【コミュニティの一生】のコピペについて

ひろゆきの書き込みから派生した、『コミュニティの一生』というコピペがある。

【コミュニティの一生】
面白い人が面白いことをする

面白いから凡人が集まってくる

住み着いた凡人が居場所を守るために主張し始める

面白い人が見切りをつけて居なくなる

残った凡人が面白くないことをする

面白くないので皆居なくなる

これを読んだとき、確かにそうだと思った人は多いだろう。

ただ、反面、「あ、俺は面白い人じゃないから関係ないや」と思った人もおおいのではないかと思う。

しかし、少し違うのだ。

「面白い人」というのは必ずしも「創作者」や「発信者」である必要はないのだ。

むしろ、面白いコミュニティが形成される中で、「創作者」や「発信者」の役割を担うのは1割ぐらいしかいない。

だからといって、そのコミュニティを形成する9割の人が「面白くない人」というわけでは決してない。

面白いコミュニティを形成する残り9割の人は「観客として面白い空気を作れる人」なのである。

むしろ、面白いコミュニティの形成においては、この「観客として面白い空気を作れる人?」の役割の方が大きいとさえ言える。

いくら面白い事をいったり、優れた表現をしようとも、この9割の観客がいなければ、どんなに面白い表現や創作も空気と化して雲散霧消するだけなのである。

面白いコミュニティというのは、「面白い空気を作れる観客」が形成するものなのだ。

では、どういうものが「面白い空気を作れる観客なのか?」

それは、私は「創作者や表現者、そして自分たち観客に良い意味での緊張感を与える人々」だと思っている。

観客たちが「面白い場を作ろうという緊張感」を作ったとき、創作者や表現者たちは発奮し、観客たちの熱も自然に上がっていく。

しかし、観客たちが「コミュニティの面白さよりもコミュニティの居心地」を優先した途端、それはあまりにも儚く崩れ去っていく。

これが「住み着いた凡人が居場所を守るために主張し始める」という段階なのだ。

そうなると完全に場は、創作者や表現者たちも観客たちも「コミュニティの居心地」を優先するようになる。

そうなれば緊張感は雲散霧消し、面白いものはもう作れなくなる。

あるのは、ただ内部に向かった居心地だけだ。

そういう意味では「面白いコミュニティ」というのは、常にある種の居心地の悪さを抱えているものだと思う。

例えて言うなら、「面白いコミュニティ」というものは、みんなが息を止めて、面白い事を起こしたときに噴き出せるように耐えているようなものだ。

この耐久競争に耐えきれなくなって、自由に呼吸をしようよと言い出してしまったら、もうその緊張感は終わる。

面白さというものは一種の息苦しさと引き換えにするものなのだと思う。

初期の2chやニコニコ動画にはその空気が間違いなくあったし、ある種の怖ささえあった。

その恐ろしさに耐えきれなくなった挙句、居心地だけを主張するユーザーだらけになって面白い人たちが去り、もはや人さえいなくなってしまったのが今の体たらくである。

実は、この緊張感を人工的に形成することは意外に単純な所にある。

「お金をとればいいのである」

お金を払った観客たちは自然視線も厳しくなるし、お金を受け取った創作者や表現者たちは、その尾根に見合った働きをしなければならないと緊張する。

お金をもらった創作者や表現者が増長したり、お金を払って観客がお客様は神様だと勘違いしなくならない限り、ある一定の緊張感は確保される。

実は、創作物や表現物におけるお金を取るという効果は、表現者や創作者たちを生活させるだけでなく、一定の緊張感を形成するという効果があるのだ。

だから、無料のコミュニティには面白い空気は作りにくいし、よくわからない変な雑音も集まりやすくなる。

この効果だけでも「金銭を授受する」というシステムは本当によくできていると思う。

そのよい例がテレビだ。

基本的に広告で運営され無料で見られるというシステムは、資本主義メディアの中期段階までは、創作者や表現者たちに資金を与えて、大変うまく回転してきた。

しかし、今は見る側も作る側も回っている資金に対して麻痺してしまい、もはや「無料の場」に近い緊張感のなさに堕してしまった。

それがテレビの衰退の大きな要因だと個人的には思っている。

面白いコミュニティを作るためには?

あなたは表現者や創作者である必要はない。

ただ、居心地の良さよりも面白さに貪欲であってほしい。

そして表現者や表現者たちが面白いものを作り出せるような空気や環境を整備して欲しい。

お金を払わなくてもできることはいっぱいある。

たとえば、私はふたばでアズールレーンスレのスレあきをしているが、そこでは私はできるだけ投稿しないようにしているし、面白い事を書こうとも思っていない。

しかし、できるだけテンプレが読みやすいように整理したりしているし、運営からのお知らせをすぐに反映できるようにしている。

また、対立荒らしや荒らしやもめそうな空気になったときは削除権限を発動したりもしている。

基本は、居心地のよさよりもある一定の緊張感は忘れないでねという空気を作ろうと思っている。

自分が表現者や創作者でなくても、コミュニティの石拾いぐらいは誰にでもできるはずなのだ。

大切なのは「石を拾おう」とする態度と、居心地の良さを求めない気持ちだ。

それだけで、あなたは「面白いコミュニティ」の一員になれる。

それは誰にでもできて、とても簡単で、そして実は難しい事なのだ。

面白さは表現者や創作者が作るのではない、環境と観客が作るのだ。

覚えておいてくれると一表現者としてありがたい。

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