酒に対して三国志でも語ろうじゃないか 第五回

『酔振談戟~三国志の時代のトレンド武器は戟?』

前回、劉備と夷陵の戦いについて振っておきながらアップデート間近なので、それにちなんだお話を間に挟まさせ頂こうと思う。

というのも他ならぬ新武器の登場でもあるし、なんといっても『真・三國無双online』(以下、無双オンライン)の立ち回りは武器次第というところが大いにありますからな。

筆者も鉄戟無双乱舞ブッパを練習するために新参の激突に、ときたま通っていたりします。なにぶん年なので操作が追いつかず、たいていは1killも取れずにスゴスゴと帰っているわけですが。
ともあれ、武器のスペックを調べてその使いこなしや立ち回りを研究していくのは、無双オンラインの醍醐味の一つであります。

そのちょっとしたスパイスとして「史実ではこの武器どんなものだったの?」ってのを知っておくと、なんだかそれを持っている自分が少しだけ当時にタイムスリップできた気分になって、ロールプレイ度が増すというものです。
というわけで今回登場する武器は、呂蒙の持ち武器である「断戟」。鉄戟や双戟に続く戟シリーズの一つですね。

このように無双オンラインや『真・三國無双』シリーズでは「戟」という名のつく武器が多数登場しますが、日本ではあまりお馴染みではない武器であり漢字でありますね。いったい「戟」とはなんなのでしょうか?
まず「戟」という武器の定義はわりと簡単で「矛」と「戈」を合体させた武器です。矛は戈も無双オンラインに登場する武器ですが、軽く説明しておきましょう。
「矛」とは幅広の刃を柄に被せるように嵌めた武器で、刺突武器……と言いたい所ですが多くの場合、刃の部分は後世ほど鋭く製錬されていないので、遠心力を利用した打撃に近い使い方をしていた模様です。

おそらくは長柄武器としては中国を始めとして東洋では、もっとも早く登場した武器ですね。日本でも古代から鎌倉時代までは一番メジャーな武器でした。
続いて「戈」は、柄の横に垂直に生えるように刃を取り付けた武器です。

「干戈を交える」という言葉が「戦争をする」という意味に使われるほど、古代中国では兵器の代表のような存在だった武器なのですが、実はその後完全に廃れてしまい正確な用法がわかっていないという武器だったりします。

ただ、様々な資料や遺跡などから「戦車(MBT……のことではなく馬に引かせる戦闘用の馬車)に乗った兵士たちが横に回すように振り回して、敵戦車をなぎ倒す」という使い方がされていたというのが有力な説となっています。
この古代中国において主力武器であった矛と戈を「縦と横にある武器、どっちもつけたら最強じゃね?」という発想で作られたのが、戟なわけです。

おそらくは、戦車相手に戦うなら便利だけど歩兵相手には不便な「戈」、歩兵相手には突いたり殴ったり便利だけど戦車相手には威力不足になってしまう「戈」という状況から、その二つを合わせたくなったのでしょう。
この武器が登場したのは春秋戦国時代、ひとつには武器や防具の材料が青銅から鉄に変わったというのも大きいでしょう。

まず鉄は青銅よりも軽い上に、鍛錬することで硬度を高めることができるのでコンパクトに作れます。

つまりはそれまで矛と戈を合わせた武器を作ろうと考えたとしても、重くて使いにくい武器になってしまったわけです。そもそも柄も耐えられなかった場合もあったでしょう。
理論上は強そうだけど重さと強度という難点があった「戟」ですが、武器の材料が鉄に移り変わったことによって矛と戈を両方併せた武器を十分実用的な重さと強度で作れるようになったわけです。
登場したのは春秋戦国時代ですが、「戟」がその真価を発揮するのはもっと後の事になります。
前漢から後漢、そして三国時代にかけて、古代中国においてはひとつの大きな軍事改革が行われます。

それは前漢において中国文明を完全に軍事力において圧倒していた匈奴との戦いです。

馬にそのまま乗って縦横に大地を駆けまわる騎馬民族匈奴の機動力の前に戦車がメインの漢軍は、劉邦が白登山で包囲され屈辱的な講和を結び匈奴が優位となる朝貢を強いられるなど、軍事的に圧倒され続けるのでした。
匈奴の得意戦術は馬上から弓を打ちつつ逃げ、相手が疲れた所で包囲殲滅するという、いわゆる「パルティアンショット」と呼ばれるものでした。

これに対して前漢の武帝の時代に現れた武将衛青と霍去病が「鉄騎」と呼ばれる、人馬を鎧でおおった重装騎兵を整備して、パルティアンショットをしのぎつつ、その打撃力で匈奴の弓騎兵を撃破するという戦術で匈奴を圧倒します。
そう、この時代に機動力も劣る上に小回りも効かず、兵も馬も複数必要な上に馬車を用意しなければならないという「戦車」は完全に「騎兵」にとって替わられてしまったわけです。

後漢から三国にかけての三国志の時代には、春秋戦国時代や楚漢の戦いではメインの武器であった戦車が登場しないのは、間にこのような軍事改革があったからなのです。
そして、薙ぎ払うように使うと高い威力を発揮する「戈」と突いたり殴ったりと長柄武器としては抜群の汎用性を持つ「矛」の両方の利点を持ち合わせる「戟」は、この騎兵が使うのに当時としてはもっとも優れた武器であり、戦車が騎兵に移り変わる前漢末期から後漢にかけて急速に武器として普及しはじめます。
そして、戟がすっかり一般的になった後漢末期や三国時代においては、両手で使う長柄武器である「長戟」と片手で扱う「手戟」の二種類が登場して、使い分けられていた模様です。
無双オンラインでは双戟が「手戟」のカテゴリーに入り、今回のアップデートで登場する「断戟」や「鉄戟」は「長戟」のカテゴリーに分類されるでしょう。
この戟の史実における有名な使い手はなんといっても曹操配下の典韋です。

彼は曹操と呂布の戦いでは危機に陥った曹操軍の陣営において、数十本の戟を用意し、傍らの兵士に「十歩(当時の単位で11.5メートル)の位置に来たら言え」と命じ、敵兵がその距離に来たら戟を手にして起ち上がり撃退したとあります。

実は多くの書物や戟を投げて撃退したとされていますが、本文では「投げた」とは書いてないのですが、まあ数十本の戟を用意していたことから考えても、投擲武器として使ったのはほぼ間違いないでしょう。

殴ってよし突いてよしに加えて投げてよしが加わるのですから、本当に「戟」は便利な武器であります。無双オンラインでも投げられるようにしようぜ(笑)
さて、その典韋は曹操陣営において「帳下(曹操の幕営の傍ら)に壮士に典君在り、一双戟八十斤を提ぐ」と讃えられており、八十斤(呉漢末期は1斤約220グラムなので約18キロ)の「双戟」を手にして戦っていたようです。

20キロ近い「双戟」を縦横に振り回すのですから、凄まじい怪力ですね。
さて、この「双戟」ですが、実は二種類の解釈があります。一つは戟の刃が二股にわかれているという巨大な戟であったという説と、もう一つは片手で扱う「手戟」を二刀流の如く両手に二つ持っていたという説です。

とりあえずビジュアル的にも派手であり、典韋の豪傑ぶりが際立つというので、最近多いのは前者よりも後者の説に人気がありますね。

これについては明確な答えはわかっていません。
肝心の呂蒙についてですが刀で役人を斬り殺したという記述はありますが、戟を使っていたという明確な記録はありませんでした。

ただ、当時は本当に戟が一般的な武器として使われていたので、彼も使っていただろうことは推測できます。

というか、呂蒙といったら武器はやはり「太鼓」ですよね!

というわけで、今回アップデートされる「断戟」ですが、戟という武器はこのように様々な歴史の積み重ねと中国の武将たちが、当時の戦い方に併せていろいろ練り上げた末に生まれた武器であり、三国志に登場する武将たちにとってはもっとも馴染みが深い武器であったことを知っておくと、より一層思い入れができるのではないでしょうか?
しかし、後漢から三国時代にかけて一貫して長柄武器の王者であった「戟」ですが、他ならぬ三国時代においてその座を脅かす武器が登場します。

その武器とは……。

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