買い物とは自分を買う事でもある

やはりデフレ根性が日本人に染み付いちゃっているんだと思う。

東南アジアなどで安いものを値切って現地の人に嫌がられたりする日本人旅行者や安物をさらにメルカリなどで安く買って得したと喜ぶ人たち。

どうも「失われた20年」の間に日本では、「値切って買う」ことや「安く買い叩く」という事が「買い物上手」とされ、美徳とされるようになってしまっているようだ。

しかし、ここで一つだけ心得てほしい事がある。

どんな買い物でも取引には「相手」がいるのだ。

「相手」からすれば、値切って買う事や安く買い叩く客は上客には見えないし、そういう客を大事にしようとは思えない。

これと同じような事は、原稿料や印税、いや給料や報酬や労働条件でも同じ事が言える。

相手に金を渡すという事は、「相手から見た自分を買う」という事でもあるということをもっと今のデフレ根性が染みついた日本人は思い出して欲しい。

別に見栄を張れとか、高いものを買えと言っているわけではない。

正当な報酬でお互いに取引すればお互いに「あ、ちゃんと取引できる相手なんだな」と認め合える。

そういう関係をより多く構築していくのが、「買い物」なんだと思う。

今時、よほど酷い店や転売屋でない限り、普通の店なら普通の値段で売っている時代なんである。それを「少しでも安く!」と値切ったりすれば、どこかで犠牲が生じる。

それは生産者かもしれないし、中間取引の人かもしれない、小売りの人かもしれない。

そういう犠牲を相手に強いる人と、よい関係が結べるだろうか?

買い物や取引というのは、ただ「物品」を買うだけではない。人と人の信頼関係、強いては取引相手が見る「自分を買う」という事なのだ。

もう一度言うけど、別に高い金を出せとか、贅沢をしろと言っているわけではない。

ただ、生産者も取引相手も自分も笑顔でいられるような関係を「買う」。

そのことを忘れて、無意味なぐらい値切ったり、サービスされて当然と考えたり、さらにそれが行きつくところまで行くと「俺だけが損をしている」と思い込んで、クレーマー化したりする人もいる時代である。

「物を買う」という行為において、「物品を買う」だけでなく、「相手から見える自分を買う」という事も意識するようにするだけで、ほんの少しこの国は豊かになれる筈である。

どんな小さな店にも人がいる。

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