酒に対して三国志でも語ろうじゃないか 第二十六回 三国志の女たち

『競妍女傑~したたかに生きる三国志の女たち、特に南方~』

三国志は女が弱い?

三国志についてのよくあるイメージとして「女性の影が薄く、男臭い、ヒゲだらけ」というものがある。
確かに、一般的な三国志のイメージを作っている『三国志演義』における女性の扱いときたらひどいものがある。

略奪や政略結婚など本当に物のように扱われているのが普通であり、あげくの果てには「妻『を』料理して劉備に食べさせた」というエピソードさえある始末である。

ものどころか食材扱いだ。
史書における女の扱いも、名前が残されているのはごく稀な例で、辛うじて姓だけでも書き残されていれば特別扱いという傾向はある。

そもそもこの時代、社会原理ともなっていた儒教は家父長制度の権化とも言うべきもので、一族の当主たる家長が代々継嗣を絶やすことなく、先祖の祭祀を絶やさない事を最大の道徳とする教えだ。
とにかく大事なのは家長さまが生き延びて、後継者を欠かさないようにする。

女という存在は、家長が子孫を残すために存在しているようなものである。

故に家長が複数の女を囲って後継者が出来やすくする事は、不倫どころか堂々たる正義でさえあった。
例えば曹操は言わずと知れた漁色家で、張繍との戦いでは張済の未亡人に手を出して痛い目に遭っているし。

袁氏との戦いでは、いい年こいて息子の曹丕と河北一の美女として名高い袁煕の妻を奪い合っている。

当時、女という存在がまさに「戦利品」であったのがよくわかるような扱いだ。

儒教社会の建前と本音

ここまでの例を見れば、家父長制度の権化たる儒教社会の中、この時代の女はいかにもか弱く運命に流されるままであったように思われるだろう。
しかし、これらの事例をもって古代中国が男性上位社会であったと決めつけるのも早計である。

実際のところ、物のように扱われてきたのは女ばかりではない。

家長を除く男たちも、政略に利用されたり家長をもり立てるために命さえかけねばならなかったし、子供たちでさえ劉備が長坂坡での逃亡戦で息子を投げ捨てたように、家長が危機となれば投げ捨てられてしまうような時代なのである。
食料生産、医療などがまだ未発達で、どの階層であってもまず「生きる」ことそのものが難しい課題出会った時代の事である。

中国では家長にその生きるためのリソースを集中させる事によって、なんとかその遺伝子を継続させようとしたのかもしれない。

それは生き伸びることさえ難しかった時代が生んだ人間たちの哀しい知恵であったのだろう。
とはいえ家父長制度の強烈な儒教を建前とした中国社会であるが、逆に言うとそうでもしないと男系社会を維持できないために取り繕っていたのかもしれない。
そんな邪推をしたくなるほど、中国の女性は伝統的に強く逞しい。

むしろ、中国というのは家父長制度の強力な父系社会のように見えて、その本質は母系社会なのではないかと思われるほどである。

古代から現代にかけて例外なく中国人は妻に頭の上がらないエピソードを数多く生んできており。

例えば、有名なジョークとしてはとある将軍が、「妻が怖い者は右の旗の下に、怖くない者は左の旗に並べ」と命じると一人を除いて全員が右の旗に並んだという。

三国志の女たち

三国志の中でも下ヒの篭城戦において妻の言葉で出陣を躊躇った呂布。

劉夫人に強烈な願いもあって最後まで長子袁譚と三男袁尚の間で後継を迷いそのために官渡で敗れたといっても過言ではない袁紹。

劉琦と劉琮の間で蔡夫人の薦めに従い劉琮を後継とした劉表。
彼らを打ち破った曹操にしても、前々回に書いた丁夫人との離婚にまつわるエピソードや曹操も持て余す強烈な個性の持ち主であった。
また後漢、三国時代において、皇帝が崩御したときに帝位の空白を狙った政変が起こるときや、さらに帝を廃そうとする動きがあった場合、必ず旗印や名目とされるのが「皇太后(帝の母)や太皇太后(帝の祖母)の詔勅により」というものである。

そんな異常事態でなくとも、帝が崩御して次の帝が即位するまでの間、宮廷の指揮を取る事になるのは皇后、皇太后、太皇太后たちである。

皇后、皇太后、太皇太后の後ろ盾には外戚たちや宦官たちが付いているわけだが、それでも儒教支配の下、強烈な男系社会である建前を持っていた古代中国においても厳然と「母系」が尊重されていたことがわかる。
実際の所、史書の方の『三国志』や注には、王異や蔡文姫など多くの個性的な女性のエピソードが書かれており、むしろ女性の存在感は『三国志演義』よりも濃厚であったりする。

これは後漢から魏晋にかけてより、さらに『三国志演義』やその元となった稗史などが書かれた明代になると、一層儒教の概念化が進み男尊女卑を建前とする記述になっていったということが考えられる。
このためむしろ当時の実女に近い時代に書かれた史書の方が、女性の存在感が大きく感じられてしまうという逆転現象が起きたのだろう。
そう、三国志についてはむしろ、史書のほうが女性がいきいきと描かれているのである。

南方の女傑たち

特に北方に比べて儒教の影響が弱く、古代の風俗を色濃く残している南方と、その南方を制した呉はさらに女性の存在感が強い。
その代表的存在が、孫堅の妻である呉夫人だ。この女性は才色兼備として名高く、孫堅が妻に娶りたいと希望した。

しかし、彼女の一族の者たちは、孫堅の性格を軽薄で抜け目がないとして、この婚姻に反対であった。

ところが彼女は、「なぜ一人の女を惜しんで災いを招いたりするのですか? 私が嫁ぎ先で不幸になったとしても、それは運命なのです」と孫堅に嫁ぐ。

この言葉からすると、どうも孫堅はかなり力づくで呉家に迫ったのではないかと推測される。
親戚たちの審配とは裏腹にこの婚姻は、孫堅はこの結婚を機会に大いに飛躍する。 呉きっての名家である呉家を後ろ盾にした孫堅は、その軍事的才能を大いに発揮し、各地を転戦して武名を挙げ、孫家勃興の礎となるのであった。
後に孫堅は早々に戦死してしまうが、彼女は息子の孫策、孫権の後見人として活躍する。

とにかく正史の孫策や孫権の伝に「孫権の母」、「孫策の母」に関する記述が数多く見られ、その存在感の大きさがよくわかる。

孫堅に続いて孫策も早逝してしまう孫家であるが、まだ基盤の整っていないこの家が、連続性を保てたまま江東において勢力を保てたのは、彼女の力が大きかったのは間違いない。

まさに彼女は呉の「国母」とも言うべき女傑であったろう。
そんな呉夫人の血を受け継いだか、孫家には劉備との婚姻の際に侍女たちを武装させて臨み、劉備を恐れさせたという男勝りなエピソードで有名な孫権の妹も登場している。

彼女のような存在が認められたのも南方の母系が強い風土性にあったのではないだろうか。
また、孫家にはさらに強烈な女性として孫権の弟孫翊の妻徐氏がいる。

孫翊は配下の媯覧と載員に暗殺され、女色に汚かった媯覧は孫翊の側妾たちを自分のものにしてしまう。

そして美貌と易の名手として名高い徐氏をも手篭めにしようとする。

これに対して徐氏は「下手に抵抗して殺されても無益であり、媯覧を殺して夫の仇をとるのが妻の道」とばかりに、かつての部下たちと連絡をとる。

表面上、媯覧にはなびいた風を見せて「月末に喪が開けたらきっと・・・」と気を持たせる。
そして喪中には気丈に振る舞って、油断しきった媯覧を部下たちが武装して隠れている部屋に招き寄せて、見事に本懐を遂げる。

その勢いで載員を殺し、孫翊の軍を掌握し孫権に報告したのであった。
他にも孫権の側室に、趙姫という女性がおり文才があったと伝えられ、公孫淵討伐について孫権に意見を申し立てたり賢い女性であったという。

この女性で面白いエピソードとして娘に対して「決して良いことはしてはなりません」と教えていたというものがある。

娘は「では悪いことをしろというのですか?」と問い返すと趙姫は「良いことですらしてはならないのに、ましては悪いことなど!」と諭したという。

当時の賢い女性のあり方がうかがえる問答だろう。
また、呉の人間とはいえないかもしれないが、呉の支配に反発し立ち上がった南方の異民族の女性に趙氏貞という女性がいる。

23歳のときに呉に対して反乱を興した彼女は、呉軍に対して連戦連勝。「麗海婆王」と恐れられた。

これに対し孫権の命をうけ討伐に当たった陸胤は、彼女が生娘であると知って素っ裸になり、彼女が恥ずかしがっているところを討ち取ったという、面白いエピソードを残している。

ちなみに伝説によれば趙氏貞は身長9尺で3尺にもなる巨乳の持ち主で、戦うときには鎧に収まらなかったのが肩に回していたという伝説があった。
このように個性豊かな南方の女性たちのキャラクターやエピソードを元に、大喬や小喬、孫尚香、練師などの呉の女性などが形づくられていったのだろう。なかなかどうして三国志の時代の女性は華やかで強かなのであった。

漢代の『女の日』

最後に一つ、漢代の女性に対する扱いについてのヒントとなる儀式を挙げて、この稿の締めとしたい。
漢代においては毎月七日と十九日の二回を『陽祭』という名の女性の祝日とし、この日ばかりは家事や針仕事を休み遊戯や酒食を大いに楽しむことを許されたという。

これは貴族たちばありでなく、一般的に普及していた祝日である。

当時の男性の官僚たちが宮中に住み込みで働き、五日に一度髪や体を洗うという名目で帰宅することを許されたという当時の勤務形態を思えば、女性ばかりが虐げられていたと断じることはできないだろう。

『陽祭』以外にも女性たちを慰労する祝祭日は多く、古代中国社会は当時の実情にあわせて案外と大切にされていたと筆者には思えるのである。

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