史は語る。
曹操は、赤壁の戦い後も天下を制する野望は捨てず、関中で馬超・韓遂を破り、漢中では張魯を降すなど、精力的に活動を続ける。結局、天下を制するには至らなかったが、彼の築いた魏がその後数十年に渡って他を圧倒する国力を備え続けた基盤には、むしろ赤壁の戦い以降の曹操の戦いぶりあると言えた。
その意味では、赤壁の戦いはあくまで曹操の転機ではあったものの、けっしてその野望の終着点ではなかったのである。