三国志 何晏伝 滅びの花

三国志マガジンに書いた原作
何晏と魏の退廃文化について書いておきたかった。

何晏を男の娘として描きたかった・・・

何進とその一族はみんな美形だったんだと思う。

何晏伝 滅びの花

何晏平叔 193-249

193?~249中国,三国魏の官僚・学者。字は平叔,南陽宛(河南省南陽)の人。母の尹氏が曹操の側室となったので宮中で成長し,曹操にかわいがられ,操の娘をめとった。風流人で,つねに白粉(おしろい)を塗り,自分の影を気にして歩き,麻薬の一種である五石散を服用したと伝えられる。幼少から秀才の聞こえがあったが,文帝に憎まれ,明帝には浮華の士として退けられた。明帝の死後,大将軍曹爽(そうそう)の腹心となり.司馬懿(しばい)の排斥に関与。吏部尚書の要職につき知人を多く登用した。が,249年,司馬懿のクーデターによって曹爽一族とともに誅殺された。王弼(おうひつ)とともに,訓詁学中心の漢代儒学に対して老荘思想をとりいれた新解釈をとなえ,魏晋の玄学(老荘学)の基礎を築き,清談の風をひらいた。『論語』『易経』『老子』を研究し,儒学の“道”を無によって,“聖人”を無為の体得者として解釈しようとした。『老子注』を書いたが,王弼の注をみて敬服して書きかえ,『老子道徳論』2巻(「列子」張湛注に逸文が現存)を著した。『論語集解(しっかい)』10巻(現存最古の『論語』の注釈書)の主編者。

原作本文

絶世の美女が、険しい表情で書類を操っている文官にしなだれかかっている。

肩をはだけて、髪を艶冶に乱しているが、不思議と胸は隠している。

「ねえ……今宵は抱いてくださいませんの?」

顔を近づけて耳にではなく口元に囁きかける美女。

一瞬、心動きそうになるのを、その文官は耐えて、顔を引き締める。

そして、壊れ物を扱うかのように大事に引き離すと答える。

「すまぬが、今はそれどころではないのだ。征西を控えて寸刻も惜しい」

と答えて、離れた女

「あら、つまりませんの」

あまりがっかりした様子も見せずに、美女は男から離れていく。

そして、服も乱れたままで部屋を出る。

出た先は宮中である。

衛兵が彼女の乱れた姿に驚き、ついで見惚れると彼女は自分の姿に気がついて、自分の影を見ながら服装と髪を直す。

そして宮中を楚々と歩き去る。

衛兵が驚いたように同僚

「おい……」

「ああ」

「信じられるか? あれが、男……しかも、散騎さまだぞ?」

「ああ」

何晏は甌車(車席が前方一つだけの軍事用の馬車)を自ら御して、路上をゆっくりと走る安車(貴人用の車で前部座席と高部座席がある、ちなみにどちらも四頭立て)追い抜いていく。

安車の中で司馬懿は自分の車を追い抜くのに不快な表情を見せながら、

「都で甌車を用いるとは。誰だ、あの無礼者は」

「は、はい。散騎さまで……」

「何晏め、まったくあの男は……」

呆れた

走る何晏の姿。

彼の名は何晏、字を平叔という。

後漢末期、大将軍として権勢を振るった何進の孫である。父の死後、母の尹氏は曹操に見初められ側妾に入り、彼もまた曹操の息子たちとともに養育される事になる。

その美貌と才幹は幼少より顕かではあったが、その性質は放埓にして奔放、建安より起こる魏の文化の特色である頽廃を象徴するような男であった。

「お帰りなさいませ」

彼を迎えた妻もまた、それを象徴する。名は曹媛、字を幢英(注・でっちあげ)という。これがなんと曹操と母の尹氏の間に生まれた異父妹である。さすがに不倫も極まるこの婚姻は、普通ならば認められる筈がないが、妹を偏愛する余り何晏は彼女を曹操の側妾の一人である杜夫人の娘という事にして、婚姻を強行してしまったのである。

心ある者はこれを大いに罵ったが、一方です儒学の縛りに対する反発のようにして起きた魏の頽廃文化の中では、これを頽廃の極みと称える者すらあった。

「どうしましたの? 兄さま。難しい顔をなさって」

小首を傾げて曹媛は聞く。

何晏は妻となっても依然として妹と呼ばせていた。

女装した何晏は凄艶とも言える美女となる、それとは対照的に幼さの残る彼女は愛らしさを以って男心を惹くような娘であった。二人が並ぶと対照的な姉妹に見える。

つと妹を抱き締めながら、何晏は独り言のように言う

「曹が滅び、司馬が興るのをこの目で見る事になるかもしれん……」

「え?」

「……いやなんでもない」

そのままいきなり唇を奪い、彼は妹を閨に連れて行く

情事の後、妻を腕の中で眠らせながら一人思う。

(……昭伯は、いったい何を考えているのだ……)

(司馬に心寄せる士家【豪族たちの私兵】は多く、しかも前線においては盛んに軍屯を行い、着実にその勢力を増やしている)

(昭伯の征蜀は、それに対する焦りと司馬仲達に匹敵する武名を得たいとの考えなのであろうが、蜀は未だ堅い。徒に曹家の士家を損耗させるだけであろう……)

(例え征蜀に成功したとしても、益州を鎮定させるまでにどれほどの兵と時を彼の地に振り向けねばならないと思っているのだ……)

(昭伯よ……、確かに曹家の復興を願う気持ちは分かる。だが、お前はその器ではないようだよ……)

曹爽の征西は蜀の大将軍費禕によって惨憺たる結末に陥った。

この敗北は曹爽の権威を貶めたのみならず、曹家の兵力に深甚たる被害を与えたことになる。この敗北は、曹家と司馬家が辛うじて保っていた危ういバランスを、決定的な傾きをもたらしたことになる。

これに焦った曹爽は、司馬懿を徹底的に排斥し、宮廷から遠ざけようとする。これに対して司馬懿もまた抵抗をせずに、病気と称して自宅へと引き篭もった。

さすがの曹爽もこれを怪しんで、李勝という側近に様子を見にいかせるが、荊州と并州を間違えるわ、粥をこぼすわで、司馬懿は完全に老耄している事を報告する。

これに気をよくした曹爽は、いよいよ権勢を振るいはじめる。

彼は敗残を取り繕うかのように、華やかなる社交を奨励し、連夜、勢美と頽廃を尽くした宴を催す。彼のために弁護してやれば、そうやって魏の曹氏の盛んなる事を表さなければならなかったのである。

この曹爽の動きに何晏はどうしたかと言えば、率先して宴に出、得意の女装をして音曲を弾き、舞を披露する。

このような頽廃かつ華やかな宮廷の中にあって、美しく洒脱な彼はまさに典雅の象徴であった。彼の女装を真似る者は後を立たず、都の風俗は爛熟の極みに達する。

また彼は酒に酔うだけでなく、五石散という麻薬を用いる事を流行させる。

五石散とは、五種類の鉱物(石鍾乳・石硫黄・白石英・紫石英・赤石脂)を中心にして、さまざまな薬品を混交(砒素も含まれていたようだ)した麻薬で、服用すれば精神は高揚し、身体は発熱し、興奮状態になるという。反面、副作用は激烈であり、服用するときは寒食を取らねばならず、酒は滴らせて飲まねばならない、その上、服用後は必ず「散発」または「石発」といわれる散歩をして熱を発散させねばならなかった。これを破ればたちまち絶命する、その上副作用も激烈であり発熱、皮膚の炎症、強烈な被害妄想、怒りっぽくなる、手足のむくみ、四肢はだるくなる、その上極めて依存性は高い。背中が腑没したり、舌が縮んでのどの奥へ入ったものおり、中毒死はあとを絶たなかったというから、ほとんど麻薬というより毒薬に近い代物であった。

この自殺行為に近いような五石散の服用を何晏は愛し、毎夜のように酔い続けた。その何晏が愛用して事によって五石散は爆発的に流行をする。これがために死に、あるいは家財を傾ける者が後を絶たなかった。

また一方でわざわざ竹林などの人気のない場所で清談という、哲学論議をする文化も流行し、ここにおいても何晏は時代の寵児であった。

王弼という二十台そこそこの青年がいる。

彼は老子の注釈を行い、それが後世の道教の祖とすらなるほどの天才的な文学者であったが、あるとき何晏と王弼は清談の中

「王君、君は老荘の無というものを、どう考える?」

「私は、無とは語れる者ではなく、あえて語らぬ事こそが無をもっとも雄弁に語る事かと存じます」

「そうかな? 私は無は全ての帰る場所だと思っている。ならば、むしろ語らぬ事が無なのではなく、こうして語る全ては無に帰すのだ」

「では語るも語らぬも無という事ですか?」

「その通り、世の全ては無に帰すものだ」

この言葉のように何晏はすでに世に見切りをつけてしまっていた。

あるときかれは皇室の宴に招かれる。

といっても、時の皇帝曹芳は下らぬ男で、女色溺れ政務など執らず宴に耽溺しており、その一つの座興として招かれたにすぎない。

相変わらず

「おお、何晏よ。よくきた」

「はい……」

「実は女どもがな、お主の美貌に嫉妬しおってのう。その白粉を剥せば、どのような顔が現れるかか知りたいと申すのじゃ」

「……」

「その羹を食え。真夏の夜だ、汗をかけば、自然に白粉も落ちるであろう」

曹家の中で養育された何晏は曹操、曹丕、曹植、曹叡と英明と洒脱をも兼ねた人々を見てきた彼にとって、まさに曹芳は「なれの果て」そのものであった。

(くだらぬ……)

何晏は羹を食しながらも何晏は汗一つ掻かない。

「つまらぬ! ええい! この者の白粉を剥ぎ取れ!」

たちまち不興を覚える皇帝は衛士に何晏を抑えさせ、その顔を拭かせる。

すると現れた素顔と肌は白粉よりも白く艶やかで、一同はその美しさに言葉を失うのであった。

一礼して去る何晏。

(醜き姿を晒し続けるより、無に帰すべきなのだ)

何晏が先頭にたって進める頽廃の文化は、華やかであったが大部分の者にとっては受け入れられるものではなかったろう。次第に司馬家に心を寄せる者は増える。

そして正始十年(249)、正月。

曹芳と曹爽が共に高平陵に参った間隙を突いて司馬懿は決起する。彼は宮中に入り、永寧宮に入り皇太后から詔勅を受け、曹爽の罪を鳴らした。さらに手勢に武器庫を占拠させ都の兵力を掌握して、曹爽に対峙する。

わずかな手勢しか引き連れていなかった曹爽は司馬懿に降伏。

その時、都にあった何晏は司馬懿に召還される。

自分の運命を悟った彼は妻に、

「どうやら、その時がきたようだよ」

と抱き締めながら優しくいい、念入りに化粧を始める。

その間に曹媛は司馬懿の下へ走る。

突然の公主に驚く司馬懿。

「これは金郷公主さま。いったいどうなさいました」

「夫は、この日があるのを常々予見しておりました。彼の者の不品行も曹家より、司馬家に心寄せてのもの、せめて死罪は免れるように出来ませぬか?」

女の、しかも曹操の娘の願いに迷う司馬懿。

司馬懿の前に引き立てられる何晏。

死を前にして益々輝くような何晏の美貌に、老境にあってさえ司馬懿は惑う。

(曹爽亡くしては、なにもできまいて。それにこやつの文人としての才幹と名声は、確かに惜しい……)

司馬懿はここで一計を案じる。

司馬懿は何晏の取り押さえる兵士たちを下がらせる。

「これは尚書(何晏)どの、兵どもが何を勘違いしたのやら。ワシが尚書どのをお呼びしたのは、先ほど大逆の罪によって捕らえられた者がおりましてな、この者たちを聡明なる尚書どのに裁いてもらおうと思ってのことですじゃ」

(こうして何晏だけ生かせば、生き残った曹家に心寄せる者たちの恨みが向くのも、奴になるであろう)

そうして司馬懿に案内された先には、曹爽、曹義、曹訓、丁謐、鄧颺、畢軌、李勝、桓範、張当ら、かつて何晏とともに政務を執ったものたちであった。

それを見ても何晏は顔色も変えずに判決を言い渡す。

「それでは、裁決いたしましょう。ここにある八家に三族誅殺の刑を」

何晏の裁決に、司馬懿が聞きとがめる?

「八家? 曹、丁、鄧、畢、李、桓、張の七家ではないのか?」

「もうひとつ、お忘れですか?」

そう言って、何晏はつかつかと降りて曹爽らと共に並ぶ。

その後、刑は執行され彼らは三族まで誅殺される。

何晏の刑を執行した兵は、そのうなじの美しさに、危うくその殺す手を躊躇うところであったという。

ともあれ、曹爽・何晏らの誅殺後、司馬家に対抗できる勢力はもはやなく、曹魏は単なる傀儡の帝室となる。そして265年、司馬家の司馬炎が曹奐より禅譲を受けて、名実ともに魏は滅亡し、代わって司馬家の晋が興るのであった。

後の歴史において、司馬家と対立していた曹爽と何晏らは、支処において悪し様に書かれる事になるが、それでもなお、すでにして落日の王朝であった魏にあって彼らの存在は、頽廃の薫香とともに、ある種の艶として歴史を彩っていると言えるであろう。

また、何晏と王弼が交わした無についての論議は「正始の音」と呼ばれ、老荘思想の基礎として後世にまで尊ばれる事になるのである。

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