報酬とは食うためではなくクリエイターを鍛える『投資』である

報酬とは食わせためではなくクリエイターを鍛える『投資』である

ライターの価格相場崩壊

ここ20年でライターの原稿料は桁が変わるほどに急激に下がっていった、デフレというもんじゃない、底が抜けたレベルだ。

何しろ20年前は弱小出版社のゲームライターですら800文字5000円ぐらいは貰えたものである。景気の良い会社だと1ページ400文字ぐらいで5万円という雑誌まであった。

まあ、私なりに常識的な相場として「ペラ一枚(400字詰め原稿用紙)5000円」を自分の相場としている。

ところが今はweb媒体が価格破壊を起こして「1記事1万円」でも高いと言われる始末だ。それどころか底辺のライターだと、「10記事で2000円~3000円」というレベルだ。中には「10記事で1500円、そして2万円分溜まったら支払う」とか言い出す案件さえある。

もはやライターの相場は桁が1つどころか桁2つ外れてしまったのがライターという仕事だ。

出版社からすれは経費やすくwebサイトを作れて万々歳、ユーザーからすれはタダで記事を読めてウレシー!ってものだ。

しかし、忘れてはいけない「仕事の報酬」というものは「その仕事に対する責任の対価」でもあるのだ。「10記事2~3000円」とか言うような、はっきり言ってしまえばテキスト打ち込みバイトレベルの仕事に、だれが責任を感じるだろうか?

こういったライターが書いている記事は、どこかのコピペを少し語尾を書いたような記事だし、書くことと言えば個人の感想レベルの記事。

想定読者など存在しないだろう。

そもそも既定の文字数を埋めれば満足というレベルなのだ。

まあいい、そういう仕事で満足している人もいる。

そういう仕事をしているライターの文章ははっきり言って内容が薄いし、そういうライターが同じようなノリで自分のブログを立ち上げていたりするのをよく見るが、内容はただSEO的に強くてGoogle検索の上位にくるが、読んでもなんの解決にもならないような記事ばかり。

つまりは、そういう責任感のない仕事をしている連中は、「自分の看板で原稿を書く」という意味が分かっていないというより、「そもそも知らない」のだ。

だから、文章に起承転結もないし、面白い結論や思考の過程、いろいろ取材や調査をした後が見受けられない。

よく言って、「なんとなくネットの知り合い1-5人ぐらいの意見」を聞いていればマシという体たらくだろう。

きちんとした原稿料で、「自分の看板で仕事」をして「原稿料なりの責任」を背負わされた事のない人間にそういうのを求めるのが間違っているし、そもそもそういう経験が彼らにはないのだ。

たまたまGoogle検索やTwitterの流れのおかげでそういう記事がバズったりするが、バズったとしても、本人は意外なぐらい成長しないことが多い。

それはそうだ、自分の原稿の力でバズったわけでなく、どこがよかったか悪かったか精査して原稿を書いたわけではないのだから。

タダより高いものはないのだぞ読者も

また、読者にしてもそういった者たちが作っているネイパーまとめやキュレーションサイト、まとめサイトなどをタダで読める事を喜んでばかりもいられない。

そういうタダの記事ばかり読んでいると、間違いなく思考力が下がる。

これは別に偏見で言っているわけではない。

Twitterや5chやブログなどでよく見かけるはずだ。

「あーコイツ、ネイバーまとめやまとめサイトしか読んでネーナ……」ってわかってしまうほと、薄っぺらい政治思想、歴史認識、ゲームへの偏った偏見などで凝り固まった人たちが。

冗談ではなくそういう人間がシャレにならない規模で増えまくっている。

私だってネイパーまとめやまとめサイトやキュレーションサイトを読んだりもするし、楽しんだりもしている。

しかし、それだけでは絶対に足りないものがあるので、いろいろなサイトや本や実際にゲームをプレーしたりする義務感が常に生じている。

しかし、生まれたときからそういうタダのキュレーションサイトやまとめサイトにどっぷりつかって、無責任な、ライターがただ手癖だけで作っているような文章に影響されてしまい、完全に薄っぺらい原稿をネットに振りまくようになってしまった人がいる。

若者だけではなく、わりと歳食った人でも多い。

特に最近はスマホなどで、突然ネットの世界に放り込まれ、とりあえずヒットするキュレーションサイトやまとめサイトだけを読んでしまい、どっぷりハマって思考がそれそのものになってしまっている中年老年世代も増えている。

「タダで読める記事」というのは良いものかもしれないが、同時に麻薬のように思考と精神を蝕んでいくものでもある。

タダ同然でこき使われるライターたちによって数だけは大量に生み出され、ほぼタイピング料レベルの報酬しかないから、責任感もクソもなく書き散らされた記事。

そして、そういう記事ばかり読んで、いつのまにか洗脳状態のように、まとめサイトやキュレーションサイトの適当な記事そのままの言動をする人々。

ゲームや政治ならまだしも、医学方面や健康方面でもそうなったりしている。

水素水を笑えない話なのだ。

高い報酬はクリエイターを鍛える『投資』だ

さらに言うと、かなり大手で有名な記事サイトでも「1記事1万円」が「高い」と言われていたりして、価格破壊にもほどがあるだろうという。わりと体を張ったり、取材とかしているのに、だったの1万円である。

高いもクソもない、大手で有名なサイトがそんなレベルの報酬で、前述したようなライターの「憧れ」だったりするのだから、ハードルが低いにもほどがある。

本当にライターばかりかイラストレーターや漫画家などのクリエイターへの報酬が、ここ20年間のデフレ期で思いっきり相場が下がって、それが当然とされるような風潮になっている。

実際、ライターへの印税率がいつのまにか10%から平気で8%や7%を要求するようになっているのもご存じだろうか? 私は身をもって知っている。

さらに言えば出版業界の初版発行部数が激減している。

私一人にしても宝島社の『真実の三国志』が1万5000部、『累卵の朱』が2万部であった。それで印税率は10%。

ところが近作のイカロス出版の『越天の空』は初版発行部数4000部、印税率は8%である。

確かに出版業界の台所事情はよくわかるが、最低限の部数を出さねば全国の書店まで本が出回るわけもないし、書店に並ばなければ本も売れるわけがない。

その上、報酬が低くなってしまえば、食っていくにも困るわけだ。

だが、聞いてほしい。

高い報酬はライターやイラストレーターや漫画家などのクリエイターを喜ばせたり食わせたりするだけではないのだ。

高い報酬を与えるかわりにクリエイターに『報酬に見合った責任』を背負わせるというのが最も重要な部分なのだ。高い報酬を背負ったクリエイターは、その分の責任を背負い、そのために内容を練りこみ、精査し、様々な人やブレーンを動員して、より高い価値のものを作ろうとする。いや、しなければならない責任を背負うのだ。

欲得の問題以前に、責任感と高価値のものを生み出すための「投資」。

それがクリエイターに対する報酬の真の意味なんである。

ここの所、出版界では特に原稿料や印税、広報姿勢などの問題がTwitterやブログなどで暴露されて、揉め事になる事が増えてきている。

それはそうだ、なにしろクリエイターたちは、「そこまで責任を負えるほど、黙って従っているほど報酬を貰っていない」のだから。

これも『投資』を怠った結果である。

投資を行わない工場が、設備が古くなったり壊れたりして、工場そのものが機能しなくなったり、事故を起こしたりするのは当たり前だ。

同じように「生産設備」であるクリエイターに『投資』を行わなかったりケチったりする出版業界が、機能不全に陥り、実際急速に業績を悪化させているのは当然だろう。

これもデフレ期に経費削減ばかり行い、クリエイターに対する『投資』を削ったり怠ったりしているだけだ。

そりゃ「生産設備」だってギスギスしていき、やがて悲鳴を上げる。

確かにクリエイターのほとんどは、物書きや絵描き、音楽などが好きでやりがいを持って働き始めた人たちばかりだ。

しかし、その「やりがい」だけでは食っていけなくなるし、さらに言えば人間『責任』を背負わされないと寂しくなるものだ。

『自分はこの程度しか評価してもらっていないのか……』

銭金の問題も大きいが『責任』や『期待』を感じないでいると人間の精神は消耗する。

原稿料などの報酬の問題はただの銭金、食っていけるいけないの問題ではない。

ちゃんとした『投資』をされないと、クリエイターは責任を感じないし、また自分を鍛えることもできなくなっていく。

また、前述したように、ちゃんと投資をされていない成果物は読者の精神や教養さえも奪っていくのだ。

ひいては業界全体が、『低レベルへの縮小再生産』になっていく、いや、もうなっているのが今の出版業界なんである。

原稿料や印税をただの報酬で会社が損すると思わないでほしい。

それは『生産設備』への正当な『設備投資』なのだ。

しかるべき企業としてのありかたが問われている。

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