かつてログインソフトの兄貴分的な感じでプログラムやデザイナーなどをやっていた、ライターさんがいた。
私は1998年頃、帰りが中央線で国分寺駅と西国分寺駅だったので、よく一緒に帰りながら、二人でインターネットやパソコンで一山当てようぜ! と語り合った。
それは、日曜日も西国分寺の和風ファミレスでも続いて、いつの間にかまだ勃興期だったインターネットで『秘密シークレッド団』を名乗り、謎の組織として暗躍しようとしていたのであった。
そこでは、石原潔氏がネットでどこからか氏入りてくる怪しげなネタで変なコラムを書いたり、俺がその下で『OVERLAD』というテキストサイトを開いたりして、なにかゲームかアプリを作ろうとしたり、思い込みだけでログインに特集記事を作らせたりしたものであった。
とにかくふたりとも若くパソコンとインターネットの未来をまだ信じていたので、きっと何者かになれるだろうと信じていたのだ。
だが、突然石原潔氏はログインの連載『おはようインターネット』執筆中に倒れる。潰瘍性大腸炎だった。
今だと安倍総理で有名になり完治する薬もできたのだが、当時は治療法もなくステロイドなどの投与でごまかしているような状態であった。
そして入退院しながら、記事やコラムを書き続けていたが、早逝されてしまった。
彼のどう考えても20年は早かった情報収集能力や先見の明は、あのまま活動を続けていたら、きっとどこかで華を開いたと思うのである。
たぶん、それからの時代もっとも必要とされた「インターネットとパソコンの夢」を旺盛な知識欲と最先端の情報源を見つけてくる創作力で活躍したに違いない。
今でも彼と作った記事はいつも楽しかったし、これからも楽しく活動したかったと思うのである。
時々、思い出しては、今いてくれたらなーと思ったりする。
というわけで、遅いかもしれないがせっかく自由にできるブログもできたし、追悼というのも今更だが、石原さんとやった記事を振り返っていきたいと思う。
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