ティエラ~地平線のない大地~ 第一話 自分探し

『Tierra』という1990年代にスペインのトマス・S・レイ博士が作った自己複製と自己進化を起こすプログラムの事を、アスキーの先輩であった石原潔さんに聞いて以来ずっと構想していた作品。

自己複製と自己進化を続けるプログラムが、wwwの中に解き放たれて、生き残るためにウィルスではなく、スパムや荒らしアカウント、果ては実在のアカウントになりすますことによって、ネットにアクセスしている人間よりも明らかにトラフィックが増大している事を理由づけようとした小説。

最初は、パソコンの事を何も知らない女の子が、勝手にTierraによってネットアイドルになっていくというストーリーだったが、いろいろ忙しくて放置している間に、スマホとか発売されて、もうなにもかも古くなった作品。

本文

昔者 荘周 夢為胡蝶 栩栩然胡蝶也
(昔者、荘周、夢に胡蝶と為る。栩栩然として胡蝶なり)
自喩適志與 不知周也
(自ら喩みて志に適うか、周なることを知らざるなり)
俄然覚 則遽遽然周也
(俄然として覚むれば、則ち遽遽然として周なり)
不知 周之夢為胡蝶與 胡蝶之夢為周與
(知らず、周の夢に胡蝶と為るか、胡蝶の夢に周と為るか)
周與胡蝶 則必有分矣 此之謂物化
(周と胡蝶とは必ず分あらん。此れをこれ物化と謂う)

- 荘子・斉物論篇 第二の十三

第1話 自分探し

1

「ふぇ?」
と、呆然。
ずらーり、と並んだ商品の列を見ただけでめまいがしそう。
早くもわけがわからなくなりはじめた奏子をよそに、まるで我が事のように物色し始めている津奈美は脳天気に話しかけてくる。
「ほーう、こりゃあ、いっぱいあっていーねえ」
連れてこられたのは、金町商店街の一角にある小さなケータイ屋。
狭い店内に空間恐怖症じみたレイアウトで並べられた携帯電話に、早くも機械モノ全般に弱い奏子は圧倒されはじめている。
(うわーうわーうわー)
なにがなんだか。
友達がみんな持ってて、それがみんな違う種類だったりするのは知っていたけど、彼女の想像以上に日本のメーカーは偏執的だったみたいだ。
いったいどこがどう違うのか考えただけで頭が痛くなりそうな携帯電話の種類に早くも頭痛がしてきそうだ。
直江奏子、14歳。
ケータイ・デビューを飾ろうと思って溜めたお小遣いを持って来たのはいいが、早くも挫折しそうな予感がしてきた。
「どした? かな」
店に入るやいなや、さっそく当人以上に熱心に物色していた同級生の江副津奈美が、店の入口近くで呆然としているのを見かねて、声をかける。
「え……、えと、なにこれぇ?」
“ぽや子”、“ぽけかな”、“かな坊”。
普段からこんな緊張感のない呼ばれ方することからもわかるように、あまり人生ペースの早いほうでない奏子は気の抜けたように答える。
「なにこれって?」
「こんないっぱい……あるの? けいたいって?」
「ああ、なんだ、そういうことか」
ようやく友人が店内を覆い尽くす携帯電話のバラエティーのせいで呆然自失状態になりかけているのを悟って、津奈美はいかにも奏子らしい反応に、なんだか満足した。
なにしろ、奏子きたら成績自体はけっこういいのに、いつも授業で先生の板書に追い付けなくて、津奈美にノートを借りて書き写しさせてもらっているような娘だ。
小さなディスプレーとキーをぎゅうぎゅうに詰め込んだ、いかにも奏子の苦手そうな「機械感」漂う小型の物体が、いったい何がどう違うのか? それ以前に何ができるのかすら見当さえつかないのだ。
なんだか、棚に並んだ“けいたい”たちが、みんなで「さあ、どれを選ぶ気だい?」と自分に迫ってくるような錯覚さえしてくる。
「迷う?」
「つーか、わかんない……」
「だろーなー」
ちょっと津奈美は失敗気分。
“ぽや子”なんだから、こんな所にいきなり連れて来ても選べるわけないし、混乱するだけだってことは予想がついたことだった。
いっそ、自分が選んで買ってきちゃったほうがいいかも知れない。
ただ、津奈美は津奈美で、使ってはいるけどそんなにメーカーとか機能とかに詳しいわけじゃない。
「つなちゃん、選んで……」
って言われても、せいぜい「おそろい」を探して買ってくるぐらいしか思いつかない。
「ん、どうしようか?」
「ちょっと、わけわかんない中……」
もういちど周囲を見渡して、また“けいたい”たちに問い詰められる気分で「え、選べと言われましても……」な気分で奏子。
「今ほしい?」
「今すぐじゃなくていいかも……」
「そか、いきなり買って後悔すんのやだもんねぇ」
「こんないっぱいあるなんて、思わなかったし……」
みるみる戦意喪失していく少女たち。
「じゃ、パンフレットだけ貰っていこう。んで、ゆっくり決めよう」
「うん、ちょっと今は無理……」
津奈美の提案に、ほっとしたようにうなづく奏子。
正直、息が詰まりそうで、ここから早く出たくなってきていたし、なにより「ゆっくり決める」というあたりがよかった。
「でも、なんか溜めたお金使っちゃいそう……」
もしかしたら店に入ってから初めて見せたかもしれない笑顔で、奏子は津奈美に言った。
「はい、いらっしゃい! どんなのが欲しいの?」
彼女たちの制服が珍しかったのか、彼女たちの購買意欲がみるみる萎えてきているのに気がついたか、茶髪の若い店員が営業スマイル以上に嬉しそうに近づいてきて彼女たちに声をかけてくる。
本来、通学路から外れた所では見かけることさえレアな制服が彼女たちのトレードマークだった。
彼女たちの通う煌星女子高等学校付属中学校は近隣では知られた私立の女子校である。
創立から50年以上を数える名門校だが、そんな伝統校としての歴史以上に三年前に変更された制服の愛らしさで知られていた。
薄いピンク色のボレロに、校章の入った白のベレー帽、真白のブラウスに学年色のリボンタイ。ワインレッドのスモック型のワンピースをひらひらさせながら歩き回っている様子は、学校側の理事が誰かに「いったいどういうつもりだ?」と、小1時間ほど問い詰めたくなるようなフェティ心溢れる制服だ。
奏子の方は白いニーソックス、津奈美は黒のタイツと、お好きな人にとってはどちらを選ぶか迷うマッチングだ。つーか、選んじゃいかん。
そんな制服に奏子は小さな革製の鞄、津奈美は兎の尻尾のようなものがついたリュックをそれぞれ背負っている。
「わ、え? ……えと、あの」
「ケータイ買おっかなって」
もちろん、答えたのは津奈美。
わかってるよ。つーか、それ以外売ってませんが? と、内心店員は思うが、それは制服の可愛さに免じる事にした。
それに腰を屈めて150cm前後(奏子145cm、津奈美152cm)の小柄な制服姿の女の子にセールスをするというのは、なかなかにマニアックなシチュエーションで悪くない。
それにタイプこそ違うが、どちらも実に可愛らしい少女たちであった。
「そうかぁ、どんなのがほしいのかな? 予算はどれぐらい? 機能はどんなのが希望かな? これなんかどうかな? これなんかデザインがかわいくて女の子にはいいんじゃないかな? ほら、ここが七色に光って、メールの着信知らせてくれるの」
「え? え?」
「今はねえ、なかなかこれ手に入らないんだよねぇ。在庫切れが多いんだ。そう、すごい人気機種だから、今買えるの絶対ラッキーだよ?」
「え? あの?」
「これがダメだったら、これなんかが今売れている機種だよねえ。着メロ登録も簡単だし、というより1000曲近くも登録されているから」
店員は一気にまくし立てる。
これはセールスでよく使われる、とにかく利点を述べ立てて一種洗脳状態にしてしまうという手法だ。
話を聞いているうちに、これだけ説明させたのだから買わないと悪いかな、という日本人のお人好しさも突いている。
詳しく知りたいのなら東京のどこでもいいから新宿駅の近くあたりでボーッと立っているといい。それで「映画が安くなるチケットをほしくないですか?」と話しかけてくる人間に付き合ってみれば、いやでも思い知ることができる。
「え……? あ、あの……」
聞かされている奏子は、ただでさえ混乱しているところに拍車がかかってしまう。
隣の津奈美までがちょっと呆然としているのだから、救われない。
言葉の波に飲み込まれそうになった奏子は、もうなにがなんだかわからない。
「やっぱりねえ、ケータイは持ってたほうがいーよー。いつでもお友達と繋がるし、メールとか使って仲間もいっぱい増えるからね。たいていの子は持ってるし、ね。便利だよ」
半ばパニック状態になっている奏子に、「これは押し切れる」と思ったか、店員が取り込みにかかったところで、急に彼女は一瞬引いたような表情を見せて、
「ご、ごめんなさい!」
何故かペコリと頭を下げて謝って、脱兎。
走って逃げた。
笑ってしまうくらい足が遅かった……。

「どおーして、逃げるかなぁ……」
逃げた奏子に追いつくのは、塩をかけたナメクジに追いつくぐらい簡単だった。
「あ、ごめん」
「ごめんじゃなくて」
津奈美が問い詰めるような表情になったのを友人ゆえの敏感さで察知して奏子。
「ええっ? だ、だって、いろいろ言われてわけわかんなくなって……。あ、あと“いつでも友達と繋がる”とか“仲間もいっぱい増える”って言うから、ヤだなぁ……って思って」
「あんたらしいわ……」
溜め息のように津奈美。
「そんなにみんなと繋がるのイヤか、友達100人できるのイヤかぁ!」
奏子の頭をグリグリしながら、津奈美は言った。
「いたいいたいいたい~」
正確にコメカミを圧迫する津奈美の拳に悲鳴を上げながら奏子はじたばたする。
商店街を通りかかる人々が、二人のジャレ合いを微笑ましく見ているのに気がついて、津奈美は手を離す。
「じゃあ、なんでそれで“ヤだなぁ”で、ヒくのか?」
「いや、じゃないけど~」
確かに奏子は、友達も少ないタイプでないし、孤独を好む性質でもない。かなり、のんびり屋な事以外は、ごく標準的な友達づきあいのできる娘だ。
「面倒くさいんだろ?」
「だってぇ、忙しそうじゃない? いつでもどこでも、って?」
首をかしげながら奏子は答える
「じゃあ、どうして“けいたい”なんて買おうとするかなぁ……」
「ん~。あんなに難しくで、忙しそうだと思わなかったの」
「はあ~」
なによりも雄弁な溜め息で、津奈美は納得する。どーせ、あんまりお小遣いに使い道のあるような娘じゃないし、貯金で買えそうだし、みんな持っているから買おうと思った。そんぐらいの気持ちだったのだろう。
「あ、おやきおいしそう」
いきなり振り向いて奏子が言う。
彼女の視線の先には今川焼き屋の屋台があった。小麦粉と小豆餡の焦げる匂いがとても食欲をそそった。
「ねえねえ、つなちゃん。買おう? ちょうどお金あるし、奢ってあげる」
「はいはい、ありがとさん」
津奈美は奏子に腕を引っ張られながら追いていく。
「ねえ、ぽや子」
「ぽや子言うなぁ」
「あんた、もう“けいたい”のことなんてどうでもよくなってるでしょ?」
「ん」
にへら、と奏子は笑って頷いた。
激しく脱力しながら津奈美は、まあ携帯電話の種類で悩むより、小倉餡にするかチョコレートにするか今川焼きの種類選んでいるほうがこやつには似合っていると思うのであった。
それでも選ぶのに時間がかかるのに違いないのだろうけど。

彼女の通う煌星女子高等学校付属中学校、略しては煌女は、一応はお嬢様校と言われる女子校に通っているが、決して資産家の娘でもなんでもない。親は“役員”とつかない会社員で、家はなんとか建てた二階建ての一戸建てが自慢といった、あまり特筆すべきものはない家庭である。
まあ、それでも“制服が可愛い”と父親の強力なプッシュと元々は成績の悪い娘ではなかったので通える程度の、“ちょっと育ちがいい子”が集まる程度のプチお嬢様校と思っていただければ幸いである。
「シャーーーーーー!」
「フーーーーーーー!」
餅チーズおやきに挑戦して、ちょっと胃もたれ気味のまま帰宅した奏子を迎えたのは、こんな声だった。
盛大な足音とともに、廊下を玄関に向かって駆け込んでくるのは、チンチラの仔猫。
全力疾走で駆け込んでくる目の前に奏子が現れたので、慌てて方向転換をしようとするが、あいにく長毛種の猫というのは足の裏にまで肉球を覆うように毛が伸びていてグリップが利かない。
爪が空しく廊下を掻く音ととも、ドリフト状態になった仔猫は奏子の足元に落ちた。
「シャーーーーー!」
その後から駆けてくるのは、奏子より3歳年下の妹、睦美。
背丈は奏子より頭ひとつ小さい。
ツインテールの髪をなびかせて、猫の威嚇声を真似しながら登場。
「ただいまぁ」
奏子は仔猫を抱き上げながら平然と対応。
可哀想に抱き上げた仔猫は、目を見開いてまだ心臓がドキドキいっていた。
「あ、おねいちゃん、おかえりなさい」
「睦美、また小虎いじめてたの?」
「いじめてないよぅ。ただ、雄猫としての胆を練ってあげていただけなのだ」
「それをいじめている、って言うと思う……」
奏子はを抱き上げながら靴を脱いで家へとあがる。
「こうして試練を乗り越えて、雄としての自覚に目覚めさせるわけですな。……ん~、でも、ま、いっか。小虎、今日のトレーニングはこれまでね」
と睦美は居間へと帰っていく。
おそらく居間でゲームでもやっていたのだろう。「ゲームは忙しくて面倒だから、あまりやんない」奏子にはよくわからないが、ゲームをしながら睦美は、猫をいじったり雑誌を読んだりパソコンをしたり、いろんな事をしている。
とにかく片時もなにかしていないと気が済まない性質なのだ。
「まだやる気か……」
と、奏子は睦美の背中に口の中だけで呟く。
彼女と対照的に活発で元気な妹の所業を必死で止めるような甲斐性も気力も、奏子にはちょっとない。
せいぜい、避難所として自分の腕の中か部屋を提供してやるぐらいが関の山だった。
「お前もなんぎな主人をもらったねぇ」
小虎の長毛種の猫特有のふわふわの背中を撫でながら、そんな事を言って奏子は自分の部屋へと帰る。
「あ、おねいちゃん?」
奏子が自分の部屋のある2階へ階段を昇ろうとすると、再び睦美が居間から顔を出す。
「……?」
「えへへ~」
と睦美は不信げに首を傾げる奏子を見るとにやにや笑いを浮かべた。
「なに?」
「んー、なんでもない。あ、ノイエ・ジールが……」
わけがわからない奏子に睦美は意味不明の言葉を最後にまた居間へと引っ込んだ。
「ん~……ま、いいか……」
妹が挙動不審なのはいつもの事なので、気にせず彼女は階段を昇る。

奏子の趣味は眠る事である。
とにかく彼女はよく眠る。小さい頃から、親に猫の生まれ変わりなんじゃないかというほどよく眠る子であった。
「ふう~、今日も疲れたぁ~」
津奈美あたりが聞けば「いったい何に疲れとるんじゃぁ!!」とツッコミを入れたくなるなるようなのんびりぽやぽやした学園生活を送っているくせに、鞄を置きながらこんな事を言う。どうも彼女にとっては学校へ通う事自体が疲れるらしい。
カーテンを閉めて、と。
さっそく自分の貧相な体形にちょっとコンプレックスでも抱きながら牛柄のパジャマに着替えてしまう。
外出するときは一つに束ねて編んでいる三つ編みを解く。ふわふわで柔らかい“猫っ毛”なのは自分でも気に入っているのだけど、ちょっと髪の量が多くて癖ッ毛気味なのは好きじゃなかった。あと、ちょっと色が薄くて栗色をしているので、津奈美や委員長のような綺麗な黒髪には憧れる……。
「……?」
なんだか部屋に違和感がある。
ちょっと狭っくるしい感じがあるな?
とはいえ、けいたい屋でかな~り疲れたので彼女は気にしない事にした。
「あ~、阪神。ただいまぁ」
特にぬいぐるみを集める趣味はないけど、彼女にもお気に入りの“ぬいさん”ぐらいはいる。ベッドの上に横たわっている大きなホワイトタイガーのぬいぐるみがそれだ。
中学受験の合格祝いにお父さんが買ってくれたもので、添い寝にも枕にもぴったりな大きさなので、奏子はとても気に入っている。
名前は睦美が勝手に“阪神”と呼び始め、いつしか家族もそう呼び始めた上に、奏子が他にいい名前を思いつかなかったので、不本意ながら受け入れたというのが由来だ。
ちなみに小虎の名前も、このホワイトタイガーにチンチラの体毛が少し似ているので付けられた。危うく睦美に“フッサール”という、変な名前を付けられそうになったのを、寸での所でインターセプトしたのであった。
お母さんが干しといてくれたシーツ、毛布、お布団がベッドに畳まれてのを、一生懸命に敷き直す奏子。もしかしたら彼女にとって1日で一番真剣になる作業かも知れない。
やっとベッドメイクが終わり、ベッドの上に飛び乗り、正座して枕をポンポンと二度叩く。いつから始めたかわからないけど、彼女の安眠の儀式だ。
「んふ~……」
なんだか、とても嬉しそうに微笑む奏子。
そのまま阪神ごと毛布とお布団を被って、枕に頭を乗せる。
お日様の匂いを一杯に吹くんだ柔らか心地が彼女をリラックスさせる。
「あ~……、小虎ぁ。一緒に寝るぅ?」
もぞもぞとベッドに昇ってこようとしてきた小虎を、持ち上げて自分と阪神の間に寝かせる。小虎の感触もふわふわ心地であった。
自分の体温と毛布のぬくぬく感が同化して、奏子を包み込んでいく。
目を閉じて、頭をからっぽに。
眠り際のこんなひとときが彼女は大好きだった。
「……すう」

「っていうか、早く気付けーーーーー!!!!」
奏子が熟睡状態に入ってから、ほぼ1時間後。
ティターンズを滅亡させて一段落ついた睦美が、大きな足音とともに部屋のドアを乱暴に開けた。
「やっぱ寝てるし……」
ベッドの上で「このまま百年でも眠ります。王子様の優しいキスでもないと起きません」ってなぐらい幸せそうに寝ている奏子を見て、睦美は脱力する。
しかし、まだ11歳、小学校五年生。子供という事を最大限に悪用しても、許される歳の睦美がそれぐらいで遠慮する筈もなかった。
「ちょっと、おねーいちゃん!!」
大股で部屋に乱入すると、ゆさゆさと奏子を揺さぶる。
でも起きたのは小虎の方だけ。
すやすやとちょっと変な笑顔を浮かべながら熟睡中の奏子はまったく動じない。
「起きろ~」
と言いながら睦美は奏子の小さな鼻をつまむ。
長年の研究の結果、もっとも手軽かつ効果的な方法を睦美は考案していた!!
「ん~……」
少しして奏子の顔が苦しそうになり、うなされはじめる。
「ううう……」
なんだか、夢がイヤな方向へと向かいつつあるようであった。寝ながら、睦美の指を振りほどくように、いやいやをする。
「えへへぇ……」
睦美はそんな“おねいちゃん”の様子がちょっと可愛い。
口だけの呼吸が苦しくなってきたのか、ようやく熟睡状態から浮上してきた奏子の耳に、睦美が声をかける。
「起きろぉっっ!!」
「ひぁっ!?」
間抜けた声とともに奏子が目を覚ます。
ちょっと低血圧気味の奏子は、目が覚めても飛び起きるような事はなく、ただ目をしょぼしょぼと開けるだけに留まる。
「むうぅ~……」
まだ、はっきりしない意識の中でも本能的に“敵”だけは認識できるもののようである。奏子は、自分を起こした張本人を睨みつける。とはいうものの、元々がたれ目なのに、さらに寝ぼけまなこ状態では、ひたすらに眠たげな目付きにしか見えないのであった。
「ったくぅ、おねいちゃんってば、すぐに寝ちゃってぇ~」
「……で、なに?」
静かに怒ってます、この人。
全身から不機嫌波を放出しまくりで、奏子は睦美に答える。ただ、毛布に包まったままなのでイマイチ迫力に欠けるのだが。
「つーか、気付きませんか? お姉様」
ジャーン、とばかりに部屋内でポーズを取る睦美。
「……?」
わけわかんない。
のそ~、と毛布を被りながら起き出す奏子は、部屋を見渡す。確かにいつも住み慣れた部屋とはちょいと様子が違う感じがします。
「あれ?」
「へっへー♪」
得意げに胸を張る睦美。
ようやく気付いた奏子の視線の先には、16インチのモニターがひとつ。
「てれび?」
「おねいちゃん、それマジボケですか?」
「マジボケって……?」
顎に人差し指を当てて小首をかしげる。
このあたりが、ぽや子と言われる所以なのだろう。
「最近のテレビってキーボードがついてるわけ? パソコンラックの上に乗っているわけ? マウスで操作するなんて、もしかしてGUIなのかしら? でも、電源つけてもなかなか起動しないのは困りものね? アップルマシンの人たちのレアな番組があったりするのかしら? それもゲイツマシンに移植されて彼らの立場がなくなっていくのよね? でも信者たちはついていくのよ? しょっちゅうサービスパックダウンロードしないといけないのかしら? 毎年OSを買わされたりするのかな? 番組によってはプラグインとか必要なの? 特番見ているとハングアップしたりするのかしら? ウィルスに感染してみんな消えちゃえ~なのかしら? うふ、ふふ、うふふふふ……」
「ちょ、ちょっと……むっちゃん?」
「パソコンだよっ! パ・ソ・コ・ンっ! PCと呼ぶとちょっと大人な気分の、相変わらずセキュリテイホールが空きまくりのゲイツマシンなのっ!!」
どこか、遠くの時空へと飛び立とうとしている妹の言葉の意味のほとんどはわからなかったけど、とりあえず分かったことがひとつ。
「あ~、パソコンねぇ~」
眠たげに応える奏子。
だからどうしたの? といった様子だ。
「で?」
「“で?” じゃなーい! 今度、おねいちゃんの部屋にパソコンが導入されたのー!」
「あ、そうなの……?」
無感動。
「えーと、おねいちゃん?」
「なぁに? むっちゃん」
「あのね、今度、あたしの自作機“梵天丸”が完成したから、今まで使ってたパソあげようと思ったの。でね、うち帰ってきてから、パソコン移動して、セットアップして、LAN構築したの」
ああ、そういう事かぁ、とポンと両手を合わせて納得する。よくわかんないけど、むっちゃんのプレゼントらしい。そういう事ならとりあえず、お礼言わなくちゃならないな。
「むっちゃん、ありがとー」
にっこりと罪のない笑顔でお礼を言う奏子。
その笑顔に逆に心配になる睦美。
「ねえ、もしかして、勝手に部屋狭くして怒っている? パソコンなんていらない?」
「んー、どうだろう……?」
少し考え込む。
睦美の方も、この姉が“いる、いらない”といった問題を即決できるような性格ではないのは知っているので、答えを焦らない。
「えーとね、怒ってない」
「よかったぁ」
「でも、叩き起こすのはやりすぎだと思うよ?」
ちょっとお姉さんらしさを取り戻す奏子。
「あ、ゴメンなさい……」
「まあ、いいけど……。んーと、ぱそこんくれたのは、お姉ちゃんうれしいよ? むっちゃんが好きなものだしね」
「うん、それで?」
ほっとしたように睦美。なんだかんだ言っても、“おねいちゃん”のことは好きだし、やっぱり姉なのだ。
「それでね。今日けいたい買おうと思ったの。でね、買えなかったから代わりに、ぱそこん覚えるのもいいかもしんない~。だから、ちょうどよかったかなぁ~って」
その言葉には妹に対する気遣いもあっただろうけど、本心は本心であった。というよりも、この機械オンチにとっては、どっちでもよかったのに違いない。
「ケータイとPCじゃ、全然違うと思うけど……」
「私にとっては似たようなものだ~」
「う~ん」
なんとなく納得がいかないが、とりあえず姉は喜んでくれたので、よしとしよう。
「ねえねえ、むっちゃん。このぱそこんさんは、“いんたーねっと”できるですか?」
「はっ、ADSL回線をLANで私のマシンと共有できるようにしてありますゆえ、完璧であります姉上」
敬礼しながら答える妹であった。
内心では、さあ、これからこの機械オンチの姉にパソコンについて教える事にうずうずしていた。
マニアならではの習性であった。

蔦の絡んだ塀にレンガ造りを思わせる瀟洒な校舎は、いかにもな伝統を感じさせるが、実にはたった3年前に新築された校舎だったりする。
大人っぽいブレザー姿の高校の方の生徒と可愛らしい中学の生徒が混じって校門をくぐっていく。ただ、まったく違った制服だが、どちらともベレー帽がアクセントとなっている点が共通している。
8時15分。
まだ始業時間に間があるので、校門の生徒たちの数は中学の方が多め。
(あ、雲少ない……)
窓際の席で、なにするでもなく外を見ていた奏子は、特に意味もなく今日の天気のことを考えていた。
知ってのとおり奏子はとてもよく眠る娘であったが朝寝坊をする事はなく、朝からわたわたしたり遅刻したりといったものとは無縁であった。
「はよーん」
元気な声で教室に現れてきたのは津奈美。
相変わらずベレー帽のよく似合うロングのストレート。今日は髪を二ふさ細く編み込んで顔の両側に垂らしている。
「あ、おはよう、津奈美」
「そういえば、昨日パンフ貰うの忘れちゃったねぇ。かなってば逃げるし」
奏子の隣にリュックを下ろしながら、さっそく津奈美は奏子に話しかける。ぴょんと身軽く奏子の机の上に座るのは、彼女の習性であった。
「あ……、それ、もういい」
「それってケータイの事?」
「うん」
「そお? んー、昨日の様子からじゃ、やっぱりと思うけど、一応どして?」
「あのね……」
ちょっと奏子は恥ずかしそうに、自分の束ねた髪を両手で包んだ。
「なになに? なんかあった?」
女の子らしい好奇心が奏子の様子に“秘密めかした匂い”を嗅ぎつけて、津奈美は奏子の机に腰掛けて顔を近づける。
「ぱそこん……もらったの」
「なぁんだ、そんなことかい」
てっきりこのオクテ内気娘に春めいた話題でもあったのかな、と、わくわくしてきたのだが、期待ハズレな答えに拍子抜けする津奈美。……であったが、一瞬の後に津奈美に意外過ぎる事実に気付く。
「……って、ええ!?」
目をぱちくりさせたのち、まじまじと奏子を見詰める津奈美。
「ぱそこんって、あのパソコン?」
「ほかにパソコンとゆものあるのか知らないけど、多分、そのパソコンだよ」
「うそっ!」
と、今登校してきた“山田ちゃん”と呼ばれている子が彼女たちの会話に入ってくる。
「直江さん、パソコン使えるの?」
「っていうか、どうやって手に入れたん?」
「かな坊が、パソコンでなにするのか興味あるな」
と、慢性的にトピックスに飢えている子たちが次々と会話の輪に入ってくる。
「あー……、そんなにいっぱい訊かないでぇ……」
いとも簡単に会話処理能力がパンクする奏子。
奏子が津奈美以外のクラスの子たちと会話するのときは、いつも津奈美との会話がきっかけになる。決して人付き合いの悪い娘ではないし、緊張感のない彼女の雰囲気はそれなりに好評でもある。しかし、いつもぼ~っとしている奏子の場合、なんとなく話しかけるタイミングや話題の選択が難しかったりするので、津奈美という“通訳”が媒介となって会話の輪が広がっていくというパターンになりがちなのであった。
こういう微妙な触媒的関係は、クラスを見渡すとけっこうそここで見られるものである。
「ほらほら、ぽや子が混乱してるから順番に聞こう」
「ぽや子言うなぁ~」
津奈美の会話交通の整理に奏子は誰もが(そ……、その口調がまさに“ぽや子”そのものなんだって)と、ツッコミを入れたくなるようなテンポで
「で、直江さん、パソコン買ったの?」
「ううん、むっちゃんにもらったの」
「むっちゃん?」
「あ、かな坊の妹。睦美って、小5の妹いるのよ、コイツ」
ポンポンと奏子の猫ッ毛頭を叩きながら津奈美の解説が入る。
「かわいい?」
「んー、ちょっと生意気で趣味とかノリとか変だけど、かわいーよー。性格が奏子と正反対なので、笑えるよぉ~」
「あ、ちょっと見てみたーい」
「今度写真持ってこようか?」
「うん、見たい見たい」
「ちょっと……つなちゃん、いつむっちゃんの写真なんて……?」
うろんげに津奈美を見る奏子。
「睦ちゃん、いつもデジカメ持ってるじゃん。だから、あんたんち行く時撮ったり撮られたりしてるじゃん。それ使って、バカ写真とか作ってくれたりするぞ、あの子」
「そおだったの……?」
「つーか、かな坊。そんぐらい気付け」
おそらく姉妹なんだから気付いてはいるんだろうけど、まったく興味がないことなので記憶の中に留まらないらしい。むしろ姉妹だから相手を気にないしてないという事もあるのだろあけど、それにしても奏子は鈍すぎるのかもしれない。
「ねえ……。話それてない?」
適切なツッコミが入る。
「あ、そだそだ。なんだっけ?」
「直江さんのパソコンの話」
「で? 妹のお下がりもらったわけか、かな坊」
「うん。家に帰ってたら、いきなり部屋に置かれてたの」
手を広げて“で~ん”といったゼスチャーをするが、誰もピンとこない。
「へー、じゃあ直江さん、欲しくて貰ったわけじゃないんだぁ」
「欲しいと思う前に、わけわかんないもん」
「そーだろーなー」
一同はしみじみと納得する。なにしろ日直で教室のエアコン調整をするたびに、いちいち津奈美にリモコンの使い方聞いては怒られているような娘なのだ。
「っていうか、昨日いきなりケータイ買う言い出したときでも、びっくりしたもん、私」
「だよねぇ」
「そうだ、江副さん昨日、直江さんと一緒にケータイ買いに行ったんだよね? あれはどうなったの?」
「ああ、買ったよ。いちおう」
「本当?」
真面目な顔して津奈美は答える。
「今川焼きを」
「今川焼きかよっ!!」
かなり揃ったツッコミが入る。奏子はちょっと赤面してうつむいた。
「あははは……らしーよねぇ」
「で? ケータイはどうしたの?」
「それがねえ、ぽや子ってばさぁ」
「ちょ、ちょっと……つなちゃん……」
流石に昨日の醜態は思い出すと恥ずかしいのか、奏子は津奈美の制服の袖を引っ張る。しかし、その程度でこんなオイシイ話を制止する津奈美ではなかった。
「それがね、あんまりケータイがたくさん並んでいるのに目を回して倒れちゃって、救急車呼ばれた」
恥ずかしそうに袖を引っ張る奏子の制止に、むしろ加速つけて大嘘をつく津奈美。「……!」奏子は目と口を見事に見開いて驚きを満面にする。しかし、問題は大嘘をつく津奈美より、聴衆側にあった。
「そうか……」
「やっぱりねえ……」
あっさり納得してしまうのであった。
「……!」
奏子、二度びっくり。
目を見開いたまま、ぶんぶんと首を振って否定するが、とっさの事に
「……ってゆーのは、大袈裟なんだけどさ。」
「なんだ、でも、ケータイ屋でタンカに乗せられるかな坊想像して、すつげー、ありそうって思ったんだけど」
「うんうん、めっちゃあるあるー思う」
「……むー」
罪なくうなづき合うクラスメートたちにちょっぴり傷心の奏子であった。
そこにすっぱりとトドメを刺すのはやっぱり津奈美であった。
「まあ、でも、ケータイの数に頭がパンクして、店員さんに声かけられたらぱ~と走って逃げちゃったのは本当だけどね」
「うっわ、めっちゃ怪しい~」
「怪しいってーか、何故逃げる?」
「あ、あれは……ただビックリしただけで……」
辛うじて搾り出すように弁明する奏子だが、もちろん反論になってないのは言うまでもない。
「逃げることないよねー?」
「ないな」
「まあ、だってぽや子だしねえ……」
「……」
本当にからかいがいのある娘であった。だが、さすがになんだか余りにも不利な形勢にヘコみ始めた奏子に気付いて助け舟を出すのも津奈美なのである。
「でもさ、この子、あんまり男の子に慣れてないし仕方ないよ。それに……」
と、いきなり机の上から奏子の頭をぎゅう~っと抱き締める。
「そんな子だから、可愛いんじゃん」
「ちょ、ちょっと……つなちゃん?」
いつも津奈美は奏子にこんな事をする。津奈美曰く、奏子はいろんなところが(頭の中身もかも知れない……)ふわふわしていて気持ちいいのそうだ。
いつものことだけど、ちっとも慣れることができずに奏子は津奈美の胸の中でもがく。
(やっぱつなちゃん、けっこうあるなぁ……)
その一方で、津奈美の胸の中でこんな事もちょっと思ったりするあたりが、意外に奏子も余裕あるのかもしれない。
激しく話が進まない。まあ、脱線のしっぱなしというのは、またこの年頃に限らず女の子の会話にはありがちな事なので大目に見てもらいたい。

ひとしきり、「かな坊のぼんやりエピソード」で奏子をかわいいかわいいとからかったあとで、ようやく話が元へ戻り始める。
「……まったく、こんな子にパソコンなんて持たせるのヤバイよね」
「なんか爆発させちゃいそうだ」
「あははは、すっげ~ありそう」
「ひどいこと言う~……」
ぷっと頬を膨らませる奏子。
「これから、むっちゃんに習うから大丈夫だもん、爆発しないもん」
「ってゆーか、それ以前にパソコンって爆発するものなのか?」
さきほどからツッコミ役を務めている大西という本編ではあまり関係がない、ボーイッシュな子が当然な疑問を発する。
「するのかな?」
「しないでしょ」
「まあ、家庭で使うもので爆発するようなものは入れないだろう」
ごく当然な結論が出かかった、ところで。
「けど、よく車とか爆発して回収騒ぎになってない~?」
「なってるね……」
「まさかぁ」
とは言いつつも、一抹の不安が走る辺り、可愛らしいものだった。そんな間抜けな会話の後、津奈美がようやく本題に入るとばかりにちょっと真面目な顔で聞く。
「ところでかな坊さ、パソコンもらったのはいいんだけど、いったいなにするわけ?」
問われた奏子は、いつものようにおっとりと長考する。
考えている……。
まだ、考えている……。
まだまだ、考えている……。
考えたあげく頭上に“?”が明滅する。
「……あれ?」
「“……あれ?”、じゃなーい!! するってぇとなにかい? おまえさんは、何に使うかも考えずに貰ったってわけかい? あー、もったいないもったいない」
ぺん、と頭を叩かれつつの津奈美のツッコミに奏子は反論する。
「……だって、なにができるかよくわかんなかったんだもん。じゃあ、つなちゃんパソコンってなにをするものなの?」
「そうだね、そう言えば何できるんだっけ?」
IT革命などとは無縁の少女たちは、(そう言えば何する機械だろ? あれ)といった様子で顔を見合わせる。そして、視線はツッコミの津奈美に集中する。
「メールとか……、インターネットとか……」
「え~~、でも、それってけいたいさんでも出来ない?」
と意外に鋭く斬り込んだのは奏子。
「う……そう言えばそうだ……」
「そうだねえ……。じゃ、何がよくてあんなおっきくて高いの買うんだろうね?」
「いったい、なんの役に立つんだろう?」
津奈美まで同意してしまい、少女たちは大いなる疑問の前に立ち尽すのであった。
その30秒後に始業ベルが鳴り始めたので、綺麗さっぱり彼女たちの意識からは消え去ってしまったのだが。
女の子たちが頭を悩ませる課題は他にいくらでもあるのだ。

「……ってなこと、つなちゃんたちと話してたのよ」
学校から帰ってきて、手ぐすね引いて待っていたのは睦美であった。とかくマニアというのは、自分の趣味の領域に親しい人間を引き摺り込んで同志を増殖させようという習性がある。特に、睦美はこれでもお姉ちゃん子なので、姉がとにかくもパソコンに興味を持ってくれたのが嬉しくてたまらない様子であった。
というわけで本日から“睦美ちゃんのパソコン教室”が開講される事になる筈であったのだが、帰宅後のレクチャーを姉は断固として拒否したのであった。
「おひるねさせてくんないなら、パソコンいらない~」
さすがに睦美も、一歩の妥協の余地さえ見えない奏子の姿勢に、譲らざるを得なかった。毎日の“おひるね”を邪魔するならば刺し違えることも辞さない、そんな目をしていた。
というわけで、二人は奏子が午睡から覚めて夕食とお風呂の後に奏子の部屋で改めて開講する事にしたのであった。
今は亡き日本ゲートウェイのPCの前にパジャマ姿の二人が座っている。お風呂から上がったばかりの奏子は塗れた髪を束ねてタオルで覆っており、睦美はディスプレイの前の奏子の隣に椅子を持ってきて、デザートがわりのみかんを食べている。
「ねえ、むっちゃん。ぱそこんってなにに使うの?」
「むー」
奏子の質問に、睦美は顔をしかめる。
なんだか、とても不本意そうな低気圧が周囲に漂っている。
「ど、どうしたの?」
自分としては素朴な疑問を口に出したつもりである奏子はちょっと焦る。
「あーのーねー。それ初心者の人が必ずいう、ちょう“がいしゅつ”な質問」
「そうなの?」
ぽやん、と首をかしげる奏子。
「うん。でね、そーゆー質問にはこう答えるしかないのよ。“別に何ができるというわけではありません”ってね」
「えー。でもでも、私だって知っているよー。ぱそこんさんで、絵描いたり音楽作ったりしている人いるんでしょ?」
「わかってんじゃん」
「え?」
「それをそれ。あのね、パソコンとかって“何ができるのー?”って受身で考えていると、結局なにも出来ない機械なわけ」
「ふんふん」
「おねいちゃん、メモ取んなくていいから。つか、PCを前にして筆記用具出さない」
睦美はいかにもパソコンマニアと一典型として“机の上からの紙駆除”の習性を持っている。彼女のとにかく紙にメモするような、電話番号、スケジュール、ちょっとした覚え書きなどは、すべて電子化して紙を排除するという習性は1本筋がとおっており、小学校で使うノートですら持っているのが忌々しいといった風情なのである。
「はーい」
ここは妹の趣味を尊重して苦笑しながらも素直に“らくがきノート”と筆記用具をしまうあたり、奏子はいいお姉さんしていると言えた。
「何ができるかなー、なんて言って、ただ“パソコンを使う事”だけ考えていると、ぜーったいだんだん飽きてきて、そのまま机の上でホコリかぶるようになっちゃうの」
「ふーん」
「そんな、哀れなパソコンを私は友達の上で何台も見てきた!!」
ドン。
マウスパッドを避けて(音が吸収されてしまうから)机を叩く睦美。
「お父さんが買って来て、さっき言ったような理由で挫折して、家族のみんなからも見放されたPC……。それだけでも可哀想なのに、それが私のマシンよりハイスペックだった日には……」
机を叩いた拳を握り締めてプルプルさせているあたり芸が細かい。奏子はそんな妹の芸達者さに感心していた。
「パソコンはソリティア専用マシンじゃないっつーの! 無駄に有り余るCPUパワー! 空きまくったHDの容量! バージョンアップされないままのOS! 一緒に買ったデジカメの画像は写真屋で現像され! 宝の持ち腐れのプリンターは最初に買った用紙がまだ残る始末! DVDドライブがついているというのに他にDVDプレイヤーを買われてしまう屈辱!」
一気にまくしたてる睦美の様子に、姉は半分も意味がわからないまま、うんうんとうなづくだけだ。ただ、どうやらモデルケースが身近にいるのだな、ということだけは見当がついた。
そして、おそらくその友人の家でもそのおとうさんのパソコンを“有効活用”するためのレクチャーを授けているに違いなかった。
「あ、ゴメン。話が逸れたね」
「んー、いーよー。時間あるし」
こういうとき、妹は姉の物事に焦らない性格に救われる。なんだかんだ言っても睦美は、この姉が好きでたまらないのであった。
「話戻すね。とにかくパソコンっていうのは“何ができるの?”なんて考えて、“パソコンを使うこと”を目的にしちゃだめなの」
「えー、でも何ができるかわかんないと、そうなっちゃわない?」
「だーかーらー、考えを変えなきゃならないわけ。パソコンはね“何ができるか?”じゃなくて“何をするのか?”って考えなきゃだめ。よーするに、パソコンは“目的”じゃなくて、絵を描いたり音楽を作ったりする“手段”に過ぎないわけ」
「でも、私、絵描きたいとか音楽作りたいとかゲームしたいとか、あんまないよ?」
「それですよ、おねいさん」
あんたはどこのセールスマンだ? と言いたくなるような胡散臭い口調で畳みかける睦美。
「そのあたりで、パソコンをナメちゃいけませんぜ、ダンナ。例えば、おねいちゃんの趣味と言えば寝る事でしょ?
「ううう、言葉にされるとちょっとなんかヤだなぁ……」
「ネットで調べれば、より効果的な安眠法から妖しげな抱き枕の通販から、似たような趣味のコミュニティなんかみつかるだろし、よりおねいちゃんの睡眠ライフも充実することうけあい」
「充実した睡眠ライフって……。でもでも、インターネットなら“けいたいさん”でもできなかったっけ?」
「アッマーイ。ケータイなんかじゃ、読めないサイトも多いし、掲示板やチャットとかに書き込むのにも一苦労だしね。ほかにもICQとか便利なソフトが仕えないし、それに!」
ビシっと隣を振り向いて奏子を指差す
「な、なに?」
「ケータイなんか持ってたら落ち着かないタイプでしょ?」
「うん」
「いきなりケータイの着信音が鳴ってきたら思わずビクッてしちゃうタイプだろし、それにそもそもおねいちゃん電話キライじゃない?」
「あう……。そういえば、そだね」
と答えつつ、なんで自分はけいたいを欲しがったのかなー、と自問自答。
結果出た解答。
ただ、なんとなく。
「そういう意味でも、自分のペースでいろいろできるパソコンってのは、おねいちゃんにピッタリだと思うのよ」
「わかったわかったから。そんなに力説しなくても付き合うから。どーせ、私もパソコンにハマらせて、いろいろ買わせたりするつもりなんでしょ?」
「……えへへ、ばれた?」
「わかるわよぅ、むっちゃんの考えることぐらい」
「あー、でもおねいちゃんにぴったりってのは、本当、だよ?」
と、ちょっと心配そうに自分の顔を覗き込む睦美に、奏子は優しく微笑んで答えた。
「それも……、ちゃんとわかってるから」
こうして、奏子のパソコン修業がはじまったのであった。
なんの事件にも関わり合いになりそうのない。ごく平和な姉妹の一情景であった。

「やはり150のサーバーを調査してみたが、収支が合わない……」
「またですか?」
「ああ、クライアント側のアクセスと各サーバーの転送量が微妙だがあってない」
「それですけど、自動スパムとか調査した鯖がウィルスかトロイに感染してるとかじゃないんですか?」
「その可能性は検討したさ。というより、その程度の調査を私がしていないと思ったかね?」
「どうも昨年あたりからですよね、こんな現象がみられ出したのは」
「こっちとしてはよっぽど手だれなクラッカーが現れたかと思ったが、それにしてはあまりにも誤差が微妙過ぎた」
「“これ”がクラッカーの仕業だったなら、いっそ気は楽なんですけどねえ……」
「そうだな……。特に深刻な被害もないので、例によってサーバーマシンなどの“相性”で片付けているが、事実上の原因不明だ」
「……」
「……心当たりがないでもないんだけどな」
「また、ですか? 主任」
「ああ……いつまでも、“レイ博士の亡霊”に付き合っていたくはないんだが」
「いくらなんでも荒唐無稽に過ぎるでしょう。御伽噺としても出来が悪過ぎる」
「私もそう思う……だがな」
「なんです?」
「この“地平線のない大地”は、無限と言ってもいいくらいの広がりを見せて、今も宇宙の如く膨張し続けている……」
「まあ、wwwが商用に使われ出してからこの方、全世界的に慢性的なトラフィック不足は解決されずに、どこぞも考えなしに回線とサーバーの増設に追われているのが現状ですからねえ……」
「誰一人として件の世界どころか、現状すら把握していないというのが正直言ったところだろう?」
「ですね」
「何時の間にか、我々は把握しきれないほどの仮想の空間を持ってしまい、今やその世界がなければ夜も明けぬといった状態だ。そんな未開の世界に何が存在していようとも、おかしくはないと思わないか?」
「……“ティエラ”……ですか?」
「杞憂であればよいのだがな。でなければ我々はとんだ“胡蝶の夢”を見させられるはめになるやもしれん……」

いわゆるファーストフードで煌星女子中等部の制服を見かけることはまずない。
特にそういった場所への出入りを校則が制限しているわけでもないのだが、どうにもその愛らしい制服姿はそういったラフな場には似合わないし、なんとなく彼女たちも場違いな気がして、制服のまま入るという事はあまりしないようであった。
そういった意味では、下手な校則よりも効果のある制服であると言えたかもしれない。
「でも、ときどきどーしても食べたくならない~?」
「その気持ちわかる」
さすがに茶髪の娘が煙草吸いながらケータイでがなり立てているような雰囲気(偏見)のある「店内でお召し上がりですかぁ?」をする勇気はなく、テイクアウトしたLサイズのフライドポテトを、ちゃんと公園のベンチを探して座って仲良く分け合って食べているのは奏子と津奈美であった。
「おいしいねえ~」
「やっぱ、揚げたてだしね」
眠る事の次くらいに食べる事の好きな奏子は、本当に嬉しそうにポテトをひとつひとつ大事につまんでは、口にいれる。
ちゃんと津奈美と奏子の交互につまんでいるのが、なんとも可愛らしい光景であった。
「でね、メールを使えるようになったよー」
「へーえ。大した進歩じゃない、ぽや子にしては」
「だーかーらー、ぽや子言うなぁ。んー、最初メールってなんのためにあるのかわかんなかったの」
「また……、いちいちそんな事考えなくてもいいのに」
「でね、むっちゃんに『メールだったら、いつでも好きなときに伝言とか読めるし保存できるでしょ』って言われたから、『留守電じゃダメなの?』って聞いたの」
「」

「そか。だったら、とっとと送ってよ」
「あれ? つなちゃんのメールばんごーって、なんだっけ?」
「番号じゃなくてア・ド・レ・ス。この前渡した筈だけど」

「—– Original Message —–
From: “かなこ” <kanabou@i2-net.ne.jp>
To: “meguro” <meguro@dan.co.jp>
Sent: Wednesday, December 26, 2001 11:24 AM
Subject: Re: 12月28日(金)は、3千円持参で恵比寿にどうぞ

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