うまなみ三国志未収録 『三国志ゲームの歴史』

随筆三国志 出張版『三国志ゲームの歴史』

大澤良貴

PCゲーム雑誌『ログイン』の元編集者。現在はライターとして『GAMESIDE』などでレトロゲームなどの記事を執筆している。PARADOXゲーム系の『三国志』ゲームが出ないかなー、と密かに願い中。

ゲームの三国志というと何が思い浮かぶ

ゲームの三国志というと何が思い浮かぶだろうか? 『三國志』? 『真・三国無双』? 『三国志大戦』? はたまた『恋姫無双』? しかし、そんなメジャーな作品以外にも、様々な作品が様々なジャンルで三国志のゲームが発売されていたのだ! 今回は、そんな奥が深い三国志ゲームの歴史の一端を探ってみよう。

三国志ゲーム縁起

はい、いきなり出張版と銘打った『随筆三国志』。今回は三国志ライターとしてではなく、ゲームライター(主にレトロゲーム系)として、三国志を扱ったゲームについて、存分に語らせていただきます。

『三國志』はメジャータイトルではなかった!

まずは、いわゆる三国志を扱ったゲームの元祖から話しを始める事にいたしましょう。

いろいろ古のパソコン雑誌などを調べたところ、ことコンピューターゲームに関しては、やはり光栄(現・コーエー)より一九八五年一二月に発売された、『三國志』を元祖とすべきという結論に至りました。

というよりも、後述しますが、当時の三国志をとりまく状況やシミュレーションゲームに与えた影響などを考えると、まさに光栄の『三國志』とは三国志ゲームにとってはビッグバンそのものであった、と言わざるを得ないのです。

メディアにおける当時の三国志で主だったものを挙げるとなれば、まず吉川英治の『三国志』。

そして一九八四年の三月まで放映されていた『人形劇 三国志』。

そしてマンガにおいては、あの横山光輝の『三国志』はまだ三〇巻ほどまでしか出ていませんでした。

さらに本宮ひろ志の『天地を喰らう』も前年の一九八四年の週刊少年ジャンプ三八号で打ち切りにされてしまっていたりするのです。

そんな時期に発売されたのが光栄の『三國志』だったのですが、まだゲームで遊ぶ層において「三国志」というタイトルは、その名前にピンとくる人間は少ないのが実情でした。

実際、当時のパソコンゲーム雑誌の取り上げられ方も「あの吉川英治の三国志」とか「横山光輝の三国志」という「あの三国志のゲーム化」という扱われ方はされてはいません。

それどころか、発売当初の雑誌の扱いは決して大きなものではなく、ほとんど注目される事のない作品だった。というのが当時を知るユーザーたちの正直なところだったでしょう。

当時の空気を感じていただくために一九八六年一月号。

つまり光栄の『三國志』が発売されてすぐの号のパソコンゲーム雑誌『ログイン』における光栄の広告を掲載してみましたが、その扱いの小ささに驚くばかりです。

しかし、いささか注目を浴びた部分もありました。

一万四八〇〇〇円という価格す。

現在でもゲーム一本の値段としては高価でしょうが、ゲーム業界の市場自体が小さかった当時としては、まさに破格といった値段であり、その値段で注目する人がいたのも事実です。

「本当に一万四八〇〇〇円出す価値があるのか?」

まだパソコン雑誌はあってもゲーム専門誌はなく、しかも月刊のみで、ウェブサイトも2ちゃんねるなどもなかった時代です。

そんな未知の領域に飛び込むにはどれほどの勇気が要ったか、想像していただけるでしょうか?

光栄の『三國志』が切り拓いた地平とは?

まず結果から言ってしまいましょう。

光栄の『三國志』はまさに一万四千八百円という当時としては破格の大金を出すに値する、当時としては破格の大作シミュレーションゲームであったのです。

まず最初に特筆すべきなのは、この光栄の『三國志』は後に無数のフォロワーが現れる国取りシミュレーションゲームとしてのフォーマットを、その一作品で、ほとんど完成させてしまった作品だったという事です。

プレイヤーは君主としての立場で、多くの部下、『三國志』では二五五人の武将を率いて、月毎に内政や外交や謀略などのコマンドを駆使しながら多くの国を奪い天下を統一する。

戦闘シーンは国ごとに別のマップが存在し、戦闘ユニットも武将単位で存在しその戦闘能力は武将の能力によって左右される。

君主の下に個性豊かな武将がいて、彼らを駆使して天下統一を目指す。

こういったフォーマットは『三國志』によって完成し、その後同じ光栄の『信長の野望』シリーズや『蒼き狼』シリーズなどにも受け継がれます。

さらには他社から出る国取りシミュレーションもこのフォーマットを受け継いで作られていくのです。

さらに「三国志」作品としても二五五人の武将に個性的なパラメータをいちいちついておりました。

それだけでなく五八カ国に分けられたエリアは一つ一つが別の戦闘マップが存在しており、さらに州毎に分類されて、涼州や幽州、益州などそれぞれの州の解説も見る事も出来ていたのです。

そう当時の史的状況データとしても非常に優れていたのです。

まったく、三國志の資料どころか扱った書籍を探す事さえ困難であった時代に、よくぞここまで作り込んだものだと。今改めてプレーしてみて感動すら覚えてしまいました。

三国志とは「キャラクターゲーム」なり

ここで、ゲーム内容そのものとは別に述べておきたいのが『三國志』における「武将」という存在です。

二五五人の武将たちは、それぞれ身体、知力、武力、カリスマ、運勢、忠誠度というパラメータを持っており、一人一人が個性付けられている。

これらの数値によって、武将たちは内政や戦闘を行うため、有能・無能ぶりが顕著なまでに存在し、否が応にも武将の個性というものが印象づけられることになります。

つまりは三国志そのものを知らなくても、呂布や関羽や張飛が「武力が高い」と自然に覚えてしまうし、諸葛亮や司馬懿などは「知力が高い」という事で記憶に残されるわけです。

能力の低い武将たちですら「使えない」という事で印象づけられますし、「一つ一つが個性化された二五五種類のユニット」という存在は、まさに画期的な存在だったのです。

さらに言えば知力九〇以上の武将などは、「軍師」としてコマンドごとに「助言」を行ってくれるというのも、特筆しておきたい。

一方通行に情報が流れるのが常識であった当時、コマンドを行う毎にその成否を「助言」してくれる、つまりはプレイヤーに対して意思表示めいた事をしてくるという、原始的ではあるがインタラクティブ性とも言える要素があったのは画期的な事だったのです。

つまりは『三國志』は、そのユニットとしての武将の個性や軍師などのインタラクティブ性によって、三国志の武将たちをユーザーたちに強烈に印象づけさせたのです。

最初に書きましたが、当時はまだ「三国志」そのものがメジャーと言えるジャンルではなく、『三國志』をプレーした大部分のユーザーたちが、「三国志」を知らないままに「これはすげーゲームだ」、「これなら一生遊べるぜ」などと思いながら『三國志』にハマっていったわけです。

つまりは、今回の『うまなみ三国志』で荒木さんが描かれているように当時の『三國志』も大部分のプレイヤーたちは「私の中では全部がフィクションの世界だったんですね」状態だったわけなんです。

それが『三國志』の中で「絶対間違わない諸葛亮」、「すぐに引き抜ける呂布や賈詡」、「すぐ死ぬ孫策」など、自然にキャラクターたちが印象づけられていったのです。

そう、今ではほぼ常識となりつつある「三国志ゲームとはキャラクターゲームである」という路線をしっかりと一九八五年一二月の時点で引いてしまっているのです。

まさに『三國志』こそ、三国志ゲームの元祖であり、その後のゲームに巨大すぎるほどの影響を与えたわけです。

三国志ゲームがジャンルとして成立するまでに……

しかし、これほどのゲームでもあるにも関わらず、『三國志』がユーザーに受け入れられるのには大変長い時間がかかりました。

一つには、当時はコンシューマーゲームもアーケードゲームはアクションゲームが中心でありジャンルの多彩さは望むべくもありませんでした。

何しろファミコン初のアドベンチャーゲームである『ポートピア連続殺人事件』の発売が一九八五年一一月です。

RPGは一九八六年の『ドラゴンクエスト』の発売を待たねばなりませんでした。

シミュレーションゲームに至っては『大戦略』や『ファミコンウォーズ』の発売が一九八八年となってしまいます)

そして様々なジャンルを誇っていたパソコンゲームもまだ『ザナドゥ』や『ハイドライドⅡ』、日本語版『ウィザードリィ』などがヒットしていたRPG全盛期。

シミュレーションゲームは「難しい」とか「かったるい」という理由で一般には避けられていたような時代でした。

この『三國志』はそのゲーム内容の高度さにもかかわらず、なんとヒットするまでに一年近い時間がかかっているのです。

前述の『ログイン』誌上におけるソフトウェアランキングにおいて、一九八六年一一月において初めてトップ5に入ったというのですから、とれだけ遅咲きの花であったかがわかります。

しかも、このトップ5入りですが、なんと同誌のランキングにおいて史上初のシミュレーションゲームのトップ5ランクインだったというのですから、当時におけるシミュレーションゲームを取り巻く状況がいかに厳しさも表れていると言えるでしょう。

さて、ようやく花開いた『三國志』ですが、なんとそれに続く三国志ゲームは一九八八年を待たないと現れないのです。

延々と筆者が『三國志』に一作ついて語っていてのも、発売した年代からして、この『三國志』というゲームが三国志ゲームとして冠絶したものであり、さらに一からユーザー層を何年もかけて掘り起こさねばならなかったという、厳然たる事実があったからなのです。

なにしろ当時発売された『三國志』の攻略本などは、詳細な歴史の解説や三国志を知るために必要な本の紹介などがつけられており(光栄の『三國志』の攻略本が初めて買った三国志の資料本だった、という人はけっこう多いと思います)、いかに光栄が地道に三国志ファンを開拓していったかが伺えます。

ようやく花開き実り始める「三国志ゲーム」

一九八八年七月に初めてのコンシューマーでの三国志ゲームという栄誉を手にしたのはナムコより発売された『三国志 中原の覇者』でした。

ゲームを始める前に「はい」、「いいえ」で答える性格診断によってプレイする君主が決められるというユニークなゲームでした。

初のコンシューマー作品であり、当時絶大な信頼性を誇ったナムコブランドという事もありますので、これが初めての三国志ゲームであったという人も多いでしょう。

さらに一九八八年十月にはファミコン版の光栄の『三國志』が発売されますが、これは値段もあってあまりヒットはしませんでした。

そして一九八九年五月にはアーケードにおいてカプコンの『天地を喰らう』が登場します。

これは武将たちが雑魚敵やボスたちを薙ぎ倒す横スクロールアクションゲームで、その爽快感と本宮ひろ志の豪快なキャラクターデザインもあって、なかなかのヒット作となります。一九九二年には続編である『天地を喰らうⅡ 赤壁の戦い』も作られました。

そして198912月についに4年の時を経て光栄より『三國志Ⅱ』が発売されます。

ヒットするまでに長い時間がかかり、布教活動が必要であった前作とは違い、まさに満を持しての発売です。

これは発売当初からヒット作と呼べるだけの売り上げを記録しました。この『Ⅱ』に至って、ようやく光栄は自らが開拓した三国志ゲームという分野の果実を収穫できるようになったと言えるでしょう。

実際、一九九一年九月に、光栄はスーパーファミコンで『スーパー三國志Ⅱ』を発売し、これはコンシューマーゲーム市場でもヒットと言ってもよい売り上げを記録している事からもわかります。

地道な布教活動がようやく実って、「三国志ファン」というものが、ちゃんと計算できるだけのファン層として確立されたのが、ちょうどこの頃だったと言う事が出来るでしょう。

そして、この『三國志Ⅱ』や『スーパー三國志Ⅱ』のヒットにより、パソコンゲームやコンシューマーゲームにおいても、光栄が確固たる地位を築くとともに、徐々にフォロワーも現れ始めます。

まさに名作駄作珍作など様々な三国志ゲーム現れ、三国志ゲームがジャンルとして確立されたのがこの頃だと言っていいでしょう。

初めて「正史『三国志』を扱ったゲーム」と銘打って発売された『天舞』など、個人的にも思い出深い(実は『天舞』の場合は悪い意味ですが・笑)作品が色々あります。

さすがにこの辺りからは、いちいち追って行くと、ダラダラしてしまうかと思いますので、各ゲームの系統別にコラムとして軽く紹介させていただく事にいたします。

当時の光栄の広告

↑これが1986年2月号の『三國志』というか光栄の広告であり。そのシンプルさというか扱いの小ささに驚かれる事だろう。まだ当時はの光栄は今のコーエーのような大メーカーではなかったのです。

やはり元祖『三國志』が強い

国取りシミュレーション系

三国志ゲームの元祖である『三國志』も現在は『11』までシリーズを重ねている長寿シリーズとなっています。

本文中にもあるナムコの『中原の覇者』はコンシューマー初の三国志ゲームであるが、現在PSPでその新作である『中原の覇者 -三国将星伝-』が発売されています。

また意外かもしれないが、あのドラクエなどで有名なエニックス(現・スクウェアエニックス)も三国志ゲームを発売しており、『群雄三国志』というタイトルで、中々シンプルながら奥が深い良作でした。

また『三国志大戦』で有名なセガも1991年に『三国志列伝 乱世の英雄たち』を発売しています。

また天水ソフトウェアという零細ソフトハウスが発売した『私説三国志』、『後漢志』という作品は、正史マニアも唸らせる詳細なデータと、また君主のみでなく配下たちもプレイヤーキャラとして選ぶ事ができ、出世や下克上などができるというシステムは中々に画期的でした。

ちなみにこのシステムは後に『三國志』シリーズの中にも取り入れられていたりします。

あと、正直筆者も知らなかったのですが、なんとこの『コミック三国志マガジン』を刊行しているメディアファクトリーも『北方謙三三国志』というものを発売しているそうです。一度遊んでみたいものです。

リアルタイムへの見果てぬ夢

RTS(リアルタイムシミュレーション)

三国志ならば、やはり本物の合戦さながらにリアルタイムで戦争を指揮したいという欲望は、かなり初期からあったのでしょう。

早くも1992年にウルフチームから『天舞~三国志正史~』という作品が発売されています。

これは1200人もの武将が正史に基づいて設定され、さらにウィンドウシステムやリアルタイムの戦闘などを売りとしていたゲームでした。

しかし、ゲームとしては……な作品でした。

さらにホクショーから軍師が主人公になった『臥竜伝 三国制覇の計』なども発売されました。

またRONより発売された『昇竜三国志』や『龍王三国志』、『皇龍三国志』などもこの系統に入るでしょう。

本格的なRTSとなると、世界的ヒットになった『エイジ・オブ・エンパイア』そのままのシステムで作られた『フェイト・オブ・ドラゴン~龍の系譜~』があります。

コンシューマーではなんといってもコーエーから発売された『決戦2』が代表的なRTSと呼ぶ事ができるでしょう。

個人的に期待しているのがカナダのMagitechというメーカーが開発している『制覇三國 The Chronicles of the Three Kingdoms』です。

リアルタイムで多数の兵士たちが戦い城攻めなどしたりしている画面写真が公開されていますが、なかなか期待させます。

三国志とつけばいいんだ!

バラエティ

とにかくいろいろでているのがこのジャンル。システムソフトが麻雀で合戦を行う『麻雀三国志』。

コーエーも『雀・三國無双』というものを発売しております。

カプコンからはクイズで天下統一を目指す『クイズ三国志 知略の覇者』。

ソフトプランから三国志の軍人将棋『三国志演義軍人将棋』。

エンジェルからスゴロクゲーム『横山光輝三国志盤戯』。

また台湾では三国志モノポリーという『三国群英大富翁』というものが発売されるそうです。ある意味一度じっくり調べたいジャンルです。

一騎討ちは三国志の華?

一騎討ち系

一騎討ちと言えば三国志の華と考える人も多いと思います。

そんな中で本当にやってしまったのが台湾のメーカーで『三国志武将争覇』というものが出ていました。日本からはイマジニアが移植していますが、ほとんど売れませんでした。

また、実はあの『真・三國無双』ですが、真がつく前の『三國無双』では3D対戦格闘ゲームだったりしたのです。

正直、これも人気は今ひとつでした。どうも一騎討ちだけというのは、あまり三国志ファンの心の琴線には触れないようです。

意外に秀作の多かった

SRPG

『ファイアーエムブレム』シリーズや『オウガバトル』シリーズなどヒットが多いこのジャンルですが、コーエーも三国志ゲームとして『三國志英傑伝』、『三國志曹操伝』、『三國志孔明伝』などを発売しています。

個性的にできるユニットやドラマチックなストーリーを作れるなど、かなり三国志とこのジャンルは食い合わせがよいようで、どの作品も中々名作といっていい出来になっておりました。

個人的には『曹操伝』がストーリーが複雑で一番好きでした。

実は三国志RPGって意外にあるのです

RPG

やはり日本のゲーム市場において固い売れ線と言える分野はRPGを三国志でやってみようと考える人は多いようです。

というよりけっこう初期に出ていたりします。

1989年という三国志がジャンルとして活性化された時期にカプコンより『天地を喰らう』がアーケードのアクションゲームとは別にRPGとして発売されているのです。

兵士数がHPとして換算されるという、思いっきりぶりがなかなか斬新なゲームでした。

どうやら好評だったらしく『天地を喰らう2 諸葛孔明伝』も1990年に発売されております。

さらにソフトプランという廉価パソコンゲームメーカーから『あーるぴーじー魏呉蜀志』というものも発売されました。

日本では『幻想水滸伝』が有名ですが、台湾では『幻想三国誌』というシリーズが発売され人気を博していたりします。

このゲーム日本ファルコムが移植しているので日本でも遊ぶ事ができますよ。またRPGと言えばコーエーがMMORPGとして『三国志オンライン』を企画中ですので、こちらも注目していきたいと思います。

タイマンよりミナゴロシだぜ

一騎当千系

一人の武将がバッタバッタと敵を薙ぎ倒すという一騎当千の快感は、やはり三国志ファンにも訴えるようです。

本文でも書いたカプコンの横スクロールアクション『天地を喰らう』シリーズはかなり長い間アーケードで稼動していおり、なかなかの人気作品でした。

そしてなんと言っても、それを3Dで縦横無尽に戦場を駆け巡るという作品にした『真・三國無双』は言うまでもない文字通りメガヒット作品です。

一騎当千はまさに三国志ファンの夢なのでしょう。

カード破産にお気をつけて下さい

カードゲーム

WORLD CLUB Champion Football』の大ヒットでアーケードで花開いたトレーディングカードゲームですが、それと三国志を結び付けてヒットしたセガの『三国志大戦』や『三国志大戦DS』についてはここで今更語る必要もないでしょう。

ちなみにコンピューターゲームではない、トレーディングカードゲームとして、あのコーエーから『三國志赤壁大戦』というトレーディングカードが1999年より発売されておりました。

これも中々によくできたトレーディングカードゲームで、『三国志大戦』と共通する要素もあるので興味ある方は遊んでみてはいかがでしょう?

ゲームの未来ではなく現在がここに

オンラインゲーム

『ウルティマオンライン』や『ウォークラフト』などで、オンラインゲームが次世代のゲームとして注目されるようになって数年、今ではすっかり定着しましたね。

コーエーはかなり初期から積極的にオンラインゲームに参入しており、三国志関連のオンラインゲームだけでも『三國志インターネット』、『三國志 Battlefield』、『真・三國無双BB』、『三國志オンライン』などがあります。

特に『三國志オンライン』は三国志初のMMORPGであり期待させられるものがあります。

また『三國志』本シリーズもこれからはオンライン化の流れに乗って行くと推測されます。

英雄もユーザーも色を好むのだ

美少女ゲーム

『恋姫無双』はなんと言いますか、あらゆる意味で三國志ファンたちやそれ以外の層にも、インパクトを与えた作品でありますが、三国志を題材にした美少女ゲームは他にもあったりします。

19949月に発売された『姑娘の涙』は、征服するとその国の姫とアレできる18禁ゲームでした。

キャラクターデザインはなんと塩崎ユウジ、あの三国志女性化で有名なマンガ『一騎当千』の塩崎雄二氏です。

他にも『雀牌パズル 長江』という、パズルを解くと劉美、張緋、関宇、孔明という、なんだかまぎらわしい名前の美少女が脱ぐという作品もありました。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク