酒に対して三国志でも語ろうじゃないか 第二十回 張飛02

『謹厳益徳~真面目で融通の聞かない杓子定規な張飛?~』

ああ、張飛が死んだ

221年七月。関羽が討たれ失陥した荊州を取り戻すべく、孫権追討の軍を進発せんとする劉備のもとに上表の文が届けられた。
その上表文が張飛の軍の都督からのものだと聞き、劉備は大いに嘆いて言ったという。
「ああ、張飛が死んだか」、と。
張飛はかねてより君子を尊敬しつつもも、小人を賤しみ、情というものを感じさせることがなかったという。

劉備はこのような張飛に対し「君はあまりにも刑罰に厳格すぎて人を殺しすぎる上に、毎日兵士を鞭で叩いている。しかも、そんな彼らを側近に置いていたりするとは、きっと禍を招くことになるぞ」と忠告していた。

だがが、張飛は一向に改めようとはしなかった。
詳細を聞けば、案の定、張飛は部下の将である范彊と張達に殺害され、二人はそのまま張飛の首を手柄として呉に降ったという。
張飛の死について、劉備が彼の性格を鑑みてある程度の予感を抱いていたという有名なエピソードであり、張飛という人物を論じるにあたっては欠かせない重要な『上司からの証言』である。
まず、一般的に張飛という人物について、まず思い浮かぶのが『三国志演義』に描かれる劉備陣営の関羽と並ぶ二大看板の豪傑である。

その武勇は関羽に勝るとさえ言われる。

性格は酒好きで粗暴ではあるが単純な憎めないといったものだろう。

これが兄貴分である関羽の落ち着き払った忠義心に篤い性格と対比となって、絶妙な凸凹コンビを形成して、劉備陣営の大きな魅力となっている。

主人公である劉備、その補佐役として真面目な関羽、いろいろなところでボケ役となり場面を和ませる張飛。

この三者の絶妙なかけあいが三国志演義が最初に人々の心を掴む魅力となっていることに異論がある人は少ないだろう。

実際のところ、軍記物としては破格なほど張飛のキャラクターは破天荒なものであり、他の軍記物を見ても、同じ『三国志演義』の中でさえ、これほどボケ役を徹底して割り振られている人物は稀と言ってもよい。

もはや「虎髭の張飛」は、そのキャラクター造形そのものが「張飛テンプレート」として様々な物語に応用されるほどに確立されてしまっていると言っても過言ではない。
こうした張飛という人物のキャラクター性はあまりにも強力であるため、張飛という人物を考えるにあたっては史実を見てさえ、その先入観を排除して見ることは極めて難しくなっている。

どうしても史実の張飛を読んでも、粗野で酒好きな豪傑という先入観なしで張飛を見ることができず、その死においても「粗暴な張飛は普段から部下をいたぶっていたため、その報いを受けた」と捉えてしまうのも無理は無い。
しかし、そのような先入観を排除して史実における張飛という人物を見てみた場合、「本当に張飛はイメージ通りの粗野な豪傑なのか?」。

改めて考えてみる必要がある。

張飛を演義補正抜きを読み取る

そもそも、劉備陣営において張飛は軍事における主将中の主将である。
張飛が死ぬ直前、その地位は車騎将軍と司隷校尉を兼任している。

当時の劉備軍中において車騎将軍は筆頭の地位であると同時に、司隷校尉という首都である成都の総司令官をも兼任しているというわけだ。

さらに言えば、これは特に珍しい扱いでもなく、張飛は劉備軍の中では別格として荊州に駐屯している関羽を除けば、常に劉備軍における軍人筆頭という地位に常に置かれている。
そもそも劉備にとっての関羽と張飛というのは、演義で描かれる以上ですらあるほどに劉備にとっては特別な存在である。

劉備という人物は、とにかく当時の軍人としては曹操に次ぐほどの戦歴と実績を誇ってきた歴戦の武人である。

また軍事においても政治においても独裁を好み、常にあらゆる権限を自分に集中させる体制を好んである。

意外かもしれないが、劉備は諸葛亮を得た後も、軍事や外交はもちろん、諸葛亮が何よりも得意としている内政においてすら、全て自分が統括するように組織を形成しているのだ。
もちろん、もっとも劉備が自信を持っている軍事においては劉備を掣肘できるような人物はいない。

それほどまでに自信家であり、独裁を好む劉備が、ただ二人だけ作戦上の都合があった場合、その権限を移譲して別軍を任せるのが関羽と張飛なのである。
これは徐州において初めて根拠地を持った時期からまったく変わることなく、益州侵攻戦においては荊州軍は関羽。

後に援軍としては張飛に諸葛亮をつけて江州方面を切り取らせている。

さらに漢中侵攻戦の前段階でも、張飛を先鋒として張郃に当たらせている。

まさに劉備が自分の分身としてただ二人、その能力と忠誠心を信頼しているのが関羽と張飛の二人なのであった。
さて、以前にも書いたが、古代中国においては紀元前からすでに文書行政というものが政治、軍事ともに確立されており、数万という兵力を秩序だって動かす根幹ともなっている。

このため、ある程度以上の地位にある軍人は、その職務として当然のように文書の起草から決済に至るまでの各種、文書処理をこなさねばならず、さらに配下の軍官僚たちを手足の如く使いこなせなければならない。
イメージは壊れるかもしれないが、劉備の挙兵当時から関羽も張飛も、このような軍官僚としての文書仕事に携わっており、なおかつ有能であった。

というよりも古今東西、あらゆる軍人は否応なしに、そのような文書仕事が中心だったりする。

ちょっと面白い事実としては、実は劉備配下の軍官僚として呂布征伐の後、先に中郎将に任じられているのは関羽ではなく張飛であった。

このように文書を処理する能力を保有しているからこそ関羽も張飛も劉備配下の二大看板として別軍を任され、最終的には一国にも匹敵する軍を任されるようになっていたわけである。

張飛のイメージの大転換

要するに演義などでイメージされる「粗野な豪傑」は後世になって物語を面白く進めるために作られたキャラクターだと考えたほうがよさそうである。
もちろん、長阪において追撃してくる曹操軍の前に立ちはだかり「我が名は張益徳、生死を決して戦わん」と豪語して曹操軍を恐怖させた武勇も史書に残されている。

いわば張飛は文武両道に長けた軍人であったろうし、そうでなければあれほど自分の軍事能力を自負している劉備が分身として別軍を任せるはずもなかった。
このように先入観を廃して人物像を再構成してみる。

すると張飛の死因となったとされる「小人を賤しみ、情というものを感じさせることがな」く、劉備に「君はあまりにも刑罰に厳格すぎて人を殺しすぎる」と忠告されたという。

この事実も、粗暴で部下に辛く当たったというよりは、軍中の規律に厳格すぎるほどに厳格な、また儒教的倫理観における「小人」を嫌った潔癖すぎるほどに真面目で教条的な軍人であった張飛という人物像が浮かんでくる。
そもそも張飛が刑罰に厳格すぎるというのも、実は劉備が張飛を司隷校尉に任じた時に、その辞令において「徳義をもって服属するものを慰撫し、刑罰をもって反抗するものを制裁して、朕の意志に添え」と言い添えられている。

こう命じられたのを真面目に守りすぎたという面もないとは言えない(一方でその後段で、厳しすぎるのもよくないとも書いてはいるのだが)。
厳顔に対する態度や、劉巴に罵倒されたエピソードを見るにつけ、張飛は儒教的道徳に厳格で、それを身に着けている君子人には卑屈なほどへりくだり、そうではない人間には厳格すぎる上に、刑罰を加えるという、演義のイメージからすると意外なほど杓子定規な教条主義的面が浮かんでくるのである。
このような真面目すぎるほど教条的な人物で、なおかつ個人的な武勇にも長けた軍人というのは、乱世の混沌とした社会や軍において秩序を再構成するにおいては大いに役立ったに違いない。

劉備もそうした軍律を守らせ、秩序を再構成することができる張飛という人物を大いに重宝し、活用したのだろう。
だが、こういう人物は平素から煙たがれるのは今も昔も変わらない。

これがある程度勝ち組に所属しているならば、多少の不満があったとしても部下たちは従ってくれるだろう。

だが、その陣営が危機に陥った場合、真っ先に報復の対象となって反乱されるのもこのような人物である。
真面目で融通がきかず、すぐ法を適用して処罰してくる張飛を煙たがった配下たちが、一度劉備陣営全体が危ういと見ると掌を返して真っ先に張飛に反発してくるという例は、実は以前にもあった。

徐州時代、袁術軍と悪戦苦闘していた劉備軍の留守を任されていた張飛は、曹豹に反抗されてその隙を伺っていた呂布に敗れて徐州を失っている。
そして今また、関羽を失い荊州を失陥した劉備陣営は動揺している。
劉備の心によぎったのは、徐州を失ったときのことに違いない。

かねてより部下たちから煙たがられていた張飛は、一度、劉備陣営が弱体化したと見られてしまった場合、真っ先にその不満のやり玉に挙げられる危うさがあった。

そして、その上表文の記名が張飛ではなく、その都督であったと聞いた時、劉備は悟ったのだろう。
「ああ、張飛が死んだ」
と。
そして、劉備は自分の孫権征討の大戦略における最も重要なピースの一つが欠けたことを悟らねばならなかった。
関羽を失い、唯一、自分が別軍を任せる事ができる張飛を失ったことは、劉備にとって戦略の自由度を一つもぎ取られるも同然であったのだ。

ここにおいて、劉備の孫権征討軍は、劉備本軍と張飛軍という二枚腰の編成を取ることができなくなる。
後世から見れば、夷陵における劉備の大敗の要因は、すでにこの出生前に一つ積み上げられたと言ってもよかっただろう。
張飛の秩序とはすなわち、劉備軍の秩序の担い手を失ったも同然なのだから……。

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