三国志 戦争篇 第十章 赤壁の戦い

第十章 赤壁の戦い

歴史が変わるとき

曹操VS周瑜

二〇八年十月 曹操陸口へと進撃。
二〇八年十月 曹操と周瑜、陸口で遭遇戦。
二〇八年十月 曹操軍、烏林へと駐屯。
二〇八年十二月 黄蓋、曹操軍の軍船を火攻で焼き払う。
二〇八年十二月 曹操軍撤退。

長江を挟んで

荊州と同じく江東の孫権陣営もまた、降伏か抗戦かで二分されていた。

ここで主戦派である魯粛は独断で、あくまで荊州における主戦派の代表であった劉備と同盟してしまう。

これを受けて元々が主戦派である孫権と周瑜は、魯粛より派遣された劉備陣営の諸葛亮とともに曹操との対決姿勢を明らかにして、降伏論者たちを押さえ込み、開戦を決定するのであった。
一方、荊州を併合した曹操であったが、できれば彼は戦わずして孫権を降伏させたかったであろう。

すでに荊州併合で補給線は延びきっており、また長い間、河北・中原を留守にするわけにもいかなかった。

荊州を固めて持久戦に持ち込むべしという進言もあったが、曹操は孫権があくまで抗戦することが明らかになると、短期決戦を挑むことに決定するのである。
208年10月、曹操軍は出陣、水路で陸口を目指す。

陸口という渡河点を抑え、北方の兵が苦手とする水戦ではなく、陸戦で孫権軍を圧倒しようという戦略であった。しかし、曹操軍は濃霧によって行軍を阻害される。
これにたいし孫権軍の都督周瑜は、いち早く曹操の意図を看破し、もたつく曹操軍を出し抜いて陸口を抑えてしまう。

さらに陸口に遅れてたどり着いた曹操水軍の先陣と遭遇し、これを打ち破っている。
緒戦は孫権陣営が完全に機先を制したと言えるだろう。

赤壁の戦い

陸口の争奪に敗れた曹操軍は対岸である烏林に駐屯>

烏林に大要塞を築いて防備を固めるとともに、船と船を繋いで板を渡し、一個の巨大な戦艦のようにして兵や馬が行き来できるようにしたのである。

これは、水戦に不慣れな北方の兵のために少しでも陸上に近い環境を作ろうとする。

一転して守勢を取った曹操であるが、それには理由があった。

馴れぬ南方の風土と水上行軍のため曹操軍には疫病が蔓延しており、休息せざるを得なかったのであった。
この曹操軍の苦境に乗じたのが孫権陣営の武将黄蓋であった。

黄蓋は周瑜にひとつの策を進言する。

後世、「苦肉の策」と呼ばれる偽の投降による、曹操軍への火攻であった。
進むも引くもならない状況に焦れていたこともあるだろう。

官渡の戦いで許攸の投降を受けて勝利した記憶もあったろう。曹操は黄蓋の投降を受け入れてしまうのである。
208年十二月、投降してきた黄蓋軍の軍船を受け入れた曹操は、燃え上がる黄蓋軍の軍船を見て、それが罠であった事を思い知る。

燃料を満載した黄蓋軍の軍船が火元となり、たちまち曹操軍の水塞と軍船は炎の海と化すのであった。

この火攻により曹操軍は軍船のほとんどを失い、撤退を余儀なくされる。
実を言えば、この戦いにおける曹操軍の被害はそれほど大きくなかった。

主だった武将はみな無事であり、陸上戦力もほとんど失ってはいないのである。
しかし、この敗戦により曹操軍の無敵神話は崩壊し、曹操が天下を統一するという気運も一気に失われるのである。

そして、孫権や劉備といった勢力は、曹操に対する抵抗勢力ではなく、天下を争うライバルとして名乗りをあげるのである。
その意味で、この戦いはまさに歴史の転換となる戦いであったと言えるだろう。

第十章 曹操対孫権・周瑜

風土~百万の軍に勝る敵、そして味方~

第二次世界大戦において、南方に展開する日本軍に送られた軍糧の中に、塩タラがあったという。

もちろん冷房コンテナなどで輸送されるような時代ではなく、熱帯の気温にことごとくが腐敗は軍糧として使えなかったという。

元々、満州で展開するように編成されていた日本軍は、軍糧ひとつをとっても北方仕様に作られており、南太平洋に展開した日本軍は米軍と戦う前に風土病や補給の途絶で、病死や餓死者を出し続けた。

人間の体そのものが、それぞれの土地の風土に合わせて育つ以上、異なる風土に遠征するという事は、それだけで困難を伴う。

これがそのまま現れてしまったのが、赤壁の戦いにおける曹操軍であった。

北方の黄河文明圏と南方の長江文明圏では、北方が小麦を食し、南方は米を食すように食べ物ひとつをとっても異なる風土にあった。

また、長江の支流や運河が張り巡らされた南方では、移動手段は馬よりも船である。

このため慣れぬ船に将兵の体力は消耗し、弱った体を風土病が襲う。すでに戦う前から曹操軍は疫病患者の群れと化してしまっていたのである。

それでもなお曹操が遠征を強行したのにはもちろん理由がある。

曹操は時代の勢いというものを何よりも重視した。

荊州において劉琮が戦わずして降伏したように、中原の激戦を勝ち抜き、強大な河北の袁紹を破り、北方の異民族をも平定した曹操は、無敵神話とも言うべき勇名を轟かせていた。

この軍事力の威圧によって孫権が降伏する事を曹操は期待したであろうし、少なくともいくつかの有力豪族たちが自分になびいてくる事を彼は期待した。

事実、孫権陣営では抗戦派と降伏派とに分裂し、激しい議論が交わされている。

実際のところ赤壁の戦いの勝敗は、この議論次第であったと言ってよい。

孫権が机を切って徹底抗戦の決意を明らかにし、周瑜が曹操軍恐れるに足らずと演説したのは、ここで国論を統一し挙国一致体制をとることが最も大切なことだと熟知していたからである。

熱狂し易い南方人を、彼らは劇的な演出で煽り、その熱狂で国論を統一しようとしたのである。

実際、孫権陣営が徹底抗戦と、ひとつにまとまってしまえば、もはや曹操軍には打つ手はなかった。

兵士は疫病で、ほぼ無力化してしまっており、水戦において周瑜は曹操軍を破っている。

なおかつ持久戦になれば、不利になるのは曹操軍であった。

ここで黄蓋が苦肉の計を持って曹操に止めをさすが、あれほど慎重な曹操が乗ってしまったのは、孫権陣営の内紛が唯一の期待できる勝機であったからであった。

そして官渡の許攸の進言を入れて勝利した例も頭にあったに違いない。曹操は水軍を焼かれて撤退する。

曹操はまさに風土と南方の民族性に敗れたと言ってよかった。

周瑜(字・公瑾)

175210

南方が生み出した司令官

赤壁の戦いにおいて曹操は、孫権軍に敗れたというよりも、南方の風土に敗れたと言ったほうが正しかったろう。

北とはまったく違う気候。南方特有の風土病。

南船北馬という言葉があるように、騎馬を活用しにくく、船が交通手段となる地形。言葉すらも異にする文化圏。

などなど、古来、いや現在に至るまで中国における北方の黄河流域文明圏と南方の長江流域文明圏は異国といってもよいほどの風土の違いがあった。

そして、曹操が敗れた“南方の風土”のひとつに周瑜という存在もあったことを忘れてはならない。

赤壁の戦いの指揮をとり、無敵とさえ思われた曹操軍を打ち破った周瑜という人物は、まさに南方の長江流域が生み出し、南方人を熱狂させた指揮官であった。

古来、黄河と長江流域に文明が発生してから、異文化圏として互いに競い争い交流しあってきた。

しかし、歴代王朝の都が常に北方にあったことからわかる様に、南方は侵略や支配の対象である場合が多かった。

南方人の北方人に対する反発は中国史を通じて根深く残る。

そんな中で、北方で勇名を轟かせた孫堅は伝説的な存在であり、その息子である孫策もやはりその武勇から、南方人の英雄である項羽にあやかって“小覇王”と呼ばれるほど崇敬されていた。

そして、その孫策の義兄弟として孫策の武勇を継いだと見られていたのが周瑜であった。

南方は、漢の支配から遠いという地理や、水系により土地が細かく分かれるという地形から、とにかく豪族たちの勢力が強い。

これは常に孫家陣営について回る問題であった。

だが、その一方で南方人の項羽や孫策のようなカリスマ的指導者が現れた時に、熱狂的なまでに従い、北方人には思いもよらぬほどの力を出すという気質があった。

そんな気質の南方人を率いるのに周瑜はまたとない指揮官であったのである。

周瑜と孫策の強さ

実際のところ、周瑜はそれほど優れた戦略や戦術を駆使する軍人ではない。

事実、赤壁の戦い後の荊州攻略戦では苦戦し、曹操陣営が敗勢であったにもかかわらず江陵陥落に一年を要し、自身も負傷してしまっている。

しかし、美周郎と呼ばれた外見のよさ、負傷したときも傷を押して陣頭に立つ心の熱さなど、周瑜はとにかく南方人が好み、彼らを熱狂させる指揮官であった。

後に孫家陣営の司令官は、魯粛、呂蒙、陸遜と代替わりしていくが、彼らは常に豪族たちの都合に悩まされ続けていた。

いや、赤壁の戦い以前でさえ、降伏派と抗戦派に豪族たちの意見が二分され議論になっている。

しかし、周瑜が指揮官になって以降、荊州攻略まで、そういったゴタゴタが彼の旗下ではなりを潜めるのである。

孫家を中心とした豪族たちの利益共同体であった孫家陣営の中で、小覇王と呼ばれた孫策と曹操軍を破り南方を守った周瑜は例外的に、豪族たちの都合を吹き飛ばすほどに支持された司令官であった。

彼が孫家陣営の軍権を握っていた頃が、もっとも孫家陣営が攻勢に出ていた時期である。

曹操が周瑜を恐れたのも、南方を一致団結させ得る人物であったのが理由である。

周瑜は死の間際に益州を併合し天下を二分しようと献策する。

それは彼自身が、こうした熱狂を背景にしている事からなる大戦略であった。

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