【注・R-18G ゆ虐】人間社会でゆっくりしていってね!

諸注意!

ここから先は18禁グロである、ゆっくり虐待と呼ばれるジャンルの小説なので嫌いな人は直ちに帰っていただきたい。

元々、饅頭関係はどうするか悩んだのだが、こういうのを掲載するために自分でレンタルサーバーを借りたのだと思い掲載することにした。

なので嫌いな人は嫌いなままでいいので、読まないでいただきたい。

私が好きで書いただけのものを発表するだけの話です。

【R-18G】人間社会でゆっくりしていってね!

「おはよーございます、おおきなおうちのにんげんさん 」

毎日、玄関先の元気な甲高い声の合唱がこの家の朝の訪れを告げることになっている。

エントランスには、サッカーボール大の成体のゆっくりまりさが二体、後ろにはぱちゅりーとちぇんが待っている。

彼らは四匹で棒と板切れで固定された大きなポリバケツを神輿のように担ぎあげながら、家人が出てくるのをニコニコとした笑顔で待っている。

その声に、まだ眠そうなこの家の奥さんが出てくる。手にはポリ袋を一つ。

「あらあら、ゆっくりさんたち。おはようさん」

「おはようございます、おねーさん。まりさたちはごみのかいしゅーにきたのぜ

四匹のリーダーらしいまりさが、元気な笑顔で返事をする。

「はいはい、毎朝ごくろうさま」

と奥さんはゆっくりたちが担ぐポリバケツを開けて、手にしたポリ袋を放り込み蓋を閉める。

少し重量がふえたが、一日分の一般家庭のごみなら彼らは慣れたものである。

誇りにまみれた小麦粉色の肌の顔色一つ買えず、少し身をかがめるように決まり文句を唱える。

「むきゅ「「にんげんさん、いつもごみをありがとーございます」なんだねーわかるよー」なのぜ」」

「またあしたもくるよ

とリーダーまりさが最後に締めて、ゆっくりたちは器用に彼らの言う「ごみさんおみこし」の向きを変えて、エントランスから門を出ていく。

門については毎朝、この家のご主人が新聞を取りにきたついでにゆっくりたちのために開けておいてあげている。

帰っていくゆっくりたちの背中に奥さんは労をねぎらうために、言ってあげる。

「みんなも今日はゆっくりしていってね」

「「「「ゆっくりしていってね」」」」

と振り向けないのでそのまま彼らはベストのタイミングで合唱する。

これがこの街、M市のゆっくりたちの一日の始まりであった。

 

ゆっくりたちが世に現れて10年という年月は、人間にとってはこの謎の多い『不思議饅頭』たちを社会に受け入れさせるのに十分な長さであり、ゆっくりたちにとっては良くも悪くも人間社会に適応させるのに十分なほどの世代交代を重ねた永遠に近いような年月であった。

その中でもM市はゆっくりたちの社会利用に先鞭をつけた都市でもあったが、多かれ少なかれゆっくりたちは、現在のところ社会に溶け込み、有効活用されている。

もしも、アンケートをとれば『ゆっくりは益獣である』という返答が圧倒する筈だ。

気の早い学者によっては、「ゆっくりたちは人間に与えられた新たなるパートナー」と定義づけている者たちさえいる。

「「「「んーしょ、んーしょ」」」」

まだ人通りが少ない中、「ごみさんおみこし」を担いだゆっくりたちが歩道をできるだけ邪魔にならないように進んでいく。

通勤時間前に運び終えるよう義務付けられている彼らはおみこしをかついでいるためぴょんぴょんすることはできないが、できるだけ早いずーりずーりで担当の家を回っていく。

だいたい成体四匹一組で1班。1班ごとに34件回ることになっている。

また、朝よりも昼や夕方のほうが都合の良い家庭やアパート、マンションなどもあり、朝に「ごみさんおみこし」を担いだゆっくりたちが歩道に殺到するというようなこともない。

そのあたりのローテーションについては、市の清掃局の担当官が厳密に管理している。

それでもそこここから、家々やアパートマンションのゴミ集積所を回った「ごみさんおみこし」を担いだゆっくりたちが現れ、ある目的地に向かって集まっていく。

ただし彼らが歩道を占拠するようなことはない。きちんと列を作って、一列縦隊にゴミバケツを担いだゆっくりたちは進んでいくのだ。

どのゆっくりたちも、ニコニコ笑顔を、むしろ不気味なぐらい崩さないようにして一生懸命進んでいく。

「「「「んーしょ、んーしょ、んーしょ、んーしょ」」」」

私語は許されない。甲高い彼らのしゃべり声は、さわやかな朝の中には少々うるさすぎる。

そして、少しずつ郊外に出始め、人通りが少なくなっていくうちに、人間の目が離れていくにしたがって、彼らの顔から人懐っこい笑みが失われて、だんだんと苦しみと悲しみを背負った苦悩の表情への変わっていく。

ゆっくりと、ゆっくりしない表情に。

「ゆぅ……」「ゆぐっ」「ゆひぃ」「ゆっゆっゆっ……」「ゆゆ……」「ゆっぐ……」「ゅう」などなど。

それでも悲鳴も私語も漏らさずに、ただ何か生きることそのものに耐えるような声が彼らの餡子の中から漏れでてくる。

そのうち彼らは一様にだらだらと目から涙を溢れさせながら、綺麗な縦隊を形成していく。

仲間たちの涙を踏みしめながら、ずーりずーりと進んでいく彼らが通ったあとには、ぬらぬらと糖分を含んで濡れる軌跡が刻まれていくのであった。

いつしかその道は「ゆっくり涙道」と呼ばれるようになっていた。

「にんげんさんたち くつみがきするよ あんよをきれいきれいにしていってね

M駅前の広場の一角にゆっくりまりさたちが10匹ほど並んでいる。靴磨きゆっくりだ。

「ゆっ 人間さんいらっしゃい。あんよのおかざりさんをぺーろぺーろするよ

「ああ、お願いするよ」

彼らの前にある靴台に足を置いたサラリーマンの靴をまりさは一生懸命舐めていく。

地方都市であるM市は、まだまだ緑地や土の残る場所も多く、また通勤路によっては田んぼや畑のあぜ道を通ってくる人も少なくない。

そんな人たちにとって、駅の「ゆっくり靴磨き」は大変便利なものであった。

何しろ無料である。

彼らへの報酬はただひとつ「生きて良い」ということのみ。それだけで十分すぎる。

革靴についたドロやホコリやゴミを器用に舐めとっていくまりさ、どんな生まれをしてもどれだけ繰り返しても慣れない屈辱を勤労精神あふれる笑顔に隠すよう訓練されている。

だが、それでもうなじに疲れとは別な嫌な汗がじっとりと滲んでくるのは止められない。

「おい、まりさ」

「な、なに にんげんさん」

「なにか忘れていないか

びくっ、と舐めるのを止めたまりさの顔に今度は別に冷や汗がはっきりと頬に流れ落ちてくる。

「は、はぃぃぃぃ

真っ青な顔になったまりさは、慌てて靴舐め作業を再開する。ただし、今度はBGMを自ら奏でながら。

「ぺーろぺーろ、しあわせー にんげんさん、あんよをまりさにぺーろぺーろさせてくれて、ありがとうございます

目尻に涙を浮かべながら笑顔で靴を舐めていくまりさの様子を見てサラリーマンはうなずく。

別にサラリーマンはゆっくり虐待趣味があるわけではない。

ゆっくりという不思議饅頭は、あらゆる言葉や行動の一欠片でも隙があれば、それを極限にまで拡大解釈して増長する。

駅前の靴磨きのようにゆっくりにしては専門的な職場を与えられたゆっくりは、特に増長しやすい。

先ほどのように「ああ、お願いするよ」とか「いつもありがとう」などという人間からの感謝や挨拶を際限なく大きく解釈したあげく、ほぼすべてのゆっくりが「くつをぺーろぺーろして、にんげんたちをゆっくりさせてやってる」という思考に辿り着き始めるのだ。

そうなってしまえばあっさりと。本当になんのためらいもなくそのゆっくりは加工所行きだ。

いくら生き地獄の中に生きているゆっくりと言えども加工所よりは遥かにマシなのは、人間たちもゆっくりたちも骨身にしみて理解している。

むしろ、そのサラリーマンはわりとそのまりさを気に入っていて、毎日そのまりさに靴を舐めさせてやっているので、少しばかり思い入れがあった。

他のまりさたちに比べて舌が足首などにかかったりすることもないし、早く終わらせようと雑な仕事をすることもなかった。

なので、増長して加工所送りにならないように、あえて厳しい言葉をかけてやっているのだ。

それが彼、いや今の日本におけるゆっくりに対する「愛で方」でもあった。

それにもう一つ、ゆっくりを「ゆっくりさせない」ことが「愛で」に繋がる理由もあるが、それは後述する。

「ぺーろ、ぺーろ、し、しあわせー……」

だんだん声に元気がなくなっていく。

まりさの心のなかのゆっくりがどんどん消耗していくのが傍目にもわかってくる。

ゆっくりの通常種たちの中でも特にプライドの高いまりさにとって、本能的に「にんげんのあんよをぺーろぺーろするのはゆっくりできない」と精神に突き刺さっていくのだ。

蔑むようなサラーリーマンの視線がその重いを特に強くしている。

「お、おわったよ……、にんげんさん」

サラリーマンがひと睨みする。

「あんよをまりさにぺーろぺーろさせてくれてありがとうございましたぁっ

ヤケクソ気味に答えるまりさの顔は小麦粉の皮が透けて餡子色に褪めている。

どういう原理かゆっくりも、血の気が引いて顔色が青褪めることができる。

色は餡の種類ごとに違うが、中身が餡子のまりさとれいむは、特に人間の「土気色」に近い顔色になるため、表情がわかりやすいと評判であった。

「よし、まりさ。じゃあ今度は左足だ」

とサラリーマンは足を靴台に載せ替える。

「ひっ

まりさは悲鳴をあげるが、それでも気を取り直して靴を舐め始める。

「ぺーろぺーろ、しあわせー ぺ、ぺーろぺーろしあわせー

と、ひたすら繰り返すまりさはもうゆっくりが枯渇しそうだ。

駅前の靴磨きがまりさ種ばかりなのは、特に選別されているわけではない。

この仕事を特に屈辱と感じることによって、増長することが少なく、加工所行きになることが少ないため自然に淘汰されそうなった結果であった。

そして、まだこの屈辱的な仕事はゆっくりにとっては「接客」というスキルが必要とされているだけ上等な種別に入る。

「ぺーろぺーろ……、にんげんざんのあんよをぺーろぺーろできて、まりざはじあわぜでずう

やがて涙ははっきりと頬をつたい、声が悲しみに滲むようになってきたあたりで、ようやくまりさは仕事を終えることができた。

本来、出勤時のサラリーマンにとってまりさに靴を舐めさせる5分は貴重なものだ。

大半のにんげんにとっては、そんな時間を割くより自分で靴を手入れして、少しでも朝にゆとりが持てるようにするものだ。

それでも毎朝のようにまりさの客になってやってるのは、間違いなく愛情であると言えよう。

だから一仕事終えてゆっくりを枯渇しているまりさに言ってやるのだ。

「まりさ。今日もゆっくりしていってね」

その言葉にまりさの精神はすっかり賦活し、全身でうれしそうにしながら返答する。

「ゆっくりしていってね

もちろん、言葉ばかりではない。

サラリーマンは靴台にしかけられている引き出しを開け、まりさに中にある錠剤を渡してやる。

人間にとっては、ちょっとツマミを回して開くだけで済むが、ゆっくりにとっては絶対に開くことのできない仕掛けになっている引き出しの中には、10個ほどの錠剤が入れられている。

しかもご丁寧なことに、その錠剤の容器は人間用のものと同じく一つ一つがプラスチックとアルミ箔でパッケージングされている。

つまりは、誰かが意志を持って与えてやらない限り、ゆっくりたちにその錠剤が渡ることはないのである。

「おにーさん  いつもありがとうなんだぜ

と、ゆっくりできないことばかり言うし、目つきも怖いが、いつも錠剤をくれるサラリーマンにまりさはお礼を言う。

だが、ゆっくりの反応速度ではすでに電車に向かっている背中へ言うのが精一杯だ。

そして周囲のまりさたちの羨ましそうな目にゆっくりを味わいながら、おさげの上の錠剤をお帽子の中にしまい込んだ。

この錠剤は糖衣錠であり、ゆっくりたちが全身全霊を使って求めている貴重な「あまあま」だ。

ただ、糖衣の甘味に反してその味や匂いはとてもじゃないがゆっくりできないものだ。

というのもこれはゆっくりたちのためにあるのではなく、ゆっくりの唾液を消毒殺菌し、また革靴の皮革に艶を与える成分を加えて「靴用クリーム」としての役割を与えるものだからだ。

だいたい一足分でその効果が消費されるために、「報酬」として与えられるようにしてあるというわけだ。

匂いや味そのものはゆっくりできないが、それでもゆっくりたちにとっては羨望の的になる貴重な「あまあま」だ。

また、このまりさが優秀なのは、その「あまあま」をすぐに食べてしまわず、お客が来るまでしっかりとお帽子の中に保存しておくことだろう。

仕事をはじめる前に「このあまあまはぺーろぺーろの前に食べるんだよ」と駅のゆっくり担当員に教えられているが、それの記憶をうんうんとともに排出せずに保っていられるゆっくりは少ない。

なので、きちんと舌を整えて接客することのできるまりさには、そのサラリーマン以外にも何人か常連がいる。

増長しなくても客のこない、つまり靴台の中の錠剤が減らない靴磨きゆっくりは一週間ほどで加工所送りだ。

そうやって淘汰されていくため、それなりにM駅前の靴磨きゆっくりは優秀なゆっくりたちが生き残っている。

彼らは駅のコインロッカーを改造されたおうちの中でも「おっきいほう」に住むことも許されているし、駅員からゆっくりフードも与えられている。十分に幸せなゆっくりであった。

自分に向けられた「ゆっくりしていってね」の余韻を味わいつつ、駅前広場を這う清掃ゆっくりたちを見ながら、まりさは自分の幸福を噛み締めるのであった。

清掃ゆっくりの登場は、一時期最悪の害虫とまで呼ばれたゆっくりたちの評判を回復させるきっかけになったと言えるだろう。

今では駅前や公園、繁華街、商店街、住宅街などに必ず存在する清掃ゆっくりたちは、路上のゴミや犬や猫、愛玩ゆっくりの糞、動物の死骸などを食べることを「許された」ゆっくりたちだ。

「ゆぐぇっ、ゆげぇえええええええ、まじゅいいいいいい

「ゆぎゃうえろろろろろ、これどくはいってる

「ゆぶぇええええええ、どくっどくっどぐううううう」

「でいむ゛ぬ゛うううううううう、じんじゃうよおおおおおおお」

早朝、まだ暗い内から声を押し殺しながらゆっくりたちが飛び出した目、吹き出すよだれや涙などを噴出させながら、のたうち回っている。

原因は彼らの中央に置かれている容器の中にある液体だ。

色はオレンジ色であり、それを与える「ゆっくり清掃所 ユックリーン・コーポレーション」の職員が持っている瓶には、ニッコリと笑うれいむの顔が描かれたラベルと「ゆっくり用オレンジジュース『ゆーぽん』」と書かれている。

確かに『ゆーぽん』はオレンジジュースといえば言えるのかもしれないが、『果汁%』の表示でわかるように、人工香料と甘味料と着色料で作られたオレンジジュース()である。

だが「思い込みの不思議饅頭」にとってはそれで十分であり、十分にゆっくりたちの栄養剤、回復剤、治療薬として機能するのだ。

もちろん愛玩用やそれを対象にしたサービス業や医療などでは、果汁100%のものや柑橘類をふんだんに使われたものが使用される。

だが、現在の研究では人間の自己満足とゆっくりが「これはこうっきゅうなおれんじじゅーすさんなんだよ」と思い込ませるための演出効果でしかないことが証明されている。

『ゆーぽん』はその中でも特に生産性のみに特化したオレンジジュースであり「ゆっくり専用ですので、絶対にゆっくり以外には与えないようにしてください」と注意書きが記されているような代物である。

とはいえ、かろうじて無数の実験用ゆっくりという、いくら消費してもほとんどコストがかからない物たちを数万単位で犠牲にした末に、「ゆっくりには害にならない」ということだけは証明されている。

そんな『ゆーぽん』に清掃業者が消毒剤や殺菌剤、芳香剤などが混ぜられて清掃ゆっくりたちには与えられている。

清掃ゆっくりなどに与えるようなものだ。わざわざゆっくりのためにそれらの薬剤が調整されているわけがない。

「ゆっくりが即死しない程度の」であればどんな毒物や劇薬であろうが、あとは勝手に『ゆーぽん』のオレンジジュースの色と匂いと甘味でゆっくりたちの生命は保たれるのである。

そしてこれらを与えられるゆっくりたちにとって、いくら「これどくはいってる」と反応してしまうような味であっても、貴重なあまあまなのだ。

そして、ゆっくりにとっての「どく」であったとしても、かすかに残る『ゆーぽん』の味と匂い以上の「あまあま」など、彼らには「ほぼ」与えられることはない。

「どぐっ……もっと、ゆっぐ……」

のたうちまわった挙句、死ぬゆっくりも珍しくはない。

黒ずんで死んだありすの死骸にゆっくりたちは顔をしかめる。どうやら「ほぼ」の例外がきたようだ。

「あー、死んだか……ほれ、今日最初のゴミだ」

と職員はありすの死骸をのたうちまわりながら『ゆーぽん』をむさぼるゆっくりたちの中に蹴り入れる。

仲間の死体という「あまあま」。

ズザザザザザ。

と早くも発しはじめたありすの死臭にゆっくりたちは飛び退いていくが、逃げ出すわけにもいかない。

「早く済ませといたほうが、出勤時間まで休めるだけマシだぞー」

職員はゆっくりたちのために忠告してやる。比較的ゆっくりが好きなのでゆっくり清掃所に就職した彼は「愛でお兄さん」である。

きちんと社会におけるゆっくりの活かし方を知っており、できることなら『アレ』を使いたくない優しさを持っている。

「あ、あでぃずぅ……」

ゆっくりたちの中で泣いてるれいむがいた。

「あー、このありすお前のつがいだったのかー」

「は、あ゛い゛い゛い゛い゛い゛い」

職員はゆっくりが好きなだけに、同情してやる。

ゆっくり清掃所で生きているような管理されているゆっくりにはすっきり制限などはされていない。

というよりも、むしろゆっくりたちが勝手に繁殖することについては推奨していると言ってもいいほどだ。なので彼らの中でつがいは珍しくもない。

「じゃあ、お前が最初に食ってやれ。お前のあんこにしてやれ、な。臭くてゆっくりできないだろうが、きっと今のありすも臭くてゆっくりできないだろ だから、お前の中でありすもゆっくりさせてやれ」

と優しく言ってやる。

ほとんどマニュアル化しているが、同僚の死については「死んだ本人も臭くてゆっくりできないから、食ってゆっくりさせてやれ」という説得で、死体を自主的に処理させられるようになっている。

あ゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛、あでぃずううううう」

とありすの死体に飛びかかるれいむ。

「ぐざいあああい、ぐざあああい、むーしゃむーしゃ、じばあぜえええええ、あ゛でぃずうううう、でいむのながでゆっぐりじでいっでねえええええ」

泣きながら食べ始めるれいむを見て、職員は周囲のゆっくりに目配せする。「お前らも食え」と。

れいむだけが食ってしまえば、とてもじゃないが腹一杯になってしまい、清掃の効率が落ちてしまうのだ。

全員で死体処理を分担させるのが職員としての仕事だ。

もたもたしていると、ありすのカスタードとゆっくりできない仕事によって蓄積されてきた甘味に夢中になっていくれいむがみんな食べてしまうだろう。

職員は腰に差した棒に手をかける。その途端にその場に居る50匹ほどのゆっくりたちが一斉に、

「「「「「「「ゆぎゃああああああああああああああああああ」」」」」」」

と悲鳴をあげてありすの死体にむしゃぶりつこうとして押し合いへし合いする。

「あー、おちつけ。『ぼうさん』は出さないから落ち着いて食え」

と言った途端に沈静化するほど、職員が腰につけている棒状のものの威力は絶大である。

この単純に『ゆっくり棒』と呼ばれている長さ1メートルほどの金属製の棒は、ゆっくりに関わる仕事をしている人間なら誰でも持っているゆっくり用の基本装備とも言える棒だ。

普段は芳香剤つきの革製の鞘に入れられている『ゆっくり棒』はその先に古くなった加工所のゆっくり加工機械の廃材を原料とする金具が取り付けられている。

一日数千匹のオーダーで処理されていく加工所のゆっくりたちの『死臭』───現在ではゆっくりたちの糖の残留成分がゆっくりの餡子脳を刺激することによって、生きているゆっくりに死んだゆっくりの死ぬ直前の記憶を再生させてしまう現象を指す───が数年分蓄積されている金属である。

これをより死臭が強く拡散するように薬剤、熱などの処理を行ない、形状をそれぞれのメーカー独自のノウハウによって加工することによって製造される。

これだけでも半径5メートルのゆっくりたちが再生される壮絶な記憶により破裂即死し、半径50メートル以内のゆっくりが精神的な圧迫により餡子を吐き始めるという代物だ。

ドスまりさでさえ触れただけで即死するという、ほとんどゆっくりに対する最終兵器とも言える道具なため、虐待鬼意惨にはかえって人気がないとまで言われる威力の棒だ。

しかし、この『ゆっくり棒』の普及により、ゆっくりによる農業や食品産業の被害はほぼ皆無となり、また社会によるゆっくりの管理が一気に進んでいったという。

このため、人によっては「加工所の最大の役割はゆっくり棒の材料供給である」と言われるほどだ。

ちなみに、使用される金属の素性により威力は異なり。

最高級品である「中枢餡処理ライン」を原材料とし、専門の『ゆっくり棒』職人によって作られた一品物は「ユックリスレイヤー」と呼ばれ、厳重に加工所で管理されているという。

その威力たるや鞘ごと持ち歩くだけでも半径100メートルのゆっくりたちが破裂して死ぬ、という都市伝説があるが、その真偽を確かめた者はいない。

ただ、ゆっくり被害が酷かった地域で、野良ゆっくり飼いゆっくりの区別なく、地域一帯のゆっくりが全滅したという事件が起きたりするのも事実である。

常に証拠も発見されなければ、そもそも司法もゆっくりの死など、飼いゆっくりが加わったとしても熱心になるはずがなかった。

「加工所に通報するぞ」

というのはゆっくりだけでなく、飼いゆっくりの飼い主、ゆっくり関係の産業など、ゆっくりに携わる人間全てが恐れる事態であり、ゆっくりの管理は各地域の人間たちの義務と責任でもあるのであった。

ゆっくりとともにあるためには、厳重な管理が必要なのはむしろ当然という時代であった。

やがてありすの死体も容器の『ゆーぽん』も跡形もなく舐め取られていく。

「あー、出勤時間までゆっくりしてていいぞ」

職員はゆっくりたちにそう声をかけてやる。

「お前ら。今日もゆっくりしていってね」

「「「「「「「ゆっくりしていってね」」」」」」」

うつむき加減で卑屈にずーりずーり歩いて行く出勤後の清掃ゆっくりは本当に存在感がない。

彼らは街路樹の枯葉、捨てられたゴミ、動物やゆっくりの死骸と糞などを口に入れ、消化できるものは食べてしまう。

金属やプラスチックなど消化できないものは、胴回りに付けられたビニールのゴミ袋に入れていく。

その全てはゆっくりできない味や臭いや食感であるが、ある意味、口当たりの良い『ゆーぽん』で飲み込めるが、あとでのたうち回る各種薬剤の毒性に比べたら軽いものでしかない。

それにどうしても飲み込めないものはゴミ入れに入れてしまえばよい。

虐待目的ではなく清掃目的であるから職員たちも無理に飲み込ませることはないのだ。

だから清掃中のゆっくりたちは静かだし寡黙である。

物を飲み込む時の、

「むーしゃ、むーしゃ、ふしあわせー」

段差や坂などにのぼったときの、

「おそらをとんでるみたい」

という中枢餡に刻まれた本能的なセリフについては口を出してしまうが、それすらも小声だ。

ゆっくりたちの甲高い声による騒音について少しでも気に入らなければ、お飾りに付けられた認識札の電話番号宛に通報が入る。

またサボっているゆっくりが見つかっても同様だ。

通報は実に簡単にお飾りの認識札にあるバーコードや磁気コードを携帯電話かスマフォで読み取れば、担当職員のところに認識番号とともにゆっくりの個体レベルで特定された通報がメールされてしまう。

通報の内容についてはガイダンスに従い番号入力だけで「騒音」「職務怠慢」「通路妨害」「盗難」「単独行動」「その他」などの罪状も添えることもできる。

もちろんその通報がいたずらで行われることも依然として多い。最近特に多いのは、ゆっくり用スマートフォンなどを持った飼いゆっくりによる気まぐれな通報だ。

だが、それについての真偽が問われることはない。

通報されたゆっくりは即座に営業所内にある「回収箱」送りとなり、一週間に一度ゆっくりの補充にくる加工所行きになるだけである。

清掃ゆっくりなど使い捨ての存在でしかないのだ。

あまりにも通報量が多い場合は、連帯責任で班ごと全回収となることも珍しくはない。

そのためゆっくりたちは人間が管理していなくても相互で監視しあっている。

清掃ゆっくりたちが担当地域に連れられたあとほぼ自由行動をさせるているのは、社会的な管理通報体制の完備と、ゆっくりたちの相互監視、そして一切の情の挟まれない加工所処理への恐怖によるものだ。

「んーしょ、んーしょ。とれてね、がむさんはゆっくりどうろさんがはなれてね」

と支給されたアイスの棒によく似た形状のヘラを使い道路にこびりついたガムを削り落とそうとするゆっくり。

ゆっくりにとっては重労働だが、前述したようにどこに人間の目が光っているかわからず、二匹から五匹の班行動を義務付けられているゆっくりたちの相互監視により、彼らは実に職務に忠実である。

それでも清掃ゆっくりたちたちは、まだ人間社会の目の見える職場で働いているだけ幸せだろう。

「おにーさん、あまあまおみずさんごーくごーくしたら、ごみさんちょーだいね」

道端をスポーツドリンクのペットボトルを飲んでいた少年に、れいむ二匹の清掃チームが声をかけた。

あまあまに関する嗅覚は彼らの本能だ。

かなり正確にスポーツドリンクを飲みおえた様子を見つけたれいむたちは、目を輝かせて少年を見上げる。

少年の方も虐待趣味はない。

また、M市ではゴミのポイ捨てが許されていても決して街がゴミだらけにならない理由は、彼らがたちまち片付けてしまうからだということは、今となっては社会の常識だ。

「ゆげぇ……いぬさんのうんうんはゆっくりできないいいい……ぐざあああい、ぐざあああい」

その向こうではまりさが出したてのほやほやの犬の糞を、必死でまだ柔らかく体温の残る犬糞をヘラで持ち上げ、ゴミ入れに入れようとしている。

「ほら、まだ少し残ってるぞ。あっちのまりさにも舐めさせてやりな」

と一口だけ残したスポーツドリンクのペットボトルを少年はれいむに渡してやる。

「ありがとーおにーさん

嬉しそうにペットボトルをうけとったれいむたちは、まっさきにまりさの方に向かっていく。

「まりさー、にんげんさんからあまあまなおみずさんもらったよ がんばってうんうんさんかたづけて、みんなでぺーろぺーろしよっ」

彼らはトリオでこの周辺を見回っている。

清掃ゆっくりたちは、ほとんど無償で加工所から払い下げられるゆっくりたちで、その餡質も悪く、教育も受けているわけでもない。

だが、加工所出身だけに臭いだけでも瀕死になる加工所の地獄を骨身に沁みている。

あっさりと同僚たちが回収箱行きになる光景を餡子の隅々まで刻み込まれるほどよく目にしている。

さきほど相互監視と表現したが、ほとんどのゆっくりたちにとって、厳しすぎる人間社会において生き残るために否応なしに助け合うようになる例は比較的多い。

そうした関係からつがいになり、夜中のうちに感情が盛り上がってしまった末にすっきりをしてしまう例も少なくない。

当然、妊娠率ほぼ100%を誇るゆっくりのことであるから、子供ができてしまう。

しかし、植物型、胎生型を問わず妊娠したゆっくりが仕事を休ませてもらえるなどということは、天地がひっくり返ってもありえない。

額に実ゆっくりをぶら下げたり、腹の中に胎児ゆっくりを抱えたりしながらも、妊娠したゆっくりたちが通常業務を怠ることは許されない。

簡単に落ちる実ゆっくり、ちょっとした衝撃で死んでしまう胎児ゆっくりを、なんとか守りながら働き続けるのだ。

もちろん、事故、単なる人間や動物・飼いゆっくりたちの気まぐれ、与えられる『ゆーぽん』の毒性、自然環境からのストレスなどでめったにその努力が実ることはない。

ほとんどの場合、妊娠したゆっくりとそのつがいは、死んだ「おちびちゃん」をゴミとして自分たちで処理することになる。

それでも極稀に無事に赤ゆっくりとして誕生する「おちびちゃん」も存在する。

だが、赤ゆっくりが生まれたからと言って、なんらかのケアがされることは、当然ない。

毎朝の栄養補給の『ゆーぽん』や夜のエサに殺到する成体ゆっくりたちに巻き込まれれば、赤ゆっくりなど即死だ。

しかも、成体ですらのたうちまわり、時に死に至る含有された薬剤に赤ゆっくりが耐えられるわけがなかった。

もちろん「おちびちゃん」のために仕事中にエサを探すなど許されるわけがなく、怠慢姿勢が見られたら即回収箱行きだ。

そのため彼らは乏しい栄養状態の中から、自分の餡子を赤ゆっくりに吸わせることによって子育てを行う。

だが、自分たちの皮を傷つけて餡子を露出させる行為は、ゆっくりにとっては内臓を食わせるような行為であり、傷口を塞ぐ薬も朝の毒性にのたうち回りながら摂取する『ゆーぽん』ぐらいしかない。

また、自分の赤ゆっくりを連れ歩きながらの清掃作業は母子ともに負担となり、簡単な事故、栄養不足、厳しい自然環境などにより、やはり簡単に赤ゆっくりは死ぬ。あるいは母子ともに衰弱して死ぬ。

清掃局の人間たちはゆっくりたちが番を作ることもすっきりすることも制限したりはしない。

だが、一方で一切の支援も行わない。

それでも、極めて稀な例として働けるぐらいにまで育った子ゆっくりを同じ班で一緒に働かせてるやる程度にはゆっくりへの優しさはあるのであった。

自分のつがいやおちびちゃんたちと共に働き、生活できるというのは、ゆっくりたちにとっては極めてゆっくりできる行為であり、それはゆっくりであるかぎりどんなに渇望しても滅多に叶えられることのない夢であった。 ゆえにゆっくりたちは微かな希望にすがり極めて確率の低い賭けに出る。

そうして損耗するゆっくりの数は決して少なくはないが、彼らの勤労意欲を物欲や人間への恐怖や敵意などを煽るリスクなしで向上させることができるのだ。

どうせ清掃ゆっくりなどローコストでいくらでも補充される。

「おくちのなかがくさいくさいなのぜ……」

「まりさ ぺーろぺーろするといいよ」

「ゆっくりぺーろぺーろしてね」

ゴミ箱を探さなくてもいいのだから、三匹で人間一口分のジュースの報酬ぐらい与えてやってもよいだろう。

ただし、明確な形での「ご褒美」や「謝礼」としてゆっくりたちに「あまあま」や食べ物を与えることは、「ゆっくり管理の阻害となりますのでお断りさせて頂きます」と広報されているためできない。

少しでも感謝している態度を見せようものなら「にんげんたちをゆっくりさせてやってる」と解釈し増長するのがゆっくりというものなのだ。

もし計画的にそういう行為を行なっていれば、損害賠償を求め訴訟沙汰も清掃会社は辞さない。実際、「例の理論」が発表されたあとに壊滅的な打撃を受けたゆっくり愛護団体の残党が、清掃ゆっくりの餌付けなどを行なっていた件で損害賠償を請求されたという事件が起きている。

裁判となった末、清掃局側の全面勝訴となった上に、すでに「財産権への侵害」以外での処罰を行うべきという法整備の検討されなされるようになっている。

今やゆっくりとその管理は社会を円滑に動かすための重要な部品なのだ。

「ぺーろぺーろ、しあわせー

「おいしーね、まりさ

三匹は順番にペットボトルのジュースを舐めあっていく。その間も一匹だけは必ず清掃作業を続けている。

一班全員で休もうものなら、どこで通報されるかわからないのだ。

「じゃあな、ゆっくり。ゆっくりしていってね

と少年はきちんとゆっくりたちが働いているのを確認して最後に労ってやる。

「「「ゆっくりしていってね」」」

彼らの餡子の一番奥に刻まれている三大欲求以上の生存理由とさえ言える言葉のやりとりによって、彼らの餡子は賦活する。

今日一日は、これだけで元気に働いてくれるだろう。

そもそも彼らは「清掃ゆっくり」の中でも恵まれたほうなのだ。

一番多い清掃ゆっくりは企業や公的施設などに配置され、ひたすら消毒薬と洗剤を口に含みながら便器を舐め続けて清掃し続ける便所掃除用の清掃ゆっくりなのだから。

街を回るゴミ回収のゆっくりたちや、清掃ゆっくりたちが集めたゴミは、「分別所」と呼ばれる場所に一旦集められる。

M市郊外にいくつもある分別所だが、地方都市なために広大な敷地が贅沢に使用され、田舎の高校の体育館ほどの大きさの屋根と周囲を取り囲む壁がゆっくりたちを外敵と雨風から守っている。

「おーらい、おーらいよ……むきゅ」

「おーらい おーらい

ゆっくりたちが背負ってきた「ごみさんおみこし」が一列縦隊で順番に広場に集められ、順慎重に中身が集められる。

まったく分別されていないゴミたちは、何が入っているかわからずゆっくりたちにとっては危険物となるものも多い。

この分別所で主役となるのはぱちゅりー種だ。

体も精神も耐久力の弱いぱちゅりー種は、中身が生クリームであるため食用としての需要も高いが、比較的知能も高いため分別所では、指揮と分別指導の役割を担わされている。

がらがらと盛大な音を立ててゴミの山が築かれていくが、その過程に巻き込まれて死んでいくゆっくりも少なくない。

ぱちゅりーたちはいちいち声をかけて注意していくが、存在自体が死亡フラグと言われるゆっくりが、その程度で死なないわけがない。

人間たちの分別の手間を省くために無造作につめ込まれた「ごみさん」たちの山は、周囲に耐え難い悪臭を放つが、郊外で周囲に人家はない土地に分別所は作られる。

ゆっくりたちはそこで生まれ育ったものが大半であるため鳴らされてしまっている。

この「分別所」には1000匹ほどのゆっくりが生活しているが、その詳しい数は把握されていないし、人間たちは把握する気もない。

市役所から派遣された3人ほどの管理人が、ゆっくりたちの分別作業の進捗状況について監視しているだけだ。

もちろん、彼ら一人ひとりが「ゆっくり棒」を腰に刺しており、いつでもその気になれば1000匹以上のゆっくりはたちまち駆除される。

「むきゅ、けさのぶんはこれであつまったわね」

分別所の総リーダーであるぱちゅりーが、ひと通り持ち込まれたゴミと「ごみさんおみこし」とトラックで持ち込まれたコンテナを確認する。

分別所の指導指揮用ぱちゅりー種たちだけは多少のコストがかかっている。

彼女たちを養成するために、一匹の金バッジクラスのぱちゅりーが必要とされる。

加工所ではなくゆっくりブリーダーによって大事に育てられた金バッジクラスの知能を持つぱちゅりー。

これに子ゆっくり時代から教育用のケージに栄養剤を点滴しながら徹底的にごみの分別と作業管理のみを教育し、それ以外の行動を一切させない。

食事も睡眠も排泄すら許さないまま24時間体制で「教育」が続けられる。

こうして教育というよりも一方的な情報の入力と言ったほうが良い工程により金バッジぱちゅりーの生クリームのほぼすべてがゴミの分別と分別作業管理の情報体となる。

だが、もはや生命体としての自律行動さえ不可能になるほど生クリームの組成を作り替えられたぱちゅりーが、実際の作業に使えるわけがない。

この金バッジぱちゅりーは完成後、ただちに解体され、情報体となった生クリームを加工所で生産されたぱちゅりーたちに注入する。

デタラメ不思議饅頭のゆっくりの記憶や学習は、中身の餡のゆ糖と呼ばれる十炭糖(デカトース)の組成によるものであり、これらは物理的なやりとりができる。

このように、ゆっくりたちの記憶や学習は餡の注入や交換によっていくらでも操作可能であることが判明したのも、ゆっくりたちの管理や利用法が確立される大きな助けとなった。

こうして1体の金バッジぱちゅりーを消費するごとに約50体ほどのぱちゅりーが、生クリームを注入されることによってごみの分別作業の指揮がとれるほどの学習をした状態にできるのである。

こうしてパチュリーたちの指揮の下、生ごみ、食用油、ゆっくりゴミ、生きびん(リターナブルびん)、雑びん(透明)、雑びん(茶色)、雑びん(水色)、雑びん(緑色)、雑びん(黒色)、容器包装プラスチック、ペットボトル、雑誌・その他紙類、燃えるゴミ、スチール缶、アルミ缶、ダンボール、布類、破砕・埋立、なべ・釜類、電気コード類、蛍光管・電球類、新聞・チラシ、乾電池類とM市が定めた基準によって分別される。

M市では一般家庭が排出するゴミの量は一日あたり約100トンほどである。M市には30箇所ほどの分別所存在し、それぞれ約10002000匹ほどのゆっくりたちが作業を行なっている。

このうち、生ゴミと食用油とゆっくりゴミ、燃えるゴミの一部が分別所のゆっくりたちの食料となる。

極めて脆弱なゆっくりたちにとっては分別作業は極めて危険な作業だ。

「ゆぎゃあああああ あんよがあああ、いだい゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛、どっで、どっでええええ

「でいむもふんじゃっだあ゛あ゛あ゛あ゛あ、い゛い゛い゛い゛

「まりざのてんくうをかけるぺがさすのようなあんよさんがああああ

誤って蛍光灯を落としてその破片を踏んでしまったまりさがのたうち回ることでさらに破片を全身で回収してしまっている。

びったんびったんと暴れるまりさに巻き込まれ、隣にいたれいむも蛍光灯の破片を踏んで皮を傷つけてしまっている。

「ああならないように、きをつけてはこぶのよ

「「「ゆっくりりかいしたよ」」」

指導役のぱちゅりーが反面教師としてもみあげで、餡子を撒き散らしもはや跳ねまわる体力も失われのーびのーびして痛みから逃れようとするまりさとれいむを指す。

誰も助けようなどとは考えない。

さしてめずらしくもなく毎日のようにおきる事故である。

回収されたゴミのほとんどは、脆弱なゆっくりたち傷つけ殺す、重さ、硬さ、鋭さなどを持っている。

驚くほど簡単にゆっくりたちはこの作業で傷つき、餡子と命を撒き散らしていく。

だからといって人間がごみを加減するわけがないし、処理しきれないくなっていけば、すぐさま彼らは連帯責任で加工所行きだ。

そしてまた別の「運が良い」ゆっくりたちが処理用ゆっくりとして加工所から送られてくる。

だから精一杯生きるために彼らは慎重に、指導役のぱちゅりーから作業のコツを教えてもらいながら、力を合わせてごみの分別作業を行なっていく。

「ゆーしょ、ゆーしょ」

「ゆげぇ、これどぐづいでるうぅぅぅ」

「ゆっ、まりさ、おさげじゃなくておくちでくわえるんだよ」

だいたいの作業はゆっくりの舌と口を使って行われる。

汚物、酸、塩分、味、匂いなどを嫌っておさげやもみあげを使おうとすれば、力も精度も足りずによくておさげやもみあげが切れることになる。

たいていの場合は前述のまりさのように事故に遭い死ぬ。

少しでも作業精度を上げて死なないために彼らは舌と口でごみの分別作業を行うのである。

人間が見ていればその手際の悪さにイライラするような緩慢さであるが、ゆっくりたちはそれでも数時間かけて作業を行なっていく。

炎天下の夏や冬の日などはゆっくりたちは暑さ寒さにって自然死してしまう数が増加するが、さすがにそういう日は『ゆーぽん』が管理人の手で噴霧されるときがある。

朝の回収時間の分別が終わるのはだいたい午後になってからだ。

「むきゅ、かんりにんさん。あさのおしごとはおわったわ」

分別所のリーダーぱちゅりーが部下たちの報告を受けてマスク姿の管理員に告げる。

このぱちゅりーだけは「分別所」の外にある管理員の詰所に来ることを許されている。

報告を聞いた管理人はいつものように各コンテナに分別されたゴミを回収にくる業者に連絡する。

こうしてリサイクルできるものはリサイクルされるし、完全な廃棄物については、それぞれの分野に特化改造された処理場ゆっくりによって餡化される。

ゆっくりたちの数に任せた分別作業は一匹一匹の作業そのものは取るに足らない。

だが、一日二回に分けて各家庭、アパートごとに回収していくことと、コストが極限まで抑えられる上に、一箇所につき10002000匹というオーダーで命がけで行われるため、馬鹿にできない分別精度と効率を実現している。

実際、M市においてはゴミ問題はほぼ解決している上に、各家庭でも「ゴミの日」などに気を使わず、ゆっくりたちに出たゴミを任せれば済むのが大きかった。

現在ゆっくりにゴミの処理だけでなく分別にも使用するという試みはM市での成功を受けて全国的に広まろうとしている。

都市部では土地の利用が難しいとされているが、地下化や高層化、密閉型などさまざまな形式が検討されているという。

ちなみにさらに厄介な産業廃棄物については、前述した処理場ゆっくりの話となる。

「おー、ごくろうさん。今日もがんばってたな」

全身を作業服にマスク姿というのは、匂いや危険物に対する対策もあるが、一番の理由はゆっくりたちに個体識別をつけさせないことにある。

ゆっくりたちは人間たちの力関係を驚くべき嗅覚で把握する。

もし誰かが誰かに頭を下げているのを目撃されたら、「あのにんげんはしたっぱだよ」と自分たちとの力関係については考えずバカにした態度に出る者も少なくないのだ。

そもそもすぐ死に至る仕事と簡単に加工所行きとなる恐怖によって締め付けられているだけで、知能も教育も劣る量産品しかいない。

もちろんそんなゆっくりは問答無用で加工所行きであるが、管理人たちもまた多くがゆっくりが好きでこの仕事をしている者が多いし、また無駄に損失を出す必要もない。

管理人たちはやがて、ゆっくりたちに個体識別をつけさせず、みんな平等に「かんりいんさん」として恐怖され畏怖され感謝される存在であることが、もっともゆっくりたちのためであり自分たちのためであることを考えてこのような姿でいるのであった。

「んー、ぱちゅりー。今日はなにがいい

管理人はやさしく聞いてやる。ぱちゅりーは少し考えて、

「きょうはちょこれーとさんにするわ。りくえすとがいちばんおおかったの」

と答えた。一番安いお徳用のチョコレートをひとつかみリーダーぱちゅりーの特権である腰につけた「ぽしぇっとさん」に入れてやる。

毎日、りーだーぱちゅりーには作業が滞り無く完遂させたご褒美として、ゆっくりたちが求めてやまない「あまあま」───格安のチョコレート、キャンディー、クッキーなど───を一掴みほど与えてやる。

この「あまあま」の使い方については、いくつかの例を教えてやるだけで、基本的にリーダーぱちゅりーの裁量に任される。

非常用や医療用として貯めこむぱちゅりーもいれば、毎日作業のはかどった者の賞品とするものもいる。

部下の指導役のぱちゅりーたちに与えて裁量に任せる者もいる。

それぞれの使い方によって作業効率は微妙に異なったりもするが、許容範囲であればこのあたりはゆっくりたちの自治に任されている。

ちなみに、ぱちゅりーのおぼうしと髪の色によく似合ったピンクの革製のポシェットは、元々はとある分別所のゆっくり好きの管理人が、担当のぱちゅりーにつけてやったものであった。

だが、それにより作業効率の向上やゆっくり損耗率の低下という効果があったため今では全分別所で採用されている。

どうもゆっくりたちには、このぽしぇっとは「すごくゆっくりしている」ものに見えるらしく、リーダーぱちゅりーたちの指導力と権威を高める効果があるようであった。

またこの中に先ほどのような褒美の菓子や、対ゆっくり用の武器、医療用のオレンジジュースの小瓶などが入れられている。

「チョコレートは溶けやすいから早く食えよー」

「むきゅ、きょうはしょうきんさんにつかうわ」

そう言ってぱちゅりーは

中では次の回収に備えて、ゆっくりたちの食事を兼ねた生ゴミ・ゆっくりゴミ・燃えるゴミの処理が行われている。

彼らにとってはほぼ食事は地獄だ。

「がーつ、がーつ、ゆぐぅえええええええ、すこしどくはいっでるううう」

「まじゅいよう、まじゅいよう、でいむおいじいものだべだいいいい」

「むーしゃ、むーしゃ、ふしあわせのさんばいー」

「にぎゃいにゃにごれえええええ」

「ゆぎゃあああああああ、からからざんだああああ、いだぃぃぃぃぃぃぃ」

生ゴミの匂いだけではない。腐った酸味、なにがなんだかわかったものではない苦味、人間も食えなくて残したであろう強烈な塩味、そもそも食べ物の範疇ではない燃えるゴミ、そしてゆっくりたちの死骸やうんうんなどを必死で口の中に入れては飲み込んでいく。

好き嫌いなど許されない、目の前にそれぞれ自分たちに分けられた「のるま」をすべて消化せねば仲間たちで「せいっさい」である。

もちろん「せいっさい」などで殺してはもらえない。全身を痛めつけられて結局は周囲によって倍以上ののるまを口の中に詰め込まれるだけなのだ。

そもそも毎日の過酷な作業により餡子が欠乏してしまっているために、なんとしててでも口に入れて自分の餡を補充せねばならないという、生存本能がいつでも全開に作用しゆっくりたちの空腹感を煽っているのだ。

消化したら「おといれ」に走ってうんうんとして出して、また食べなくてはならない。

朝の処理は次に夕方の回収が控えているため、食事処理の時間は決められているのだ。

「あっ、あまあまだよ

「あまあま」「あまあまちょうだいねちょうだいね」「あまあまはゆっくりできるよ」「ばりざのものだあああああああ」「わがらないよおおおおお」「でいぶにじあわぜざぜろおおおお」「あまあまあまあまああああ」「ぐるなああああごれはありずがみずげだのおおお」「でいぶのものだよ」「さいっきょうのまりさにこそふさわしいんだぜ」「みょんによごぜえええええ」

極稀に甘味が人間が捨てた生ゴミの中に含まれているときもある。その時はさらに地獄絵図だ。

食事時で理性が失われているゆっくりたちの自制はたちまち崩壊し、あまあまの取り合いで殺し合いが起きる。

こればかりは指導役のぱちゅりーたちも手に負えないし、いちいち管理人たちもこんなことで介入したりもしない。

夕方の回収時間までほぼこの繰り返しであった。

ゆっくりが人間社会に登場してすぐのころの人間社会の混乱は、ひとえに「ゆっくりとはなんなのか」という正体不明さによるものであった。

生物としての概念をあらゆる意味で超越した所に突然現れたこの不思議饅頭は、脆弱な肉体と自分たち以外のあらゆる存在に敵対しようとする極めて不可解な精神を有していた。

特に彼らは好き好んで人間たちの家屋におうち宣言を行い、人間たちを見下し、畑を荒らし、ゴミ袋を漁り、ところかまわず糞尿を撒き散らし、性行為を行い、そのことごとくに人間たちの怒りを誘うセリフを実況するという極めて理解に苦しむ言動を行なう。

この奇妙な存在は、いったい何をしたいのか人間にとってどういう存在なのか

中には『善良』とされる個体やペットとして可愛がられるゆっくりなども現れ、その混乱に拍車をかけていく。

ある者は存在自体を駆除しろと主張し、ある者は虐待しがいのある存在として喜び、ある者は人間のパートナーになるべき存在だと認識し、ある者はただ盲目的に愛護しようとし、ある者は商用利用の道を考え、ある者はただの饅頭として扱おうとした。

それら一致しない人間たちの態度が、ゆっくりたちが絶滅する前に社会に蔓延り、増長する要因となっていったと後世では分析されている。

なぜなら、後の研究でそれらすべてがゆっくりたちが存在し行動する原動力となっていることが判明したからだ。

『十炭糖生命理論』

とある生化学研究者によって発表されたこの理論を嚆矢とするゆっくり研究の末、ゆっくりの生態とその行動原理がほぼ解明され、人間たちはついにゆっくりたちに対処するための統一見解を持つ至る。

それまで人間たちが発見していた九炭糖とはまるで組成の違う新発見の糖分、十炭糖『デカトース』こそがゆっくりの生態と行動律のすべての原動力であった。

ゆっくりは、彼らが生成する餡の中に含まれるデカトースを燃焼させるエネルギーによってすべての行動を行なっている。

さらにデカトースにはゆっくりの体内で糖分同士が複雑なニューロンにも似た組成ネットワークを築き上げるという性質を持っており、その糖化ネットワークと電気信号がゆっくりたちの知能や記憶などを司っているのである。

そのデカスートネットワークの中心でありデカトースの塊となるのが「中枢餡」である。

ちなみに比較的体内の餡にデカトースが少ない辛味のゆっくりであるめーりんが「じゃおーん」としか喋れないのは、言語中枢を司るデカトースのネットワークが不足しているためである。

また、このデカトースは極めて強固な糖分であり、彼らは糖分を酸化させることによって極めて強力な酸を口内と体内作り出す。

これはゆっくりたちの糖化ネットワークの司令によって行われるが、酸化した糖分はそのままうんうんやしーしーとして輩出せねばならないため、消費は最低限に抑える必要がある。

ゆっくりたちが『食べ物』として認識できないものを消化できず、また美味い不味いについてうるさいのも、彼らは自分の体内のエネルギーや記憶や知能の源泉となる糖分を消費して消化を行わねばならないためであった。

彼らにとっては消化して糖分にしやすいものが『美味しいもの』であり、その極限が糖分である『あまあま』になるのは当然であった。

彼らにとって『あまあま』とは直接取り込めるエネルギーであり、体を作る餡の主成分であり、知能と記憶のもととなる糖化ネットワークの原動力である。彼らがほぼ例外なく全身全霊をかけて『あまあま』を求めるのも無理はないのである。

そして、人間たちにとって彼らの扱いを決定づけたのが、ゆっくりが昔から言われているように「ゆっくりは虐待されれば虐待されるほど甘くなる」という現象の解明であった。

これは実に単純な話で、ゆっくりたちにとって「ゆっくりできる」という状態は体内の糖分をひたすら消費している状態なのであった。

ゆっくりたちは虐待やストレスや運動そのものなど「ゆっくりできない」状態に置かれれば置かれるほど、中枢餡を中心した糖分ネットワークが活性化してデカトースを精製する。

このためゆっくりは「ゆっくりできないほど甘くなり」、かえって生命力やエネルギーを増していくのだ。

つまりゆっくりたちは当人たちの主観では「ゆっくりできない」状態に置かれることによって生命維持をしているのである。

これによって長年の人間たちの疑問であった「ゆっくりたちはどうして危険や死亡フラグを招き寄せるような行動を人間や動物、大自然に対して行うのか」という不可解さが解明される。

彼らは本能的に自分たちで望んで「ゆっくりできない」状態に陥ることによりデカトースを作り上げ、その糖分によって活動のすべてをとり行い、体を作り、知能や記憶を形成しているのである。

いわゆる「餡子脳」と呼ばれるゆっくりたちの精神構造は、当人たちの主観とは別に完全な本能により自らを「ゆっくりできない」状態に追い込むために人間や動物を挑発し、さらにわざわざゆっくりできない場所へと飛び込んでいくのである。

完璧な飼育条件でかわいがっていた飼いゆっくりが、それにもかかわらずゲス化するのも、「ゆっくりした状態」が続いてしまうことにより彼らは存在そのものの維持が危機に陥っていくためであった。

今までどうしても解明されなかった「金ゲス」問題や「大事に育てていたゆっくりが野良や野生より先に死ぬ」という不可解な生態の原因がこれであった。

つまりゆっくりとは、知能や知識において必死で「ゆっくりする」ことを渇望しながらも、「ゆっくりできない状態」に追い込まれていないとエネルギー、体組成、知能、記憶などのすべてが維持できないという、矛盾を抱えた存在なのである。

『十炭糖生命理論』を提唱した研究者グループたちは、このゆっくりたちの生態の解明により全員がため息をついたという。

なんという悲惨な矛盾を抱えてしまった『生命』なのであろう この『十炭糖生命(ゆっくり)』たちは……。

何度とない反証実験の末『十炭糖生命理論』が証明されて以降、まずゆっくりの愛護団体が全滅した。それもそうだろう、彼らが行なっている愛護活動こそが、ゆっくりたちの存在を否定しまうのだから。

そして、多くの人間たちは憐れみながら、全力でその保護と管理に当たったのである。

ゆっくりをゆっくりさせないために。

「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね」「ゆっくりしていってね

ゆっくりたちをゆっくりさせないための管理保護の中心となるのが、やはりこの加工所である。

どんなに他の場所でゆっくりできない状態に置かれているゆっくりたちも、未だに加工所だけは共通して地獄のように恐れている。

しかし、現在の『十炭糖生命理論』によって洗練された加工所では、それほど目新しい虐待行為を行なっているわけではない。

ただ、解明されていくゆっくりたちの生態にしたがって最も効率的な「ゆっくりできない状態」を作り出すかに特化しているだけの話だ。

ゆっくりの生態が解明されてみれば、ある意味これほどゆっくりたちに忠実に仕えている存在もないだろう。

現在、デカトースの精製に使われているゆっくり生産ラインの構造は単純である。

10001セットのゆっくりをスプリンクラーで噴霧しているオレンジジュースの霧の中で成長させ、天井の無数のスピーカーで1秒間に3回のスピードで『ゆっくりしていってね』という声を聞かせ続けているだけである。

ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ」

原種ゆっくりたちの頃よりゆっくりにとって最大の存在意義である『ゆっくりしていってね』という言葉は、ゆっくりたちの中枢餡の奥底に染みこんでいる言葉である。

『ゆっくりしていってね』と挨拶を交わすことはねもっとも大切な「ゆっくり」である。

この挨拶を交わすことによる「ゆっくり」は、「あまあま」や「おちびちゃん」や「すっきりー」以上のものである。

もちろん、この挨拶さえできないゆっくりは、すぐさま制裁されてもしかたがないというほどにまで、ゆっくりたちの存在そのものに染み付いたものだ。

加工所では、このゆっくりたちの最も重要な本能を利用して、1秒間に3回というゆっくりたちが認識できる最速のスピードで多数のスピーカーでエンドレスで呼びかけ続ける。

もちろん、ラインのゆっくりたちがそれに挨拶を返せるわけもなく、次々と返さねばならない「ゆっくりしていってね」が彼らの脳裏に本能に刻み込まれていくのである。

ゆっくりたちにとって『ゆっくりしていってね』と返すことが出来ないほど「ゆっくりできない」ことはない。

これが1秒間に3回のペースで、しかもゆっくりが認識できるスピーカーの数だけゆっくりの体内に刻み込まれていくのである。

単純な仕掛けであるが、これほど効果的なゆっくりに対する「ゆっくりできない」仕掛けはないらしく、加工所は常にさまざまな手段で虐待を行なってデカトースの量を計測しているが、現在のところ量産可能とするには最も効率の良い工法であると、デカトースの増加量で証明されている。

「ゆ ゆっくり ゆ ゆっくち

生まれてからラインに投げ込まれたゆっくりたちは、最初懸命に挨拶を返そうとするゆっくりたちは、やがて「ゆっゆっゆっゆっゆっゆっゆっゆっゆ」とひたすら最初の文字を連呼していく。

そのうち痙攣のように「ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ」という音を発し始めるが、これは決して「非ゆっくり症」になったわけではない。

というよりも1秒間に3回という数字は「ゆっくりに非ゆっくり症になる余裕さえ与えない」ための速度であった。

つまり、ゆっくりたちは明朗な意識を維持しながら、噴霧された『ゆーぽん』の糖分と栄養によって生存を続け、成長し、体内のデカトース濃度を濃くしていくのである。

極限までゆっくりできない状態により急速に糖分を精製させるゆっくりたちは、赤ゆっくり状態から強制的に成長させられ、わずか1日で成体ゆっくりにまで成長してしまう。

このデカトース工法の強みは、極限まで突き詰めた「ゆっくりさせない」ことによる強制的な糖分精製が行なわれた結果、ゆっくりの成長促進作用という副産物も伴っていたことにある。

現在ではこの「ゆっくり生産ライン」は全世界的に普及している。

ちなみに清掃ゆっくりや分別ゆっくり、などもこの工程で成長させられたものばかりだ。

彼らは特に教育しなくてもこのラインで生まれたというだけで人間社会を天国に思い、なおかつ加工所の恐ろしさを餡子に刻みつけられている。

さらにもっとも「生産効率として有効」な3週間ほどを経過したゆっくりが遠心分離によってお飾りと皮を剥がされるラインに送られ、そのままデカトース由来のアルコールことバイオデカノールとして精製される。

ゆっくりを1日で成体として成長させてしまうほどの強力なデカトース精製を3週間も続けていると、ゆっくりたちの餡は餡と呼べないほど純度の高いデカトースとなっており、透明感すら帯びるようになってくる。

この透明感ある餡は1万倍に希釈してもゆっくりを、そのゆっくりできなさで死に至らしめるほどの純度の高いゆっくり忌避剤となる。

このような純度の高いデカトースから精製されるバイオデカノールは非常に高い燃焼効率を持っており、現在ではほぼ全世界の自動車や発電の燃料として使用され、エネルギー問題の福音として評価されている。

また一部の貧しい国ではそのまま酒として売られることもあるようだが、現在のところ人体への害はないようだ。

さらに人間社会で問題を起こしたゆっくりが流される処罰ラインでは、ゆっくりたちは同じ工程を1年ほど通される。

ほぼ処罰と見せしめと「加工所への臭い付け」のために行われるこの工程の映像は、ゆっくりたちが働く現場では一つはなんらかの置いてある。

1年もたちともはや餡そのものが完全にデカトース化し皮さえも糖化してしまっている。

ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛ゆ゛」とさえ言えなくなるまで餡が糖化した純粋なデカトースは透明であり、中央の中枢餡が気味悪いほどのスピードで蠕動しているのを見ることができる。

ゆっくりたちは本能で「ここまでされてもまだ意識ははっきりして、ゆっくりできないままにされている」ということを悟って、その映像だけでも気の弱いものは卒倒してしまう。

むしろ「処罰」が一年になっているのは、さらに糖化が進みすぎるとデカトース濃度が臨界を超えて発火を始めるからである。

透明化した「かつてゆっくりだったデカトースの塊」はデカトース分はゆっくりのゆっくり出来ない記憶を固めた存在となり、ゆっくりの極めて強烈な毒薬となり駆除などに使用される。

また道路や家屋などにも塗り込められゆっくりがごく自然に近づかないようにされている。

そして蠕動している中枢餡は天然成分のオレンジジュースのプールで生命維持をさせられ続け、1週間ほどで不純物やゆーぽんの成分やアクが完全に抜けたところで固められて厳重な検査の末に食用とされる。

生命維持用のオレンジゼリーの中に含まれたゆっくりの中枢餡は『罪と罰』という名前を付けられて売られているが、非常に高価で貴重なものであり、その甘味と口当たりはあらゆるすべてのスイーツの頂点とされるほどのものだという。

ただ、一つ欠点があるのは、これを食べてしまうと一週間ほどゆっくりたちにとっては死神そのものに見えるほどに「ゆっくりできない」においが漂うらしく、体質によっては近くに通っただけでゆっくりたちが餡を吐いて死んでしまうために、市販されていないという点だろう。

他にも加工所には赤ゆっくりたちを生産するラインやゆっくりたちのエサ作るライン、食用ゆっくりを生産するラインが存在するが、これらについては機会があったら語ることもあるだろう。

「むきゅ、きょうのおしごとはこれでおしまいね、みんなおつかれさま」

「「「「「「「ゆっくりがんばったよ」」」」」」」

夕方の回収と分別を終えてリーダーぱちゅりーが終礼のようなものを行なっている。

もちろん、人間たちのように整列したしせず、また義務付けられているわけでもない。

ただ、リーダーぱちゅりーは終礼のときに、功績のあったゆっくりや、「おたんじょうび」(分別所にきて『たくさんのひ』ということだ)や、子ゆっくりをきちんとそだてることのできたゆっくりなど、いろいろな基準で人間から与えられた「あまあま」を配ってくれるので、自然に集まるようになっていた。

時たま、力づくでリーダーぱちゅりーの「ぽしぇっとさん」を奪おうとするゲスも現れることはある。

だが、ぱちゅりーは前述したゆっくり忌避剤を塗りこめた棒をいつでもポシェットから抜けるようにしている。

もちろん自分も非常にゆっくりできないので、出来れば使いたくない武器だ。

ちなみに管理人もできるだけ立ちあうように指導されている。まだまだ「分別所」については試行錯誤のまま運用されているため、トラブルも改善の余地も多いからだ。

「まりさ、れいむ」

「ゆっ なんなんだぜ……」

どことなく元気のないまりさとれいむが現れる。

「あなたたちは、きょうがんばって『はばねろさん』をしょりしてくれたわね」

もちろんこういうゆっくりにとっての劇物とて容赦なくゴミの中に含まれる。

運悪く割り当てられてしまった二匹は、何度も死にかけながら、指導役のぱちゅりーに「ひとつずつ、つばをかけてから、ゆっくりとのみこむのよ」という教えを守って処理を終えたのであった。

「がんばったわね。よってごほうびにかんりにんさんにもらったちょこれーとさんをあげます」

「まりさおめでとーなんだねー」

「はばねろさんをたいじしさまりさはゆうしゃなんだみょん」

「れいむもがんばってたわ」

祝福をうけながらチョコレートを受け取る二匹。

「だいじにたべるのよ」

「ゆっ まりさはたべないんだぜ

「れいむもだよ

とチョコレートをまりさのお帽子につめこむ二匹。

「まりさとれいむは、けっこんするのぜ

「おちびちゃんのために、あまあまはとっとくんだよ

と胸を張る二匹。

「むきゅ、こまったわ……ちょこれーとさんはとけやすいのよ」

困ったように教えるぱちゅりーにまりさが答える。

「ゆっ とけてもぺーろぺーろすればいいんたぜ

「あー、ちょっといいか

びくっ と条件反射的にゆっくりたちは上から聞こえた人間の声に振り向いた。

どの顔も恐怖に歪んでいるが、それはいつものことなので管理人は気にしない。

「チョコレートにこだわらんなら、こっちのキャンディーにしとくか 紙に包まれているし少しは保存しやすいだろ」

と両側が捻られた紙に包まれたキャンディーをふたつリーダーぱちゅりーの前に置いてやる。

あくまでも管理人はリーダーぱちゅりーを通してしか物を与えない。これは絶対の服務規程でもある。

「まりさ、れいむ、このきゃんでぃーさんでもいいかしら

「まりさ、いいよね このほうがおちびちゃんのためにとっときやすいよ

「わかったんだぜ、ぱちゅりー。このちょこれーとさんとこうっかんなんだぜ」

と二匹はリーダーぱちゅりーにチョコレートを返し、キャンディを受け取る。

その後もゆっくりらしい要領の得なさでありながらもなんとか終礼のようなものを終える。

「よーし、おつかれさん。これでお前らの仕事は終わりな。今夜もお前ら『ゆっくりしていってね』」

「「「「「「「ゆっくりしていってね」」」」」」」

と最後の挨拶をしめて、ゆっくりたちは一日の重労働を終える。

管理人はゆっくりたちの前から出ていくと厳重に分別所の扉を閉めていった。ガチャンと鍵の音がする。

この密閉される音で、むしろゆっくりたちは安心するのだ。

やっとゆっくりたちだけの時間がくる。

そして、彼らは初めて素顔を見せる。

それは道で見せる泣き顔をさらに強めた滂沱の涙だ。

「ゆええええええええん、ゆぇぇぇぇぇぇぇん」「ひっぐひっぐ……」「わきゃらにゃいよー、わきゃらにゃいよー」「とかいはじゃないわー、こんなのとがいはじゃないわ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」「ゆえええええええええん」

恥も外聞もなくゆっくりたちは泣きじゃくる。

幸せな生活の筈だ。加工所でのゆっくりどころかすべての生命活動が「ゆっくりできない状態」にされるための機械的なラインの上よりも、ぜんぜん幸せな筈だ。

人間たちは基本的にゆっくりにやさしい。

どの人間たちもゆっくりの生態を理解し、社会のためになる益獣として愛している。

ゆっくりが誕生して以来、ここまで人間社会にゆっくりが受け入れられ、愛されている時代はないだろう。

ゆっくりはその生態も存在もすべてが理解され、そしてその存在は人間社会の生態系の中にしっかりと組み込まれようとしていた。

「ゆっくりしていってね

今、人間社会はすべてがゆっくりたちに向かってそう言ってくれている。

そのことを誕生から成長から理解させれる仕組みの中に生き、そして死んでいく中にあってさえ、ゆっくりたちはどうしても人間たちが見ていない(と思い込んでいる)所では、恥も外聞もなく泣きたくなってしまうのだ。こんなにもゆっくりが受け入れられ、愛される時代であり、理解され尽くした社会であり、加工所にいた頃に比べたら幸せなのに、どうして泣きたくなるのだろう。

「「「「「「「「ゆぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇん ゆぇぇぇぇぇぇぇん」」」」」」」」

いつしか種にかかわらずその泣き声は一つになっていく。

それを聞いている夜勤の管理人は、ゆっくりたちがしっかりと生命維持の糖分を精製していることに安心しながら、防音について少し対策が必要だな、と報告書に記していくのであった。

「ゆっくりしていってね……、と」

ゆっくりたちが理論的に愛でられた世界で。

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コメント

  1. ゆ虐大好きやっさん より:

    初めまして。
    Twitterでオススメ作品に上げられていたので拝見させて頂きました。

    ゆっくりに対する考察など大変に興味深く、作品自体も読みやすくとても楽しめました。

    素晴らしい作品をありがとうございます。