【三国志】蔡文姫伝~遠い音色~

「少し……瘠せたか?」
建安十二年、匈奴より買い戻された蔡琰(字・文姫)にかけた第一声がこれであった。
「いえ……、ただ老いがそう見せるという事はあるやもしれません」
跪いて答える彼女をしげしげと見れば、確かに長年の年月が彼女の容貌に
「確かに余も老いた。しかし、それでもなお、いささかもそなたの容色は衰えぬ」
言葉を切り、曹操は思いに耽るようにして言う。
「……そうあの頃と何も変わっておらぬ」

蔡文姫伝~遠い音色~

―――中平二年(西暦185年)洛陽
故郷より召還され典軍校尉に任ぜられた曹操は機嫌がよいとは言えなかった。相変わらず宮中は宦官が牛耳っており、“清流派”と名乗る豪族勢力は黄巾の乱のときに大将軍に任じられた何進を中心にして対抗しようとしていたが、何進とその腹心格である袁紹たちは「武力を以って宦官たちを一掃する」という無謀な策を企てている。曹操が「宦官など権力を与えねばよいのだから、主だった者たちを獄吏に捉えさせればよい」と進言してやれば、袁紹らは彼の出自―――宦官の孫である事に疑いの目を向ける始末であった。
鬱屈を抱えながら洛陽の市街をそぞろ歩く曹操の耳に嫋かな音が入ってくる
「これは琴……? なんとあえやかなる音色であろう」
その可憐な調べに鬱屈した曹操の心は惹かれ、思わずふらふらとそちら向かってしまう。元々目的があっての散策ではない。
(この音ならば、そう遠くはあるまい)
確かにそう遠いとは思えぬ音色であった。
……しかし。
いくら音色を辿っていっても、一向に音は近くならず、彼はかなり長い事歩かされた。
(これは妖しにでもからかわれたか?)
そんな思いに駆られ始める頃、ようやく曹操はその琴音に近付いていくのを感じさせる。
(おや? ここは)
どこかで見たような邸宅であると思った。
なにか思い出そうとしながら、近くなっていく音色に惹かれ続け曹操は歩いていく。
やがて門まで辿り着くと、そこには老人がいる。
「おや? 君は確か……」
その老人を見て、曹操はようやくこの邸宅が誰のものであったか思い出す。
「これは、蔡先生!」
その老人の名は蔡邕(字・伯喟)。後漢の大学者であり、文学、史学に不朽の名を残している。曹操もその門下にあった事もあり、師弟の間柄と言ってよかった。
「おお、おお、曹君ではないか。久し振りだの」
老人は人よさげに何度も頷きながら曹操の姿を微笑みの中に迎え入れる。
「前触れもなく、いきなりの来訪。いささか驚かせてくれるが、先の乱における『神出鬼没』との評は正に当たっておるな」
「いや、それは……」
少年時代に戻ったように曹操は赤面して慌てる。曹操はこの師を心底尊敬していたし、昔から頭の上がらなかった。それに琴の音に惹かれて、というのは余りにも子供っぽすぎて言うのが躊躇われた。
「せ、先日、典軍校尉に任じられて都に戻って参りまして、遅れておりましたが、そのお知らせとご挨拶に参ろうと思いまして……」
何かを誤魔化すような曹操の言葉に蔡邕は何もかも見透かしたように頷いて、
「おお、それは嬉しいのう。儂は官を辞して閑を持て余しておったな、ちょうどよかった。よろしければ、この爺の無聊を慰めてくれるかな?」
と招じ入れた。

蔡邕の邸に招き入れられた曹操は、蔡邕に一人の女性を紹介された
「おお、そうだ。貴君が[言焦]に帰っている間に娘が嫁ぎ先から帰ってきておっての、ちょうど喪も明けておるし、紹介するとしよう」
「蔡琰、字を文姫と申します」
その凛とした知性輝く容色に曹操は思わず我を忘れて見惚れてしまう。
「女だてらに、書だの学だのにうるさくての。嫁ぎ先でも持て余されておったよ」
苦笑しつつ蔡琰は娘にそんな事を言う。
「先ほどの琴は、貴女が……?」
思わず聞いてしまう曹操。
「あら……お恥ずかしい、聞いてらっしゃいましたの?」
「ええ、思わずここ」
素直に言葉に出てしまった曹操であった。

それから曹操はちょくちょく蔡先生の許に通うことになる。
師父との対話は文学、歴史、博物学など多岐に渡り、久し振りに曹操は自らの知性を磨く喜びに浸る事になる。その議論の中には蔡琰も加わり、曹操はその知性に驚かされつつも、急速に惹かれていく。蔡琰もまた、女としてでなく一人の学者として対等に見てくれる曹操に惹かれていく。
やがて曹操は蔡邕ではなく直接蔡琰の許に通うようになり、夜中密かに忍んでくるようにさえなっていた。
褥の中で曹操は、男女の睦言だけでなく文学や世上の事について夢を熱く語る。
「文は経国の大業と言うべきものだと思う。今は武をもって誰かが乱世をまとめ上げなければならないだろうが、その後の世を作るのは学問だ」
「竹簡から紙に代わって、人は手軽に文字を持ち歩けるようになった。頭脳のほかに手許にも知性を宿すことができるようになったのだ。これはきっと世界を変えていくだろう」
そんな二人を蔡邕はただ暖かく見守るだけであった。蔡邕地震、もはや老人といってもよい年で男女の事は達観していたし、蔡琰も未亡人で後添いを探してもよい。曹操は位官こそ典軍校尉に過ぎないが家は裕福であるし、その夫人の一人に納まるのも悪くはないだろうぐらいに考えていた。

そんな惹かれあう二人であったが、やがて運命が二人を分かつようになる。
霊帝の崩御に乗じて企てた何進と袁紹の何進の死によって失敗に終わる。これに逆上とした袁紹と袁術は、武力による宦官の粛正を実行する。このクーデターにより宮中は血で染まり、宦官たちは虐殺される。しかし主だった者と帝の玉体を逃がしてしまったために、このクーデターは失敗と言ってよかった。
洛陽を逃亡した帝の宦官たちは、西涼より上京してきた董卓によって身柄を保護されてしまう。そして董卓は帝を擁してまたたくまに無政府状態になっていた洛陽に入り、またたくまに政権と軍権を握ってしまう。
最後まで袁紹のクーデターに反対していた曹操であったが、こひの成り行きを冷たく見詰めるだけであった。しかし、董卓が政権を握り帝位の交替を命じるほどともなると黙っていられなくなる。
曹操は袁紹とともに洛陽を脱出し、山東で挙兵して董卓を討つ事を決意する。
蔡邕宅で別れを告げる曹操と蔡邕、蔡琰。
実は脱出に誘ったのだが、蔡邕がそれを拒否し、蔡琰は父と行動を共にする事を曹操に告げる。
「董卓の暴虐を誰かが外から止めねばならないが、内にあってそれを抑える者も必要であろう」
不思議なことだが、董卓はこの老学者の事を気に入っており、特に乞うて蔡邕を左中郎将として宮中に復帰させているのであった。そんな老学者の決意を曹操が止められるはずもなく、また蔡邕は蔡琰に曹操についていけと言うが、このような状況で父を見捨てられる女性でもなかった。
曹操はきっと洛陽より董卓を追い落とし、漢を旧に復すことを約束して洛陽を脱出するのであった。

洛陽で苦闘する蔡邕と蔡琰たちは、袁紹と曹操を中心にした山東の諸侯たちが反董卓連合軍を挙兵した事を聞く。
しかし、それは絶望の始まりにすぎなかった。
山東の連合軍は一部を除いて遅々として進まず、一向に洛陽を奪還できる見込みがなかった。さらに、董卓は南方で孫堅軍に敗れたのと、洛陽という土地に飽きたか、無謀な遷都を宣言する。
遅々として進まない連合軍に苛立つのは曹操も同様であった。連合軍とは言っても、戦意はまったく高くなく、諸侯らはすでにその後の勢力の争いに心ここにあらずで、敵である董卓と戦って戦力を減らすことを惜しんでいるかのようであった。
ここに至り、董卓の洛陽蜂起の噂を聞き、とうとう曹操は爆発する。
蔡邕や蔡琰との約束を果たせなくなる事を恐れた曹操は、無謀にも自らの手勢だけで董卓を追撃しようとするのである。
しかし、その追撃は董卓軍の猛将徐栄によって阻まれる。
ほぼ潰滅状態で逃亡する曹操。
「文姫・・・」
董卓らとともに長安に向かう蔡琰の姿はまた遠くなっていくのであった。

その後、洛陽には孫堅が入り、董卓らを洛陽から追い出したので目的は果たしたという事で連合軍は解散する。しかし、その実は唯一戦果を挙げた孫堅を配下に持つ袁術と、連合軍の盟主である袁紹との仲が決定的に決裂し、連合軍が二派に分かれて争い出したからであった。
こうして時代は、長安の董卓、冀州の袁紹とその派閥、南陽の袁術とその派閥という三分体制となって乱世へと突入していく。もはや、漢の統治はどこにも存在していなかった。

長安における蔡邕と蔡琰の親子はまさに苦難の日々と言ってもよかった。
もはや、曹操らの連合軍は解散し、彼らが帝を救いにくる見込みはまったく絶たれた。そして地元である長安に遷都した董卓は、ますます専横の度を強めていき、もはや帝を配して新たな王朝を建てるのも時間の問題であった。さらに董卓は、私欲によって豪奢な私城を築いたり、一門で宮中を占めるなど、まさに董一族とその配下にあらずんは人にあらずの勢いであった。またこれも私欲によって銭の改鋳を行いそのために長安は大インフレ状態となって民草の苦しみは想像を絶するものとなっていく。
そんな中、必死に董卓を諌める蔡邕の立場は、まったく悲惨なものであった。董卓やその一味からは、いろいろ諫言してくるために目障りに思われ、また反董卓な官僚たちからは董卓の一味と見なされて不忠のレッテルを貼られる始末であった。
まさに三界に身の置き所のないような立場で、それでも必死に漢とその文化の存続のために蔡邕と蔡琰は戦い続けたのである。
そして、その苦闘は最悪の形で報われることになる。
董卓が王允のそそのかした配下の呂布によって討たれたのである。
これによって蔡邕の苦闘は報われるかと思われたが、反董卓の急先鋒であった王允は、かつての董卓一派の粛正に走る。その中には蔡邕も含まれていた、今まで董卓のために働いていたとみなされたのと、董卓の死に大して哭礼を行なったというのがその罪状であった。蔡邕は捕らえられ、獄に繋がれる。
そして老人の身で過酷な当時の牢獄が耐えられるわけもなく、やがて蔡邕は獄死する。
その死にあたって蔡邕は蔡琰にただ一つの遺言を遺す。自らの蔵書四千巻を守り曹操に託すように、と。
絶望の余り父の後を追おうとした蔡琰であったが、父の遺言に思いとどまる。この四千巻の書こそ、父の著書もあり、また父が洛陽における董卓の掠奪と破壊から必死に護ってきたものであった。まさに父の命そのものとも言うべき貴重な書籍を護り、そしてその価値を最も知るであろう曹操に届ける事こそ、彼女の使命となったのだ。

しかし、長安の時勢はそれを許さなくなっていた。
王允と呂布の耐性は董卓一派を強引に粛正しようとしたために早も破綻してしまうのである。長安から脱出した李傕、郭汜、馬騰たちは、参謀である賈詡の言葉「このままバラバラに逃げ出しても個別に討たれるだけだ。それよりも軍を糾合して、奴らがまとまっていないうちに長安を奪い返そう」に従い、再び長安に攻め入るのであった。
敵を排除するばかりであった王允らの手勢は少なく、さらに各地に討伐隊を派遣していたため、長安は手薄であった。そこを見事に突かれて長安はいとも簡単に落城する。王允は討たれ、呂布は手勢とともに脱出する。
そして始まるのが、李傕、郭汜、馬騰の西涼、羌、匈奴の将兵たちによる掠奪と暴行と破壊であった。
この知らせを受けた蔡琰はただちに人を雇って書四千巻を積んだ車とともに長安を脱出する。
しかし、掠奪と暴行は長安を脱出しようとする者たちにも及ぶ。
この混乱に蔡琰の雇った者たちは逃げ出してしまう。
それでもなんとか単身車を引こうとする蔡琰に迫る匈奴の軽騎兵。
大きな荷物に彼らが目をつけないわけがない。
彼らの前に立ちはだかる蔡琰。
凛とした態度と命を賭した態度に一瞬匈奴の兵たちは怯むが、彼女一人と知った兵たちは舌なめずりをして歓声を上げて彼女と荷物に取り付くのであった。
暴行を受ける蔡琰。
しかし、その身に起きている事よりも、家財には目を輝かせて奪うが四千巻の紙片や竹簡は戯れや金目のものではない腹いせに破壊され、彼らの糧食の焚き付けに使われてしまう。
「私はどうしてくれてもいいから、その書だけは!!!」
兵たち犯されながら必死に訴える彼女の叫びも空しかった……。

南匈奴の彼らは南北に分裂した匈奴の中で漢の討伐を受けて漢に従うようになった一派であった。南匈奴は董卓の傭兵のような立場で漢土にいたが、もはや漢も董卓も亡きにひとしく、草原に帰って再びモンゴル高原に覇を唱えようとするには好機であった。
そんな帰還する途上に遭遇したのが彼女の運のなさであったろう。
虜囚の身となった彼女は、長安で掠奪された女たちと共に戦利品として草原に連れ去られる。昼は北方の寒さと舗装も去れていない難路に足を痛めながら歩き、夜は兵たち性欲処理の道具として使われる日々。言葉通じぬ匈奴兵たちの、おそらくは罵詈雑言を受け、動物のように鞭打たれながら彼女たちは歩きつづける。衰弱死する者も自殺する者もいたが、蔡琰は死ぬわけにはいかなかった。
そしてようやく草原へと辿り着き、南匈奴たちはここで戦利品の分配を始める。
そんな中、匈奴の左賢王劉豹が蔡琰を乞う。
「この女は兵たちの中に立ちはだかり、いささかも屈しなかったと聞く。この腹ならきっと強く賢い子を産むだろう」
そんな理由であった。
劉豹は戦利品の幾許かを蔡琰を捕らえた兵士たちに与えて蔡琰を買い取ったのである。

劉豹の妾として買い取られた蔡琰であったが、その生活は当初異風俗に馴染めないものであったろう。遊牧で居所が定まらず、その生活は掠奪によって成り立つ。また北方の厳しい気候、捕らえられた女たちの嘆きの声も止むことはない。
また夜になれば、言葉通じぬ蛮族の王が自分に種をつけにくる日々。
中々慣れるものではなかった。
とはいえ、劉豹の妾となった彼女は比較的恵まれていた事に彼女自身が気付くのにそう時間はかからなかった。
劉豹は不器用であるが中々に優しかった。
彼は漢の物品を手に入れたり、漢の客がくると蔡琰にあわせて、その郷愁を慰めてくれた。
ことに彼女を喜ばせたのは、漢土より琴を手に入れてきたときであった。
懐かしい音色に彼女は夢中になって弾き続けた。
漢の歌を自ら爪弾いているうちに、かつて懐かしい日々を回想する彼女。
夢中になって弾き続ける彼女に、やがて別な音色があわせはじめる。
何時の間にか幔幕の中にきていた劉豹が胡笳(葦笛)をあわせて吹いていたのである。漢の音色と匈奴の音色の不思議な合奏に、やがて漢人の虜囚たちも匈奴の者たちも心引かれて集まってくる。
漢の歌が聞こえ、匈奴の歌が聞こえはじめる。
異なる言葉の異なる歌が、やがて合唱となりひとつになっていく。
そんな演奏と合唱が草原の中に広がって、風に運ばれていくのであった。
それをきっかけに少しずつ蔡琰は劉豹に馴染んでいく。
彼女は積極的に匈奴の言葉を覚えようとして、劉豹もそれに答えていく。やがて彼女の存在は虜囚の漢人たちの支えともなっていき、徐々に南匈奴と漢人の虜囚たちは、折り合いでつけるようになっていくのであった。
匈奴の単于於夫羅もこれには喜び、劉豹にいい女を持ったなと褒め称えるのであった。
やがて彼女は劉豹の子を身ごもり、生む。
その頃には、すっかり夫婦として馴染んでいた二人の間には息子と娘の二人の子が生まれる。
強いられたものとはいえ、彼女は新しい愛に生きることができて、それなりに幸せであったのだ。

しかし、それもやがて破局を強いられる。
蔡琰が匈奴で暮らし始めて十二年目、匈奴の単于に漢からの勧告が送られるのである。
匈奴に大学者蔡邕の娘が捕らえられているらしいが、蔡家の祭祀が途絶えることはあまりにも痛ましいので、買い取りたいと。
この勧告に於夫羅は従う。
これに激怒した劉豹は於夫羅の下に捻じ込むが、逆に諭されるのである。すでに河北を制圧した曹操は、同じ騎馬の民である烏丸を打ち破り、その民数十万を拉致して居住地を漢の領土内に置いている。
もし、この勧告を断れば曹操は匈奴の征伐に乗り出すであろう。
たった一人の女のためにまた草原から追い出され漢人たちの土地に移住するような、かつての状況に我が民を遭わせるわけにはいかない。
その言葉には左賢王として部族を支える立場もある劉豹も従うしかなかった。
劉豹の言葉はそっけなかった。
「俺がお前を買い取った金に数十倍する金でお前を買い取る者が現れた」
そう言って、劉豹は蔡琰に別れを告げるのであった。
その表情から心情を忖度できるぐらいに二人の間はなっていたので蔡琰は、何も言わなかった。
だが子供たちはそうもいかなかった。
まだ幼い子供たちは蔡琰に縋り付いて泣くながら母に訴える。
「ねえ、お母さんはどこにいっちゃうの? みんながね、『あなたのお母さんは行ってしまうんだよ。もう帰ってこないんだ。』と言ってるよ。 いつもお母さんは優しく愛してくれたのに、何で今は優しくしてくれないの? ボクはまだ子供なのに、これから誰に看てもらえばいいの?」
愛する子供たちの言葉に千千に乱れる蔡琰の心。
確かに郷愁は残っていたが、今はそれよりも夫や子供たちへの愛情が勝っていた。
しかし、すでに彼女の心情などどうでもよくなっていたのだ。
曹操は匈奴に対して、自分の勢力に従うかを試し、その試金石として蔡琰の返還を迫ったのである。今も曹操は蔡琰を愛しているのだろうか? そして自分の身や蔡家を案じててくれているのだろうか? しかし、それであったもすでに曹操にとった大事なのは匈奴に対する政局であったろう。
もはや愛や情でどうにかなる問題ではなかったのだ。

再び、彼女の主観では再び拉致されたような気持ちで、漢土へと帰った蔡琰。
懐かしくはあったが、今や都は洛陽ではなく許であり、なにもかも漢土はかわってしまっていた。

蔡琰の変わらぬ美しさに嬉しくなった曹操は、その夜、蔡琰の仮宅として与えた邸宅に忍んでいく。かつてのように交情をと思ったのだ。
確かにあの頃を思わせるように、深々と琴の音が彼に聞こえてくる。
しかし、その調べはあの時と同じであっても、音色はまったく違ったものであった。
「琴の音が遠い……」
あの時は散々に探し回るほど遠くからでも近く感じた音が、今はただ壁一枚を隔てるだけの近さであるのに、遠かった。
もはや二人はかつての二人ではなかった。
曹操は中原、河北を制する天下の覇者であり、蔡琰との愛よりも政略を優先する立場にあった。匈奴に対しても確かに蔡琰を思う気持ちはあったが、それよりも重要なのは匈奴がどのような態度を曹操にとってくるかであった。
蔡琰もまた曹操を愛したかつての彼女ではなく、匈奴の地で愛を育み二人の子供を残し、今やそれに対する愛情のほうが大きかった。
蔡琰は曹操が忍んでくであろう事を見越して、事の音色でその心情を伝えたのであった。
そして、曹操もまた、その琴の音色を理解できないほど心が濁ってはいなかった。
あの別れの後に二人が辿ってきた道はあまりにも遠く、そして激動の日々であったのだ。もはや二人の生きる道は重なることはない事を曹操は悟ったのであった。

「少し……瘠せたか?」
建安十二年、匈奴より買い戻された蔡琰(字・文姫)にかけた第一声がこれであった。
「いえ……、ただ老いがそう見せるという事はあるやもしれません」
跪いて答える彼女をしげしげと見れば、確かに長年の年月が彼女の容貌に
「確かに余も老いた。しかし、それでもなお、いささかもそなたの容色は衰えぬ」
言葉を切り、曹操は思いに耽るようにして言う。
「……そうあの頃と何も変わっておらぬ」

後に曹操は寡婦となった蔡琰に自ら仲人となって董祀という夫を与える。
平凡ではあるが優しい夫の穏やかな愛情に包まれて、それなりに蔡琰は幸せに暮らし、天寿をまっとうする。苦難と災難に満ちた彼女の人生に運命が与えた最後に与えたのは、安らぎであった。
現在の陜西省西安市藍田県三里鎮蔡王村に彼女の墓はあり、この数奇に運命に踊らされた女性に今も祭祀は欠かされないという。

以降、余談。
漢土に戻った蔡琰は、決して父の遺言を忘れたわけではなかった。
蔡邕の蔵書が失われた事を蔡琰から聞かされた曹操は、それを惜しんで、なんとかそれを少しでも復帰できないか、蔡琰に要請する。
曹操より要請を受けた蔡琰は、父の蔵書を復活させ再編纂する作業に従事し、これが彼女の生涯の仕事となった。覚えている限りの記述を書き記していく彼女は、やがてそれを完成させて曹操に献上している。
その四千巻を見た曹操は、その内容が一言一句再現されている事に驚き、蔡琰を称えたという。こうして蔡琰は父の遺言は見事に守ったのである。

さらに余談
これより遥か後、三国時代末期に匈奴に劉淵という偉大な単于が登場する。漢の文化に通じ、その才知は魏武(曹操)に似て、大度は漢高祖に通じると、漢人を嘆かせたほどの人物であった。彼は三国が統一され晋になって、間もなく起こった八王の乱に乗じて漢土に攻め入り、自ら皇帝を名乗り漢を建国して五胡十六国時代の幕を開けた。
そんな劉淵の父は匈奴の左賢王劉豹。
そうあのとき蔡琰にすがりついて泣いた子は、長じてこのような形で母の国へ入ったのであった……。

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