めんどうくさいこと言うと

「否定することは誰にでもできる」

と、よく言うがそれは正しい。

だが、ものの好き嫌いをそのまま書いては文章は書けない。

「好き」と書くにしても、ただ「好き」というだけでは面白がってくれないから、ただ好きという感情を否定して、なぜ好きかどう好きかを考えていかないと文章にならない。

そもそも表現とは、事象や感情を否定することから始まるものだと思っている。

別に事象や感情は文章や絵や映像にしなくても、そこに存在するものなのだ。

それらをあえて別なものに加工するということは、事象や感情を否定して加工する事にほかならない。

私は宗教家ではなく文章屋だから、すべての事象や感情をありのままに受け入れることができない。

すべてかありのままにあればよいものを、わざわざ否定して、それを文章として加工するのを生業としている。

だから、たとえ好きと言ったり褒めたりする文章であったとしても、それは好きだったり感動したという素直な生のママの感情を一旦否定して、文章という型に押し込んでいるのだ。

あるというのはないの否定であると思う。

ないことを拒否したのがあるというものだ。

だから最低の事象に対する感情は、存在している事すら気が付かない虚無であろう。

つまりは嫌いであったり否定したくなったりすることですから、それはないことへの否定なのだ。

簡単に「否定するのは誰でもできる」とも言ってほしくないのである。

否定するためには、どのような形であれ一度はその事象を受け入れねばならないのだ。

否定というのは虚無ではない。

好意や受容も否定から始まる。

などとすごい面倒くさいことを考えていた。

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