天井桟敷で逢いましょう

個人的にちゃんと完結させるつもりで書いたのに、何度となく企画提出から実現不可能になったりし続けたという、一番ツライ作品。

作品の構想自体は、2003年からあって、何を思ったから劇団の経営シミュレーションノベルみたいなゲームを作ろうとして、いろいろ設定組んだり、キャラクターデザインをしてもらったりしたのだが、当時の実力や人望などでゲームなど作れるはずもなく、消えた作品……。

だったのだが、突然2010年になって、なんとavexでデビューするケミカルボリュームというバンドのPVのシナリオや設定を書いてみないか? という話になって、有頂天!

キャラクターデザインを知り合いの志水アキ先生に頼んだり、世界観やコンテンツの広げ方まで作ったり、パワーポイントでavexの会議用の企画書を作ったりという話になっていったのである。

しかし、実現寸前で、どう考えても予算足りないし版権がお互い折り合わないよねという事で断念。越天の空は、その年に書き上げたから、この企画を供物にして完成したと言えるかもしれない。

いろいろ、企画や絵を作ってもらったが、そのまま死蔵状態になっているので、ここに供養のために公開する。

企画書

【天井桟敷で逢いましょう】

メッセージ

20世紀に『どこへ行こう?』と歌い続けたアーティストたちが、

これから歌うべきは『ここへ帰ろう』という優しいメッセージ」

テーマ

あらゆる意味で波乱に満ちた20世紀はとことん未曾有のカオスと言っても過言ではなく、宇宙も世界も経済も科学もすべては開拓地であり続けました。

宇宙開発も資本主義も共産主義も戦争も科学テクロノロジーもインターネットも、20世紀は未開拓の領域を探しては突き進んでいくような、人類みんながこぞって「どこへ行こう?」と躍起になっていた時代だ考えられます。

従って、アーティストたちが必然的に発信していく歌は、「どこへ行こう?」というメッセージを込めた歌や音楽であったと思います。

しかし、21世紀になり「どこまでも開拓地はあり続ける」「人類は進歩し続ける」という幻想は潰え、インターネットで世界が繋がってみたら「なんだよ人間なんてどこでも同じじゃねえか」という、身も蓋もない失望感でした。

そして世界中が繋がってみて、格差は依然としてあるものの、人間は「結局のところ本質は一緒」とわかってしまうと、逆に、個人個人はそのアイデンティティを確立させることが求められるようになりました。

特にネットなどをやっていると否応なしに思い知る、この「どこへ行ったとしても本質は同じ」という「自己の喪失感」は、もはや21世紀社会の宿痾になっていると思います。

ネット社会における人々の「自分を認めてほしい」という強烈な承認欲求は、ネットユーザーなら、一度なりとも痛感するものでしょう。

それほどまでに今の現代人は「自分が何者なのか?」を探し求め、「ここに帰ってきてもいいよ」と言ってもらえる場所を渇望しているのです。

ならばアーティストが、それに応えてやるのは当然とえるでしょう。

 様々な閉塞感や混迷する経済状況で、若者たちは生きることすら大変になっています。

 また、インターネットやケータイの登場で人間関係は広がり複雑になっていきました。

 家族や友人という関係と、どのような距離をとっていいのか、わからないも増えました。

 彼らは、悲鳴をあげるように何かを希求しています。

『信頼できるファミリーと幸せ』

 確かに現代において幸せなファミリー像は強く求められているものです。

 しかしながら、それは血縁的なものではないようです。

 核家族化によって家族間が親密すぎて人間臭さが濃密で「ウザイ」。

 家族の構成人数が少ないため、群れとしての力が発揮できず「頼りない」。

 そもそも血縁によって人間関係が形成されているため「夢がない」。

 残念ながら血縁に基づく家族に説得力を感じない若者が多いのは否めません

 さらに、血縁以外でも、地縁、学校や会社などの繋がりもあやふやになってしまっています。

 足かせになる思われているような時代だからこそ、かえって自分と同じ価値観や希望を持った仲間と強い絆を持って築きたい。

 今のネットコミュニティやSNS、オタクたちなどに見られる若者たちの姿に、根源的にその兆候が見られます。

 しかしながら、その具体像はなかなか現実のものとしては像を結びにくいものでもあります。であるならば、それを提示し『現代における幸せとは何か?』を具体的に可視化できれば、それは強烈なフックとなることでしょう。

 『こんな仲間と生きて、住んで、夢を見たい!』

 現在における理想の『ファミリーとは何か?』

 それを強く訴えることによって、「現代にあるべき幸せなホームドラマ」。

 「今を生きる自分たちが『帰りたい』と願う場所」を創りあげていきましょう。

 現代において一番強い訴求力を持つメッセージ(テーマ)は、実はここにあります。

舞台設定

『月追町』

それはどこにでもあるような、でもどこにもないような、昭和の面影を残した旧い駅と鄙びた商店街のある新潟の町をイメージした架空の町。

日に運行本数が往復でわずか2本しかない、ほとんど改札口など必要のない、ちっぽけな駅・月追町。

そこには、駅舎とキオスクと天津甘栗の屋台が申し訳程度にあるだけ。

駅を降りると、小さな商店街が細々と続いているのがいかにも地方の町らしい。

バスターミナルなどあろう筈もなく、ただ駅前には、バス停とタクシー乗り場、自転車駐輪場が申し訳程度に配置されている。

ぶらぶら歩いていると、現れる景色は、中に佇む店番のまるでやる気が感じられない天津甘栗の屋台薄汚れたネオンのパチンコ屋、地元企業の系列らしい垢抜けないスーパー、常連客以外は入るのを躊躇するような古びた喫茶店、酒屋から転身したのが丸わかりのコンビニ、店の外まで脂が染み出してそうな小汚い焼き肉屋、埃を被ったサンプルが食欲をそそらない中華料理屋、などなど。

そんな駅前の景色は、まったく記憶にない筈なのに、妙に懐かしさを感じさせた。

排気ガス、埃、アスファルト、ソース、甘栗、街路樹などの臭いが入り混じった、なんとも猥雑さに溢れた空気を吸いながら歩くのも悪くはない。

どうにも、この田舎と呼ぶには猥雑で、都市と呼ぶには貧弱な町の、中途半端な風情。

それが月追町。

そこには、このどこか懐かしい町を維持するために集まって、この世界から取り残されたような日常で慎ましく暮らすために集まってきた住人が、それぞれ町を維持するための役割を、それなりに果たしながら暮らしている。

どこにでもあるような、けれどもどこにも存在しない。

みんなの心に「懐かしい」と感じさせる。

そんな街を想像してみてください。

ストーリー導入

バッグ一つを持って家を飛び出してきた少女がいる。

たぶん、帰りたくない家と思い出したくない記憶を詰め込んで。

お金もなく、居場所もなく途方に暮れたまま、夜更けの駅前でうずくまっている。

 そんな女の子に、客が少ないながらも歌っていたストリートミュージシャンの女性が声をかける。

 缶コーヒーすら持っておらず、女性が持っていた魔法瓶のコーヒーを分けあいながら話を聞く女性。

 やがて打ち解け合った二人は、うちへおいでよと、ばかりに少女を連れて行く。

 ついていった先には異様な建物が。

それは大正時代からあったような建物で、

『月追藝術館』という古びた看板が。かつてここは劇場だったことを伺わせる。

*ビジュアルイメージ(http://www.puk.jp/theatre/theater.html

そんな劇場(術館というのは戦前からの流れとして)の中には、同じようにどこからか逃げ出してきたらしい、何人かの女性たちが貧しそうだが、楽しげに共同生活を送っていた。

楽屋や天井桟敷やら倉庫などに、それぞれ自分の部屋を持って。

そしてごく自然に、少女もその生活に加わるようになっていた。

登場人物  

登場人物は全員女の子です。

意図としては、このホームドラマにおいて、恋愛要素を排除することによって、家族像や仲間意識を強調させます。

そのため全員同性でないといけませんが、マニアックに走らないよう、マイルドに普遍性を持たせ、このような設定にしました

それに時代の要請としてAKB48や萌えアニメなどのヒットを見ても、すんなりと飲み込むことのできる設定▶であるといえるでしょう。

佐藤七生子(さとう なおこ) 主人公。16歳。

家出同然で飛び出して来た孤独な少女。

村下倭(むらした やまと)21歳。

姉的存在。頑張り屋さんバイトをしながらの、ストリートミュージシャン。

大崎樟里(おおさき さおり) 27歳。

人形劇場の座長。母親的存在。仲間とともに公演の実現に努力している。

大崎朱里(おおさ じゅり17歳。

妹的存在。真面目。几帳面。主人公と同世代、心許せる話相手

高坂春江(こうさか はるえ) 29歳。

作家志望。喫煙者。寝起きが悪い。樟里とこの劇団の良き理解者。

葛川来夢(くずかわ らいむ) 25歳。

人形師。調理担当。無口。クールなよう熱い心を持っている。

オリガ・アレクセーエフ 年齢未詳

謎の外人。ムードメーカー。語学堪能だが、日本語イントネーションが笑える。

あらすじ

プロローグ

 ☟以下、トライアル原稿・第1話との整合性をお願いします。

 駅前に寄る辺なく佇む主人公。

 夜も更けて寒くなって、ひもじくなってたまらない。

 そんな自分を両膝に抱えて、なんとなく駅前のストリートミュージシャンの前に座っていた彼女。

 地方都市の駅前でお金がなくてできることなんて、それだけだったんだもの。

 夜中になって、人もいなくなってミュージシャンの女の人と二人だけになる。

「ひとりでいるのは寂しくない?」

 差し伸べられた手が、彼女の「ファミリー」物語の始まりだった。

 連れて行かれたのは、古びた廃墟のような劇場。

 そこは6人の女の子たちが、いつかまた、自分たちで人形劇の公演を再開したいと願いながら、共同生活をしている。貧しいけれど幸せな空間であった。

そんな中で、なんとなく生活を始める主人公。

大変な時代、大変な境遇だけど、工夫すれば、衣食住や娯楽で楽しいことなんていくらでもあるんだ。

そんな幸せな空間と人々との繋がりが、ここにはあった。

そして、いつしか座長たちが語る夢に魅せられて、自分も一緒に「人形劇復活」という夢に共感している自分に気づき、何かできることはないかと探し始めます。

そんな彼女と彼女たちの『幸せな物語』が始まります。

館長さん「ここにいてもいいんですよ? そして、何か楽しいことや面白いこと、やりたいことを見つけるまで……」

館長さん「ここは、そんな子たちがちょっとだけ休んで、目を閉じて夢を探す場所なんです」

トーリー案

10話分全体構成

キャラクターメモ

・主人公 16(佐藤七生子・さとう なおこ)

 一人称「僕」。暗い、気弱、繊細、ネグレクト気味の親、劣等感の塊、マイナス思考。

・お姉さん 21(村下倭・むらした やまと)

 一人称「オレ」。

・館長さん 27(大崎樟里・おおさき さおり)

 一人称「わたし」。ほんわか、お母さん、管理人さん、家事万能、意外に男のあしらいかたが上手い。

・妹さん 17(大崎朱里・おおさきじゅり

 一人称「あたし」。真面目、園芸が趣味、武道の達人、綺麗好き。

・作家さん 29(高坂春江・こうさか はるえ)

 一人称「私」。喫煙者、パイプを使っている。冷え性、ドテラを愛用、座敷わらし、寝起きが悪い。

・人形師さん 25(葛川来夢・くずかわ らいむ)

 一人称「自分(そもそも一人称そのものを滅多に使わない)」。無口、料理は上手い、職人肌、クール、根は熱い、名前がコンプレックス。

・外人さん 年齢不詳(オリガ・アレクセーエフ)

 一人称「アチキ、ヤー(Я)」。謎の外人、人間じゃないかもしれない、あらゆる言語に堪能、いつからいたか誰も知らない、変な日本語を使う。

話 ここにいてもいいんだよ?  

・テーマ 導入回

 バッグ一つを持って家を飛び出してきた少女がいる。

 たぶん、帰りたくない家と思い出したくない記憶を詰め込んで。

 駅前でお金もなく、居場所もなく途方に暮れたまま、駅前でうずくまっている。 

 夜も更けて寒くなって、ひもじくなってたまらない。

 両膝に抱えて何をすることもなく、駅前のストリートミュージシャンの前に座っていた彼女。

 地方都市の駅前でお金がなくてできることなんて、それだけだったんだもの。

 夜中になって、人もいなくなってミュージシャンの女の人と二人だけになる。

「ひとりでいるのは寂しくない?」

 差し伸べられた手が、彼女の「ファミリー」物語の始まりだった。

 連れて行かれたのは、古びた廃墟のような人形劇

 そこは6人の女の子たちが、いつかまた、自分たちで人形劇の公演を再開したいと願いながら、共同生活をしている。貧しいけれど幸せな空間であった。

 そんな中で、なとゆきで生活を始める主人公。

 大変な時代、大変な境遇だけど、工夫すれば、衣食住や娯楽で楽しいことなんていくらでもあるんだ。

 そんな幸せな空間温かい食事に、少女は初めて『美味しい』を知る。

 ネグレクト気味の親に育てられた彼女は、ほとんど冷たいパンやご飯、それにサプリメントしか口に入れたことがなかったのだ。

館長さん「ここにいてもいいんですよ? そして、何か楽しいことや面白いこと、やりたいことを見つけるまで……」

館長さん「ここは、そんな子たちがちょっとだけ休んで、目を閉じて夢を探す場所なんです」

第2話 おかしな世界

・テーマ 世界観の説明

 連れて来られた『人形劇場ボウダ(Bouda)』は昭和年代に立てられた古びた人形劇場。その中で住み込みながら公演をやっている6人の女性やその仲間たち、近所の人たちなどとの生活を描いていく。

 6人はそれぞれ自分の仕事をしているので、その様子も。

 全体的にのんびりしたスローライフなイメージで。

 それでいて金がなくても、工夫と気持ち次第でいくらでも楽しく過ごせるというライフハック的な要素を入れていく。

 そして、いつしか座長たちが語る夢に魅せられて、自分も一緒に「人形劇復活」という夢に共感している自分に気づき、かできることはないかと探し始めます。

第3話 舞い上がれ

・テーマ 勝負回・人形劇回

 アニメでもドラマでも第一のツカミとする必要があるのが第三話なので、ここで第一の盛り上がりである『人形劇の公演』を入れ込んでいく。

 月例公演の人形劇の演目が決定し、その準備やスポンサーめぐり、劇場外スタッフとの摺り合わせなどを描いて、人形劇の公演シーンを挿入。

 公演のあとはスタッフだけでなく、スタッフもえた打ち上げのシーンをれて、大団円的盛り上がりへ

第4話 ナンシー

・まったりとした日常のちょっと話

 流星群が出現するという日。座長さんが妙にって、みんなで流星を見ようと言っている。

 でも、夜の予報は雨。みんなめてさっさと寝てしまう。主人公トイレに起き出すと、傘を持ってちながら空をにらんでいる座長さん。

 流星と人形劇場のなれそめについて語る(座長さんを別のキャラにしてもいいです。妹ちゃんが生まれた日に、大流星があったとかでも)

「でも、この天気じゃ、めるしかないのかな?」

主人公が「諦めなければ願いは叶う」とうと、不意に雨がやんで、雲間からわずかに星が見える。空全体を輝かせるような流星痕!(火球)

座長「めなければ……。そうかもね」としんみり。

第5話 ロックンロール

・ロードムービー回 世界の広がりを感じさせる回

 劇団を維持していくには、地方公演にも積極的に応じて行かなければないらない。ただでさえマイナーな人形劇など▶なのでそうやって底辺で▶草の根的に布教に努めていかねばならないのだ。

 ところがこの連中、わりとのんきに気軽に地方公演に出向いてしまう。

 人形師さんが運転する、いつも近所で借りている古びたライトバンに乗り込んで、彼女たちは数日前から出発する。

 途中、海があれば海で、川があれば川辺で、寄り道しながら、期日に間に合えばいいとばかりにのんびりとキャンプしつつ、地方公演に出かけるのである。

 そんな楽しげな旅を、ちょっと「水曜どうでしょう」っぽい部分も入れつつ(ただしアドリブは信用していない)描いていく。

第6話 カーブ

・年少組回 主人公薄くなってるころなので(笑)

 学校からの帰り、ふらふらと街を歩いていたガラの悪いに絡まれている主人公。それを助ける妹さん。

 少しは護身術とか知っといたほうがいいかもね翌日から道場に誘って稽古をつけてあげる。この妹さん、実はこの年で彼女はこの道場の師範である。

 妹さんは、ちゃんと学校に行っているのに、自分は何をしているんだろう?と、劣等感をいだいてしまう主人公。

 そんな彼女に気づかないわけがない妹さん。これでも武道の達人であり気配には敏感だ。

 妹さんも昔は、出来の良すぎる姉と比べられて苦労した。

 でも、結局さ、自分は自分以外になれないしさ。それに何ができるのか? だって何が好きかだって、慌てて探すもんじゃないしさと語る。

「でも……、僕は妹さんのことが好きだよ」

「あははは。何それ

第7話 メンタルヘルス

・年長組回 ちょっとしんみり

 スポンサー先でちょっとセクハラじみた事をされてしまい、気分が鬱屈しながら帰ってくる館長さん。劇場に帰ればいつもどおり明るく振舞っているが、古い付き合いになる作家さん人形師さんは気づいている。

 部屋に戻って疲れたようにしている館長さんのところに、一升瓶を抱えた作家さんがさり気なく登場。「ひさしぶりに飲もうよ。これ、編集さんからもらったとっておきのお酒。まだ、けっこう残っているしさ」。

 そこへ同じように、おつまみを作ってきた人形師さんが現れる。

 人のしんみりとした過去話などをえた飲み会が開かれる。

第8話 HELLO

・ファンタジー回 外人さん回

 全員が人形劇場▶の人形になってしまうファンタジー回。突然の出来事に驚く主人公をよそに、劇団員たちは「またオリガのしわざか……」と慣れている模様。外人さんはいつものように天気に笑っている。

 人形サイズでめぐる人形劇のは、ちょっとしたダンジョンだ。そこには「悪い人形」だの「妖精」だの現れて、もうすっかりファンタジー世界である。

 そんな一夜の夢のような話。

9話 OVERDRIVE・お姉さん回 ストリートミュージック編

お姉さん「最近、曲がマンネリだって言われて……」

 ストリートミュージシャンとえど、新機軸を打ち出さなければ。私たちも一緒にか手伝えることないかな? 妹ちゃんで『剣の舞』。人形師さんと座長さんで、人形を使って曲にあわせて寸劇。

 でも、なぜか昼ドラ的な展開。

座長さん「いいじゃないですか奥さん」

人形師さん「やめて。私には夫が!」

主人公(うわあ、大人の世界だあ……)

外人さんのダンス。ぐるぐる。ムーンウォーク。異常にうまい。

通りがかりのおさん「ちんどん屋さん、いいねえ」

お姉さんショック

さん「みんな楽しそうで、こっちまで気持ち良くなってくるよ」

お姉さん「そうだ。私は誰かを楽しませたくて音楽をやっているんだ」

 とかのいい話に、

作家さん「なあ……。お前は音楽がやりたいのか、芸人になりたいのか、どっちなんだ?」

お姉さん「……!?」

第10話 僕は幸せを知っている

・区切りの回 別に主人公がフェードアウトするわけではない。

 ようやくよく笑うようになった主人公。少しは強くなったみたいだ。

 そんな幸せな世界に慣れた頃、ようやく親が警察に捜索願を出したらしく、少女▶主人公は家出少女として、家に帰る▶連れ戻されることになる。

 冷えきった家庭、敵ばかりの学校。

 でも、今は少しだけ余裕を持って立ち向かえる。

 だって、彼女には本当の帰るべき家とファミリーが、既にあるのだから。

 いつか、また帰ってこようと約束して彼女は、もう一度「日常」との戦いに帰っていくのだ。

彼女はもう「幸せ」が何たるかを知っている。

その他、断片的ストーリーメモ(ホームドラマですので)

・ロードムービー編 

彼女たちはごくたまに地方公演に呼ばれたりします。といっても地方の老人ホームだったり、お祭りだったり、刑務所の慰問だったりします。そんなとき、彼女たちは館長さんが運転するライトバンで何日もかけて旅をします。夏には、海辺に寄って海水浴をしてみたり、冬には、温泉地の百円ぐらいで入れる温泉(各地にあります)に入ってみたり、野宿をしながら旅の途中で、野生の猪や鹿と出会ってみたり。そんな旅は、国内であってもバラエティ豊かで、ドラマに満ちているのでした。

・いつもの食事編

館長さんは、毎日の食事を整えるのにスーパーなど行かずに、自転車で近くの農村の無人販売(実際、東京の練馬にもあったりします)や精米前のお米を買ったりします。また、漁港市場の新鮮な魚介類の売れ残りなどを買い求めたりもします。時間だけはある彼女たちは、お金がないならばないなりに、美味いものを食材から吟味しているのです。そういう意味では「時間だけはある」というのは、お金と同じぐらい大事なのかもしれません。また屋上で七輪を使って魚を焼いてみたりとか、実は普段から、金がかからないプチ贅沢をしていたりするのです。 

・傀儡子編 

日本には、傀儡子の人形神楽というものがあります。例えば、甲府で行われる「天津司の舞」http://www.city.kofu.yamanashi.jp/senior/bunkazai/010.html に、彼女たちは勉強を兼ねて取材に行く。そして、人形たちの織りなす伝統芸能に感動する。

・人形編 

せっかく人形劇場が舞台なのですから、彼女たちを全部「人形化」して、人形たちだけでのストーリーを見せていく回があってもいいでしょう。人形どうしなので恋愛ストーリーとか結婚ネタとか、かましてしまえるのもメリット。

・劇場の歴史編 

あえてモノクロ映像として(戦前からある)プーク劇場の歴史を元にした人形劇座(の歴史を、彼女たちに男役なども演じさせつつ展開します。もちろん、プーク劇場を「原作」としてクレジットします。

・最後の喫煙者編 

人形劇場の中で唯一タバコを吸うのが、作家さんである。作家さんは、廉価なのでシガレットではなくパイプを吸っている。安上がりに楽しめるパイプの蘊蓄を、お伝えする。また、女の子にパイプというのは、上手くやれば演出上、セクシーに見せられる気がしないでもない特にメガネで知的な女性は、なおさら

・下着泥棒編 

女所帯だということを知って、やはりよからぬ考えを起こす愚か者はいるわけです。しかし、劇場内には随所、「鳴子」などが設置されており、侵入しようものなら、その音でパッと起きるように訓練されている「武人」こと、妹さんが出現することに。彼女の身のこなしや殺陣などを綺麗に見せるための回

・花見編 

人ごみで大変になるような場所ではなく、山桜を見に行こう。遠足気分で。

・夏のお嬢様編 

真夏のヒートアイランド現象で暑くなっている日。持ち前の大道具や小道具製作力に加え、植木などを工夫して、屋上になんちゃってサマーリゾートを作ってみたりする。空の青を海の青に見立てて、爽快感の出る映像をはさみつつ。

・夏の花火編

↑の夜には花火を人形劇場)の屋上から観る。浴衣姿で気分を出して。

・文楽編 

大阪の人形浄瑠璃座http://www.bunrakuza.com/ に協力してもらって、コラボとかできそうな気がします。今も生き残りに必死なので、アピールしたいでしょうし。

・時代劇編 

(↑とのコラボができれば最高)なぜか目が覚めたら、江戸時代の人形浄瑠璃の一座にタイムトリップしていた一同。当時の人形浄瑠璃と現代の人形劇のコラボによる舞台は、江戸時代の町で大ウケする。

・ファンタジー編 

クリスマスの季節にやってくる一人の老人。彼はいまいち正体が謎な外人さんの知り合い。人形劇座(場?)でちょっとしたクリスマスパーティを行なうべく、劇場のメンバーたちと準備を整える。そして、彼と彼女たちは着替えて、その日の役割を務めるのだ。サンタクロースとして。

・歴史系ネタ編 

とある和装した老人が倒れている。言葉も通じないので、看病してあげたら、いたくお茶に興味を示した。適当に紅茶やハーブティやペットボルトのお茶などいろいろなお茶やコーヒー、手作りのスイーツなどを振る舞うと、驚きつつも喜んでくれた。最後に彼はお礼のつもりなのか、屋上の七輪(この)彼?が持っていた茶釜と茶入で、みんなに抹茶を振る舞ってくれた。そして、なかなか通じにくい言葉と筆談の末に、自分はもうすぐ死ぬから、これをお礼の形見として持っていてくれ、と茶釜を置いて彼は消える。なんだか妙に平べったいその茶釜の銘は『平蜘蛛』というが、彼女たちはそのことを知らない。

ちなみに、松永久秀が平蜘蛛茶釜とともに爆死したのは史実ではなく、後の創作ですので、この話は成立するのであります。

・吾輩は猫である編 

別に飼っているわけではありませんが、人形劇場には猫が何匹か出入りしています。そんな猫たちの視点で見る人形劇場と一座の人たちの生活。ご近所の猫たちや犬なども登場。

・野球編 

お姉さんには、高校野球を見に行く趣味がある。しかも、甲子園などではなく、地元の古い球場での試合を。バックネット裏には、戦後間もなくから高校野球を見続けている爺さんなどがおり、そんな人たちと野球談義をしながら、観客の少ない高校野球を見続けるのが楽しいらしい。

・盲目のお客さん編 

盲導犬を連れてやってくるお客さんが常連の中にいる。そういう人たちのために、もっと脚本や演出を変えたほうがいいのではないか? と主人公は言う。館長さんと作家さんは「その気持はとても大切」と言いながらも、「でもね、あの人は盲人向けの演劇ではなく、私たちの人形劇を見に来ているの。そんな私たちがやることは、別なことをするのではなく、もっと人形を仕上げ、操演を磨き上げ、声を通るようにして、より素晴らしい私たちの人形劇をお見せすることだと思うの」と諭す。

・彼女たちの過去編 

実は彼女たちは、一方で「不幸な逃亡者」です。館長さんと妹さんは、遺産というより不良債権を継いで、金銭的にいつも苦労して育ってきましたし、よからぬ男が近づいてくることも多いのでした。作家さんも、売れない物書きの悲哀を何度もかみしめていますし、人形師さんは、はその若さでバツイチだったりします。主人公も虐待とネグレクトの末に飛び出してきた娘です。もし、人気が出てきたら、そういう部分も見せ始めて、ストーリーや設定の深みを描き出しましょう。

・流星群編

流星群が出現するという日。座長さんが妙にって、みんなで流星を見ようと言っている→でも、夜の予報は雨→みんなめてさっさと寝てしまう。主人公トイレに起き出すと、傘を持ってちながら空をにらんでいる座長さん→流星と人形劇場のなれそめについて語る(座長さんを別のキャラにしてもいいです。妹ちゃんが生まれた日に、大流星があったとか、そんなでも)→「でも、この天気じゃ、めるしかない」主人公が「諦めなければ願いは叶う」と言うと、不意に雨がやんで、雲間からわずかに星が見える→空全体を輝かせるような流星痕!(火球)→「めなければ……。そうかもね」としんみり。

開かない

物置を整理していると、不思議なハコ▶箱付ける。何かしまわれているようだが、鍵穴がない→宝物が入っているかもと、みんなで盛り上がる→こづいたり、妹ちゃんが切ろうとしてみたりする→よくよく見てみると、小さく文字が書いてることに気づく。また、何か細い溝のようなものもある→『してだめならひいてみろ』と書いてある。けれど、すボタンはなく、引っ張れるようなとっかかりもない→そろそろ▶しばらく悩んだ末に作家さんが引くは引っ張るの意味ではなくて、線など引くの意味ではないかと言う→溝にそって鉛筆で書いてみても何も起こらないが、人形師さんが無言で糸を持ち、溝をなぞるように糸を引っかけていく→すると、ハコ▶箱の一面できつく縛りあげるようなカタチになる→ぐっと縛ると、縛り目の部分に力がかかり、の一面がへこんで……中身が見える→かわいいブリキのオモチャとか、他愛のないものが出てくる。

・車輪の再発明編

車輪のない自転車が捨てられていたので、誰かが拾ってくる→車輪がないと意味がないとうと、外人さんが、それならればいいでーす、とか言う→妹ちゃんが「剣はこんなことに使うものでは……」とかぼそぼそ言いながら、すぱぱっと木を切ったりして車輪のカタチにする→自転車のホイールってどんな形だっけ?と思い出しながら、試行錯誤としてハブやホイール、スポールを組み立て、外輪にりもののゴムを貼り付けて完成→みんな当初の目的は忘れて、が楽しくなってしまう。自転車ができあがって、なんのかんの少し走ったところで今度はフレームがぼっきりいってしまうが、すんなり諦めてしまう→ちょうど出かけていた作家さんが帰ってきたあと、事の顛末を聞いて「車輪の再発明だな」とつぶやいておしまい。

・幽霊編

作家さんの部屋に幽霊が出る→物陰にく影と音がする→座長さんにプッシュされて妹さん幽霊退治→実は幽霊超苦手→防具フル装備で木刀持ち出して妹さん「めーん!どぉー! こてぇー! つばめがえしー! ちぇぇぇぇぇい!」。どかどかぼこぼこ。作家さん(こ、殺す気だ……! 私の部屋も殺される……!!)→結局、正体は古い仕掛け人形でした→ゼンマイはとっくに切れているのになんで動いてた?

スパイ編

・外人さんが、たまたま日本の田舎を観光に来ていた米国人に道聞かれる。外人さん、英語ぺらぺら。みんなで▶居合わせた一同「おー」と、ビックリ→翌日、中国人に道聞かれる。北京語ぺらぺら。再び「おー」→今度はロシア人。ロシア語ぺらぺら。みんなで「すげぇ…」→翌日、ポルトガル語。→あまりにバイリンガルなので、実は某国からやってきたスパイではという疑惑が。というか、どこの国出身だよ。みんなでひそひそ→主人公ちゃんと妹ちゃんで後つける→ケータイで座長さんと連絡を取りつつ、メタルギアみたいに尾行。ドーゾ。おくれ。→畑の奥で見知らぬ人と話してる→妹ちゃん「お国のために斬るべきでしょうか……」主人公「やめて!(・∀・;)」→お野菜わけてもらっていただけ→大根なのに妙に甘い。人参なのに塩辛い→「私の故郷の伝統農法デース」みんな(故郷ってどこだ!?

・子犬編

ある日、人形劇場の前で子犬がうろうろしてる→主人公が見つけて、ナデナデする→首輪はついてるが、飼い主が見あたらない→日が沈むころになっても、そこにいる→妹ちゃんと二人で、ここで飼えないかと考える→主人公「でも犬小屋とかないし、難しいんじゃないかな」妹「いや大丈夫。たぶん平気」→みんなで相談→作家さん「ちゃんと責任もって世話できないなら飼っちゃダメ」お姉さん、外人さん、人形師さんなど大人組「そうそう」→座長さんだけ目を泳がせて「いっ、いひっ、いいんじゃないかしらっ!?」→死ぬほど犬好きということが発覚→とりあえずしばらくの間ということに→その夜、座長さん犬を死ぬほどかわいがる→翌日、あっさり飼い主が見つかる。散歩中に子犬がどこへいってしまって、ずっと探していた→座長さん「この子と離れるくらいなら、私が死ぬー!」みんな(どんだけ……)→涙ながらにお別れ→しばらくして、せめて気分だけでもと、犬耳としっぽを買ってくる→座長さんに、付けられそうになって、主人公と妹ちゃんが逃げ回る→妹ちゃん「私は猫だから、けるならこっち!」主人公「なんでー!」(逆でも別にいいですが)。

・釣り編

座長さん「ごはんが、ありません」。突然の金欠でお姉さんのバイト給料などが入る明日まで食事がなくなる→仕方ないので、釣りをしようということに→近くの渓流まで歩いてく→人形師さんが余りの糸を使って、ちょいちょいと釣り具一式をる。安全ピンを曲げた釣り針と、転がっていた竹の棒で竿。ナイロンで糸。人形を模したルアー、あるいはフライ→主人公や外人さんは、不器用で釣れない→妹ちゃん、待つ。きゅぴーん。「はあっ!!」。空き缶が引っかかっていたり→作家さんと人形師さんだけ妙に釣れる→作家さん「魚が食いつくシナリオを思って……待つ」人形師さん「人形劇と同じ。心を込めれば、疑似餌が勝手に動いてくれる」みんな(よくわからん……)→結局、二人だけでバケツいっぱいイワナやヤマメを釣りまくり、近所にもおすそ分け。

・道場破り編

ある朝、「たのもー!!」という声がする→外に立っていたのは、微妙に日本語片言の少年→道場破りという。うちは劇場だとうと、「いつも稽古をしているでしょう!」。妹ちゃんが剣道教えてるのを見ていたらしい→さらに話を聞くと、帰国子女で、空手かぶれ。あんまし漢字が読めないので『人形劇場』を『ヒトガタ・ドウジョウ』と読んでいたらしい→妹ちゃんに勝負を挑むも、あっさり返り討ち。一本! イヤーッ! パシーン!!→あざやかな一本を見て、作家さん「剣道三倍段か…」外人さん「Don’t think,feelか……」作家さん「後の先か……」お姉さん「パンクロックか……」座長さん「今夜はお蕎麦でも打とうかしら……」主人公(みんなが何言ってるのかわからない……)→まだまだ食い下がる少年。結局ぼっこんぼっこんにされて、肩を落として帰っていく→少年であれば、あとで事の顛末を聞いた人形師さん(出かけてていなかった)が、主人公に「そりゃあ、妹ちゃんが好きだったんじゃないの?」とかポロリ。振り向くと、そこには稽古にいそしむ妹ちゃん。恋はまだまだ早いか。

・古銭編

主人公ふらふら散歩していたら、ふとお金を拾う。しかし見慣れない硬貨で、座長さんに見てもらうと「古銭らしいね」→作家さんが調べてくれて、昭和初期の10銭ニッケル硬貨とわかる→交番まで持って行ったが、現行の硬貨でないので、やんわりと「そのまま持ってていいよ」と、やんわり諭されて返される→そのまま捨てるわけにもいかず、さりとて大切にしまっておくほどの魅力もなく、持て余して、10銭にどんな価値があるのか作家さんに聞いてみると、昭和初期の世相と共に、当時の10銭がどんな価値があるのか教えてくれる。

貧困と不自由ばかりの過去。閉塞感はあっても自由がある今。二人でとうとうと、この時代を語る。

主人公は今もそんなに悪い時代じゃない。何より自分はこの場所が好きだと思う。晴れ渡る空の下、小川に古銭を放り投げておしまい。これは▶このエピソードは、古い時代との決別▶訣別、彼女の若さを示す。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク