楽しむという事は自分を知るということ

私が、どうして「まとめサイト文化」的な覇権やらオワコンやらという概念が大嫌いなのかをまとめてしまえば、「楽しみ」という事を自分から放棄していくことを強要するまとめサイトやその住民たちが本当に嫌いだからだ。

コンテンツを「楽しむ」という事は、実は他者としてコンテンツを評価するものではない。

「楽しむ」というのは、とどのつまり楽しんでいる自分を発見する作業に他ならないからだ。

つまりコンテンツの評価というものはあくまで「自分」の中にあるものであって、それを覇権やらオワコンやらで「他者」の評価に影響されるものではない。

例を挙げよう。

私は今熟成されたゲームである『スカイリム』を楽しんでいるわけだが、チートは使うしMODは入れまくっている。

こういう楽しみ方を純正主義者の人からすれば「邪道」だと思ったり、チートを使うことをすぐ「ゲームを楽しめなくなる」と短絡する人も多い。

しかし、私は自分自身をよく知っている。

「こういう部分が面倒くさくなると作業したくなくなる」という部分は何千何万とゲームをしているので当然自分でもわかっている。なので、そういった作業をへらすためにはチートもMODも使う。

スカイリムで言うならばバニラの序盤の弱い状態で何日も金策やレベル上げをするのはたるい。こういう部分はもう少し緩和する。

逆に決まったレシピで決まった錬金で金策とレベル上げをするのもたるいので、逆に錬金レシピや鍛冶レシピを豊富に面倒くさくするMODは入れる。

「いろいろレシピを試行錯誤して金策を見つけ出す」という作業は好きなので、こういう部分は複雑化させるのだ。

このように「自分が嫌いな要素」はパージするためにチートやMODは使うし、逆に「自分の好きな作業は増やす」ためにMODで面倒くさくしたりする。

MODをいじれとはいわない。

ただ、これだけコンテンツが豊富にある時代である。

自分自身の好みや好きな要素を把握して、その好みに合ったものを選択していく努力は必要だろうと思うのだ。

というよりそこが楽しいのではないか!?

なので、他人に覇権やオワコンなどと強いて、そういった努力を放棄させようとするまとめサイトは大嫌いだし、そういった努力を放棄しているまとめ民たちも大嫌いなのである。

自分が楽しいことぐらい自分で見つけろ

つくづくコンテンツが溢れかえっている時代だからこそ、こういう努力はすべきだと思う。私は好みが合わなくてもそういう努力をしている人は好きだし、同じゲームにハマっていてもそういう努力を放棄している人は、塩対応になる。

それが私の価値観だからだ。

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