表現の自由とは

スピルバーグやジョージ・ルーカスレベルの監督が「エンリコ・フェルミが原爆を美しいものを作る姿として描いた映画」を作ったとしてそれを肯定できるかどうか?

宮崎駿の『風立ちぬ』への評価にそういう視点が一切なかったことを私は危ういと感じているし、ましてや後に彼は原発反対運動に加わっている。

ゼロ戦は美しい飛行機だと私も思う。
一方で原爆の光も、見方を変えれば「美しい」のだ。
表現の自由とはそういう過酷さもあることは言っておきたい。

もう一つ言ってしまえば、高畑勲の『火垂るの墓』
あれは「怠け者で額に汗して働いたことのない共産シンパの労働貴族が作った反戦映画を、労働者階級が見て涙を流す滑稽な作品」という見方もできる。
私が火垂るの墓で泣けないのはあの映画の貴族臭に耐えられないというのがある。

一方で私は色んな人を殺した艦船の擬人化したアズールレーンをエロいと感じて楽しんでもいるし、中国の表現規制に不快感を抱いている。
ただ見方を変えれば、実際に殺人機械として働いた艦船の擬人化でシコるという醜い姿でもある。
自分のそういう醜悪さに気づくかどうか必要だと思っている。

表現の自由とは必ずそういう醜悪さや矛盾、残酷さを抱えたものだということは言っておきたい。

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