酒に対して三国志でも語ろうじゃないか 第十一回 趙雲02

一身是胆~趙雲の軍事的能力について~

前線指揮官とは

強い軍には必ず「戦場の空気を知る」前線指揮官がいる。
常人には窺い知れない戦機を見極め、効果的に手持ちの戦力を使い、兵士たちを勇躍させて、まるで魔法のように戦果という果実を戦場よりもぎ取ってくる指揮官のことである。

とかく、少し軍事をかじると、ついつい戦略や兵站など軍事のマクロ的な部分を重視しがちであり、偉大な戦略家たちの歴史を戦場ごと創りあげていくような手腕に比べてつい過小評価してしまうという部分がある。

だが、彼らのそうしたマクロ的な手腕も多くは戦争の現場において卓越した手腕を振るう者がいてこそ現実の戦果として現れるのだ。

有名無名を問わずこうした「戦場の空気を知る」前線指揮官たちの存在もまた歴史や軍事を語る上で重要な存在である。
「趙雲の軍事的能力」を考える場合、どうしても直接の比較対象が、一軍を任されて戦場を委任される関羽や張飛、軍閥の長として曹操と戦っていた馬超などになってしまうため、どうしても率いていた兵力が少なく過小評価されがちである。
だが、前の回でも記したように趙雲は「戦場の空気を知る」前線指揮官の典型であった。

そもそもが劉備陣営の中では関羽や張飛とは役割が違っており、彼はその職分の上で限りなく重要な存在であったと言えるのだ。
まずは「戦場の空気を知る」という曖昧な表現が、趙雲についてははどのように適用しているかを説明したい。

戦巧者の前線指揮官の役割とは?

戦場において、戦況を決するのはが兵士たちの士気であることは今も昔も変わらない。

多くの場合「戦場の空気を知る」指揮官とはこうした彼我の将兵たちの心理を察知することのできる指揮官を指す。

このあたり「重厚な性質」と史書に記され、「一身すべてが胆」と劉備に評された趙雲という存在は、兵士たちにとっては非常に頼もしかったに違いない。
どんな勇将でも強兵でも、生死が賭かる戦場は怖いものである。

古今東西、戦場経験者たちが口をそろえて言う戦場経験は「戦さが始まると何もわからなくなり、無我夢中になっているうちに生き残っていた」というものである。

それほど戦場というものはおそろしく、冷静でいられないものである。

そんな中にあって、「一身すべてが胆」と評される趙雲の落ち着きぶりは際立っていたのだろう。

そして、自分の味方に落ち着き払った古参指揮官が存在しているというのは、それを見ているだけでも安心が兵士たちの間に広がっていくものである。

さらに言えば、そのような心理的影響を与えられるほど、普段から趙雲は兵士たちに畏怖され、尊敬され、慕われていたのだ。
史書において趙雲が際立った戦果を挙げた戦場は3つである。
曹操軍の奇襲を受けて潰乱状態になった劉備軍の中にあって、劉備の子である阿斗を戦場を駆けまわって救いだした長坂坡の戦い。

迫りくる曹操軍の前に自ら立ちはだかることによって曹操軍を動揺させ、弩兵による襲撃で曹操軍を撃退した漢中争奪戦。

そして、陽動部隊を率いて魏軍の主将曹真と戦った諸葛亮の第一次北伐である。

第一次北伐での水際だった趙雲の役割とは?

この中で注目したいのが最後の第一次北伐における活躍である。前にも書いたが出自が低かったために地位も低く抑えられ、大きな兵力を任される事が少なかった趙雲にとっては珍しくも作戦規模での権限を与えられている。
劉備時代の趙雲は劉備の親衛隊的役割をしていたと思われる。

とはいっても劉備のようなベテランの野戦司令官の親衛隊というのは、ただの防衛のためのだけ兵力ではない。

直属の予備兵力として、司令官がここぞという時、ここという場に前線に投入されて少数ながらも戦況を左右するという決戦兵力としての役割を求められる。

これは別に劉備に限ったことではなく、曹操陣営でも虎豹騎という騎兵の決戦兵力を活用して数々の戦いに勝利している。

劉備にとって趙雲とは頼もしい護衛であると同時に最後の切り札だったわけである。

この扱いは『三国志演義』における諸葛亮の趙雲の使い方を思わせるが、むしろこのような活用法をしていたのは劉備であった。
劉備時代はこのような親衛隊兼決戦兵力といった扱いであったが、諸葛亮の時代になるとベテランの将帥たちが激減してしまったために、趙雲も一軍を率いることが求められた。

以前書いたように趙雲は出自などから一軍を率いるような情報処理や総務能力を持っておらず、またそれを補佐する子飼いもいなかったと評価されていたようだが、彼自身も努力していたのだ。

また鄧芝という副将の補佐も相性がよかったに違いない。趙雲は一軍を率いるのに過不足のない能力を発揮する。
そして、特筆すべきは彼の役割である。
そもそも陽動部隊というものは簡単に考えてよいものではない。

最初から『囮』とわかっている戦いに兵士を向かわせるのは非常な困難を極めるのだ。

「どうせ囮だ」という思いは、使い捨てにされる恐怖感と自分は主力ではないという気の緩みという、軍隊にとっては最もありがたくない心理を最初から持たされるのだ。

さらには敵は強大な魏軍の主力であり、曹真も諸葛亮の北伐に対して有能さを発揮し続ける司令官である。
兵士たちの心理を動揺させる要因には事欠かないのが、この時の趙雲に与えられた職分であり、その重要性は街亭に配置された主力の馬謖にも勝るとも劣らないものがあった。

その難しさは主力以上のものがあったとも言えるだろう。
この囮作戦を趙雲は完全に全うしている。

曹真率いる魏軍主力は趙雲率いる蜀の陽動部隊に最後まで拘束され続けるのだ。
これだけでも、趙雲の兵士たちの掌握力というものが尋常でないことが理解できるが、趙雲の真価が発揮されるのは街亭において馬謖の主力軍が崩壊したあとである。

街亭での捷報を受け、嵩にかかって追撃をかけてくる魏軍主力に対して、これを遅滞させつつ見事な撤退戦を完遂してのけるのである。

軍需物資もきちんと持ち帰ったというのだから、これは絶賛する以外にない、文句なしの撤退戦であると言える。
主力軍が崩壊してしまった囮部隊の悲惨さは想像を絶するものがあっただろう。

ただでさえ孤立しているに近い瀬戸際で敵主力を拘束していたのだ。

そんな綱渡りのような状況下での主力軍の崩壊と撤退命令はが将兵に与えた絶望感は、そのまま全軍崩壊してもおかしくないものがあっただろう。
だが、趙雲はこの絶望的な撤退戦を兵士たちを完遂する。

誰よりも「戦場の空気を知る」趙雲の言葉と存在は、将兵たちにとっては「もはやこの人についていくしかない」と腹をくくらせる重みがあった。

また、同時に常に決戦兵力として困難な状況に投入され続けてきていながら生き残り、多くの戦果をもぎ取ってきた趙雲の経験は「この人の言う通りすればなんとかなるかもしれない」と希望を抱かせるものがあったに違いない。
当時の蜀軍において、この状況で兵士たちを掌握して撤退戦を全うできるほどの経験と存在感を持つ人物は他にはいなかった。

もし、この趙雲率いる囮部隊が曹真率いる魏軍を遅滞させていなければ、第一次北伐の敗戦における蜀軍の損害はもう二度と北伐を行えなくなるほどになったことは想像に難くない。

そういった意味では、幾度に渡る北伐を通じて自身の経験を深め、軍備や蜀の体制を整えていった諸葛亮や蜀の存在そのものを救ったと言えるだろう。
そのことを最も理解していたのは他ならぬ諸葛亮自身であった。
だからこそ第一次北伐後の論功行賞において、敗戦にもかかわらず諸葛亮は趙雲とその配下たちに持ち帰った軍需物資を与えようとしたのだ。
だが、趙雲は敗戦にもかかわらず賞を受けるのは道理に合わないとこれを固辞し、冬への備えとするよう進言したという。
いささか出来すぎとも言いたくもなるが、逆に言うと趙雲は常に劉備の直属兵力として軍の中枢をよく知る立場にあったのだろう。

そのような経験あっての苦しい蜀軍の事情も把握した上での進言であった。
なるほど、最初に書いたように「安定した人気」を誇るわけである。
やはり趙雲は『三国志演義』において「五虎将」の一人に連なり、なおかつ破格の扱いを受けるに相応しい人物であり、正史においても劉備陣営の二大看板である関羽と張飛と並べて伝が記されるに相応しい人物であったのだ。

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