犬猫をいじめたり虐待している人間を見た時、人は性癖の問題ではなく、生理的嫌悪感を覚えるだろう。
性癖とか思わず、ただ不愉快でしかないと感じるだろう。
しばしば、サディズムと虐待やいじめを混同する人がいる。
だが、サディズムは「Sこそ奉仕」と言われるようにマゾヒストとの信頼関係があって成り立つ性癖である。
いじめや虐待は、猿でもニワトリでも行うただのマウンティング欲による嗜好に過ぎないし、それ以上の大した意味はない。
これは『ゆっくり虐待』という恥ずべき嗜好を楽しんでいたりするからわかるが、マウンティング欲を満足させているだけの、実に幼稚な欲望でしかないのだ。特殊な性癖でもなんでもない。
話が逸れたが、とあるリョナ系のイラストレーターさんが、「山城はいじめられない」とアズールレーンの同人誌を描けなかった事をコメントしていたりしていたが、その気持ちがとてもよくわかるのである。
アズールレーンの山城はリョナれない。
なぜなら、「殿様❤殿様❤」と慕ってくれる山城をいじめたりしたら、それはリョナでもなんでもなく、ただの犬猫に対する虐待と同じで、見てもただの生理的嫌悪感にしかならないからだ。
想像してみてほしい。
あくまで思考実験としてだ。
山城を殴ったりするのを想像して見てほしい。
心がもう痛い。
だめだ、無理。
つらい。
しかも、山城はきっと殴られた自分のことより「指揮官がどうしてこんなことをするのか?」とか心配してきそうなのである。
本当、天然であの子はそういう事をする。
殿様を疑うことさえしない。
だーめーだー。
もう山城をいじめた時点で、そんな指揮官には生理的嫌悪感しか覚えないだろう。悪役ではなく、ひどく矮小なクソガキ以下のチンカスにしか見えない。
誰がそんなものを描きたいと思うだろうか? 読みたいと思うだろうか?
そう、山城の純真さの前では、人は無力になるしかないのだ。
もう、いじめるの想像しただけで心が痛む。
どうもアズールレーンは、こういう「動物っぽい」子が多くて、酷いことしようとするのをためらわれる所がある。
アズールレーンのキャラ性の一つには、そういう部分があるような気がしてならない。なんか、本当、愛玩したい。かいぐりしたい。なでなでしたい。
恋愛感情以前に、そんな庇護欲が出てしまうのは、私が年をとったせいもあるだろうが、こういう「動物っぽさ」もあるんだと思う。
山城かわいい。