【ADF】『AfterDevilForce』外伝 三つ編みの理由

カリュウト・ショート・ストーリー

「三つ編みの理由」

「左翼!! 銃撃に移る時間が遅いっ」
クォーダ首都カイラスの郊外に設けられた演習場で、本日訓練を行っているのは第3師団であった。

騎兵を主体とした、この機動力に優れた師団をその指揮官は実に見事に進退させていた。

クォーダの第2師団は、直営大隊、前衛大隊、右翼大隊までが騎兵で編成され、残る左翼、後衛大隊の2大隊が歩兵部隊となっている。

このふたつの兵科を組み合わせ、戦線を維持する歩兵と騎兵の突撃とが互いを補い合う用兵が、この師団の特性であった。
硝煙と戦塵が辺りに立ち込め、銃声と馬蹄の轟きがこだまする。

他国では考えられぬほど、贅沢に弾薬を消費する演習が続く。
この師団を率いて実戦さながらの激しさの演習を指揮しているのは、若干20歳を数えるばかりの女であった。
クォーダ軍第2師団師団長カリュウト・ウェゲナー。
クォーダの軍中はおろかフォーリス諸国においてさえ珍しい女性指揮官ではあったが、彼女に対して女だてらにと侮る者はいなかったろう。

第1師団長リューダス、装甲敵弾騎兵支隊総監リシナ・カラットと並んでクォーダの若手三傑に数えられる指揮官である。
歩兵のリューダス、騎兵のリシナ、銃陣のカリュウトと謳われるように、特に射撃戦における指揮能力に優れ、自らもクォーダ随一される狙撃の腕前を持っている。 ただ、そのような実力などよりも、もしかすると人口に膾炙しているのはその容姿であったかもしれない。

腰まで伸びた漆黒の髪と同色の瞳が飾られたその容貌は、切れ長の双眸、整った鼻梁、白磁を想わせる肌によって象られ、北国クォーダらしく深雪に喩えられるほど玲瓏とした美しさを持っていた。

しかし、彼女の美しさはその性に基づくような媚態のかけらもなく、それどころか人としての温もりさえ感じられぬような凛然としたものがあった。

後世よりも男女の性差がはっきりと区別あるいは差別されていたこの時代、彼女のような型の美女の例はあまりないと言ってよかった。
「やめっ!!」
日が傾き始めたころ。漸く彼女は命じ、実戦を想定した演習の終了を告げた。
てきぱきと整列した師団兵たちを前に、彼女は騎乗のまま姿を現す。
最早、奇異の目で見られることは疾うになくなっているが、賛嘆や憧憬の眼差しは止んだ事はなく、否が応にも慣れてしまう他に採る術はなかった。

というよりも、彼女は自分の半神的な容姿における、兵士たちの信望への効果といったものを熟知しており、逆にそれを利用してさえあった。
「本日の演習はこれまでとする。諸君、ご苦労であった」
凛呼とした声が寂として声もない兵士たちの間に響き渡る。

彼女が率いる第2師団は、ある意味、全師団の中でもっとも統率が取れていると言えるかも知れない。

カリュウト自身は決して堅苦しいタイプの人間ではないのだが、口数少なく一種威厳さえ感じさせる彼女の影響力のせいか、こういったときの行儀のよさでは他の師団の追随を許さない。
「本日の演習についてだが……」
まったく無駄なく彼女は今日の演習の意義を説き、演習の成果に関する各大隊への批評を下していく。それぞれの長所も短所も端的に露にし、兵の端々にまで徹底する、これが彼女のやり方であった。
「以上である。あとは、各大隊ごとに解散してよし」
カリュウトはこうしめくくり、その場を離れた。

それとともに師団は各大隊ごとに分かれて、今日の演習の復習と反省を行うのであった。
「ご苦労様ですっ」
下馬し、演習場に設えられた天幕に戻ろうとしたカリュウトを呼び止める声がした。

かすかに聞き覚えのある声は、明らかにこの場にはそぐわない少女のものであった。
「……ん?」
声に振り返ったカリュウトの視界に、声と同様にあまり準戦地とも言える演習場に似合っているとは思えない軍装の少女であった。
年のころは十代半ばといったところだろう。

長身のカリュウトに比べると小さく見えるが、この年頃の少女としては高いほうだろう。栗色の髪と紺色の瞳を持った、美人というより可愛らしい娘である。
「どうぞ」
少女はカリュウトは水で濡らした手拭いを差し出す。
「ああ、すまんな……」
とっさに少女の名前を思い出せず、カリュウトは曖昧な笑顔で差し出された手拭いを手に取った。

着ている軍装は第3師団のものであり、少し戦塵に汚れている事から見て、先ほどの演習に参加していた者らしい。
(こんな娘、軍中にいただろうか……?)
懸命に記憶をたどろうとしたのは彼女らしい律義さであったろう。

冷たく濡れた布の感触は汗と埃に塗れた顔にいかにも心地よく、感謝しているのだ。

なのに相手の名も思い出せないのは礼を失うだろうと彼女は考えたのである。
しかし、その努力は徒労に終わる。そこで彼女は軍人らしい果断さを発揮して、もっともてっとり早い手段に出た。
「すまんが、そなたの名は? 悪いのだが、どうしても思い出せぬのだ」
「あ、はい。本日よりシシス陛下の命で、第3師団に配属されましたリーリナ・ハイラウンドと申します」
名前を聞いても思い出せなかった。

ただ、ひとつだけ先日に主君であるシシス・クォーダⅧと交わした会話だけが思い当たった。
(「明日でカリューは21になるんだったな?」)
(「確か……、そうなりますが」)
(「そうか。今年はな、とっておきの誕生祝いを用意しておいたぞ」)
(「いえ、そんな……」)
(「ははは……。遠慮はせずともよい、楽しみに待っていろよ」)
「シシス様の……か?」
「はいっ!! シシス様にカリュウト様の下で働きたいとお願いしたところ、第2師団の 直営大隊付きにしていただきました」
どうやら副官のウォルターが、演習とはいえさすがに少女を前線に出す事は憚って、幕営付きの従卒のような扱いにしたらしい。ずっと前線で指揮を執っていたカリュウトが知らないのも当然であった。
「そうか、なら、もう一つ頼まれてくれぬか?」
「はいっ」
リーリナは嬉しそうに返事をした。
「水を一杯持ってきてくれ」
「わっかりましたぁ!!」
言うが早いか駆け出して行ったリーリナの後ろ姿に、カリュウトは戦地には似合わぬ危なっかしさを感じた。

と同時に何も躓くものが無い筈の場所で、リーリナは盛大に転んだのが見えた。

カイラスに帰ったカリュウトは、第3師団兵営に設えられた自室で湯浴み着のまま髪を拭きながら考え事に耽っていた。

クォーダの成年男子の平均以上の背がある彼女は、女性からの羨望の対象になるような均整のとれた姿態を持っているのだが、見事なまでに女らしさを演出する部分を自分から削ぎ取っていた。

生まれてこの方、化粧一つした事はなく、身にする服も軍装や礼装ぐらいしか持っていない。

特に男装の麗人を気取っている訳ではなく、シシスの下でリューダスやリシナらと共に男所帯(?)で育ってきてしまったため、自然に女らしさを欠落したまま成人していた。

実のところ彼女にとってみれば湯浴みや着替えでさえ、部下や同僚らと一緒でも構わないのであるが、さすがに周囲が「それだけは……」と止めるので、浴室を自室に付属させていた。
贅沢と言えばそれぐらいが第3師団の師団長である彼女の唯一の贅沢であると言えただろう。
(やはり、大隊長を代えた方がよいか……)
そしてまた、誰かが気を利かせて用意したはいいが、どうやら当人にとっては彼女の平均以上に高い背に調度良い椅子としか思われない鏡台に座って考えるのも、このような軍事的な部分が多くを占めているのであった。
第2師団の左翼大隊は、つい最近、大隊長が代わっていた。

戦死した先代に代わって大隊長に昇進した副大隊長は決して無能な男ではない。

だが、あまり上に立って兵の端々までその人格的影響力を及ぼすような型の男ではなく、そのためどうも兵士たちとしっくりいっていないようであった。

左翼大隊は指揮していても弾みに欠けるのが強く感じられる。どうやら本人もその事を気に病んでいるようであり、あまり大隊長への昇進を喜んでいないきらいがあった。
(確かに、補佐役向きの男ではある)
かといって、別に大隊長にふさわしい者に心当たりがあるわけでもなかった。
(ここでレグスも一皮剥けてくれるといいのだが……)
……と、ここまで考えが進んだとき、彼女の部屋の扉を軽く叩く音が聞こえた。
「誰か?」
「……リーリナ・ハイラウンドです。お呼びにつき、参りました」
「鍵はかかっていない。入るがいい」
扉を開けたリーリナの視界に無造作に半裸に近い格好をしているカリュウトの姿が映り、彼女は慌てて扉を閉めた。
「すいません!! 失礼しましたっ」
「どうした? 早く入ってくるがいい」
平然としている見られた側より、かえってどぎまぎしているリーリナにカリュウトは不審そうに声をかけた。
「あ、あの……、その格好で……」
「ああ。湯上がりで少し涼みたいのでな。失礼かな?」
「い、いえ……。そういう事じゃないんですけど」
「ならばよかろう。女同士だ、恥ずかしがる事もあるまい」
意に介さぬようカリュウトが言ったので、リーリナも意を決して部屋に入った。

さすがにクォーダでも4人しかいない師団長の部屋だけはあり、広々としたカリュウトの部屋は、調度こそそれなりに整っているが、どうやら寝る以外には使われていないというのがあからさまな飾り気のない部屋であった

。どうやら小間使いに整理整頓掃除洗濯は任せきりにしているらしく、豪快に脱ぎ捨てられた軍装や下着が彼女らしいと思っていいのか悪いのか、リーリナは少し迷った。
「はい。あの、それでどのような御用でお呼びになったのでしょう?」
「うん。少しそなたの話を聞いておきたいと思ってな、それで呼んだ」
カリュウトは鏡台の椅子をリーリナに進めて聞いた。
「もう兵営に居は移したのか?」
「……いえ、まだなのですが……」
覚悟が足らないと言われるのだろうか? それを恐れて少し声を低めてリーリナは応える。
「そうか、女の身では何かと大変であろう」
カリュウトは全く自分が女である事は意識していない。

だが、それはそれで自分が女の中の変種である事を自覚しているので、リーリナの身を案じているのであった。

何しろクォーダの軍中広しと言えども、銃で彼女に敵う者はなかったし、剣技や体術でも彼女に互角以上なのは一握りであった。

何よりも彼女が自然に身につけている冷たい威厳に気圧され、彼女に無礼を働こうなどと考える者がいよう筈がなかった。

前述したように部下たちなどは、カリュウトのあまりな無造作さに翻弄される事の方が多いくらいだ。
「それで考えたのだがな。そなたもこの部屋を使えばどうだ?」
「えっ!?」
突然過ぎるカリュウトの申し出に、リーリナは驚きの声を挙げた。
「この部屋には従卒用の部屋があるのだが、そこを使えばよかろう。そなたさえ良ければ、すぐに手配するがどうかな?」
「け、けど。いいんですか?」
リーリナは今まで漠然と憧れていた対象が、何故自分にそこまでしてくれるのか検討がつかず、緊張の極みのような声で彼女は答えた。
「私は別に構わぬ。ここで起居すれば、そなたも女の身で働きやすかろう。

シシス様より預かった身に大事あっては申し訳ないしな」
どうやらカリュウトは、リーリナを敬愛する主君からの大事な預かり物として扱うつもりのようであった。

それで自分の厚遇に合点がいった彼女は元気に返事をする。
「はい。では、そうさせていただきますっ」
せっかく同性として尊敬していた師団長の近くに接する機会を意味の無い遠慮で逃すほど彼女は愚かではなかった。
「それに……、そなたはなかなか気が付く娘のようだ。そなたのような娘が側にいると正直、こちらも助かるのだ」
そう言ったのはリーリナの精神的な負い目を取ってやるためなのかも知れなかった。

その心遣いをありがたく思うと共に、リーリナは自分なりにカリュウトの役に立てることがいろいろとあるかな、と失礼にならぬ程度に部屋を見回しながら彼女は思った。

夜になった。
身の回りの荷物を持ち込み、使われていなかった従卒の部屋を掃除して、リーリナは軍中らしい簡単な引越しを終えた。

驚いた事に、カリュウトはリーリナの部屋の引越しや掃除で力仕事になる部分を第3師団の師団長ともあろう身で自ら手伝ってくれた。

召使いでも誰でも使える身であるのに、カリュウトはさも当然のようにリーリナを手伝った。
「ところで、聞いておきたいのだが……」
鏡台の前で夜着のままリーリナに髪を梳かせながら、ふとカリュウトは聞いた。

全体的に北国故か色素の薄いクォーダ人には珍しく見事に艶やかな黒髪を持っているカリュウトであったが、普段の彼女は自分の髪を丹念に梳る習慣もなく、せいぜい手櫛で整える程度である。

リーリナから見るとそんなカリュウトの頓着の無さがあまりにもったいなかったらしい。カリュウトの髪を整えさせてほしいと申し出たのである。
もしかしたら彼女なりに自分の厚遇に対する恩返しのつもりなのかもしれなかった。
「リーリナ。そなたは確かハイラウンド家の一人娘であったな?」
「はい」
実に嬉しそうにカリュウトの髪に櫛を透しながらリーリナは答えた。
「ハイラウンド家と言えば、貴族中でも富裕な名門であろう。その家の姫君ならば何不自由なく暮らせるであろうに、何故わざわざ軍中に身を投じる気になったのだ?」
「はい!! 私、ずっと憧れていたんです。いつも男性よりずっと凛々しくて強いカリュウト様に。そして、ずっとお仕えして、一緒に戦えたらと思っていました」
「ほう……」
その答えをカリュウトは半ば予期していたようであった。

実際、男でもかくやというような武勇と冷たい美貌を持つカリュウトに憧れを抱く娘はクォーダでも数多い。

ただ、単に憧れるだけでなく、軍務に志願したのはリーリナぐらいのものであったろう。
鏡に映るリーリナをカリュウトは見つめた。

その視線をリーリナの愛らしい容貌には似合わぬほど意志の強い目が、まっすぐ捉えた。
返された視線にカリュウトは幾分目を細める。
(……私と同じ……なのだな。ただ、あの方に付いていくために自分が女である事も忘れ、軍に身を投じた私と。戦地を征く、あの大きな背中を追いたくて、私も剣を手にするようになったのだ……)
カリュウトの回想による沈黙を誤解したか、リーリナは慌てて付け加えた。
「あ、あと憧れだけじゃないんです」
「そうなのか?」
「私、ただ貴族の娘として護られて暮らしていくのが嫌だったんです。だって貴族って何も作らないで、いつも戦わないで、なのに人よりいい生活してるんですよ。……小さい頃はそれが普通だと思っていました」
リーリナはひと息ついて続けた。
「けど、私達より偉い筈のシシス様が戦場で働いて、それで国が豊かになっているのに、自分が何もしないでいていいのかな? 何か出来る事はないのかな? って思うようにんなったんです」
口振りや論調に幼さが残るものの、その愛らしい容貌には似合わぬほどの強い視線をリーリナはカリュウトに向けながら、一気に彼女はまくしたてた。

もしかしたら、前からカリュウトに軍志願の理由を聞かれたときのために、この長広舌を考えていたのかもしれなかった。
(ああ、貴族の中にもこういう娘が生まれるようになったのだな……)
カリュウトはリーリナから目を逸らさず、感慨深げに思った。

カリュウト、リューダス、リシナ、ラデュス、マグナスといったクォーダ軍の名だたる指揮官たちはすべて貴族の出身ではない。

リューダスとリシナはクォーダの戦災孤児をシシスが養育したのであるし、ラデュスとマグナスは一兵卒からの叩き上げである。

カリュウトに至ってはシシスが出征先の戦場で拾ってきた他国の孤児である。
(不思議と、他国人だという事での負い目は感じなかったな……。リュードやリシナ、……それにルクスがいつも一緒にいたし。何よりシシス様がそんな事は気にもしなかったので、他はどうでもよかったというのもあるかな……)
少し昔を思い出して彼女は思わず懐かしげに微笑みを浮かべた。
逆にクォーダの貴族たちはシシスの強引な政策や戦場に出る事、軍や政府を実力主義で出世させる事を白眼視し、反発している者たちのほうが多かった。

それだけに、リーリナのような変わり種の娘が出てきたのは、なおさら彼女にとっては感慨深かったのである。
「私、自分が貴族だという事に負い目を持ちたくないんです。選ばれた身分なら、その分の責任を持って働きたいんです」
良い意味での貴種の誇りを見せるリーリナを、一瞬、抱きしめたくなるような衝動を覚えかけながら、カリュウトは彼女にいつもとは違った微笑みを。

それはリュードやリシナにだけ見せるカリュウトの女性の微笑みだった。
「リーリナ、そなたはずいぶんと強いのだな」
「えっ……?」
意外過ぎる言葉をかけられて、リーリナは大きな目をさらに見開いた。
「私などは、そこまで考えて軍にいたわけではない。ただ付いていきたい方がいて、一緒にいたい仲間がいただけで、ここまできただけだ」
「でも、カリュウト様は誰よりも強くて、お美しくて……」
「お前は独りで、自分を取り巻く殻から飛び出し。楽とは言えない場所に飛び込もうとしている」
「そんな……、そんな大それたことじゃ」
とリーリナが言いおわる前に、カリュウトはいつもの表情に戻り彼女に厳しい口調で続ける。
「自分に誇りを持って、責任を果たしたいと言ったな」
「はい」
「ならば、しばらくは私に付いていよ。だが、ゆくゆくは一隊を任せるつもりでいるから、そのつもりで私を見ているのだ」
「ええっ!! で、でも……」
「ただ、戦場に出るだけでは貴族の責任を果たすとは言えまい? 私が戦場に出て間もない頃、シシス様に言われた『俺に付いて来たいのなら、ただ共にいるだけじゃ駄目だな。俺のやっている事にも付いて来るようにならねばな』とな。私もそれに倣おうと思うのだ」
押し付けがましさのかけらもなく、淡々とカリュウトはリーリナに語りかける。
「厳しいと思うが、付いてくるか? リーリナ。そなた次第だ、別にこの部屋を出ろとか言うつもりはない、そなたの好きにするといい。」
「……」
リーリナは少し考えた。

でも、頭に浮かぶのは先ほど少しだけ見せたカリュウトの優しい微笑みばかりであった。ならば、それでいいと彼女は思った。
やってみよう、と。
「はい!! やってみます」
奇しくも、それはシシスに問われた時のカリュウトの簡潔すぎる答えと全く同様のものであった。
その答えに思わずカリュウトは、その時12歳だったカリュウトにシシスがとった行動と同様の台詞を言い、同様の行動をとった。
「よおし、いい娘だ」
と、後ろを振り向いてリーリナの頭を撫でたのである。
一瞬、リーリナはびっくりしてカリュウトの髪を整えていた手を止め、次いで嬉しそうにされるがままになった。

しばらく、何を考えているのか含み笑いを浮かべながらリーリナがカリュウトの髪を弄繰り回し、カリュウトが大人しくされるがままになっている。

なんとも優しい時間が流れた。
「はい、できました。どぞ」
最初からすればずいぶん打ち解けた様子でリーリナはカリュウトに手鏡と、何やら見慣れぬ黒い物体を手渡した。
「……?」
訝しげにそれを見て、その正体に気づいたカリュウトは戸惑ったような表情を浮かべる。
「どうですか? 似合うと思うんですけど三つ編み……」
「……」
「……」
両者の間で沈黙が流れる。

意外と強情にリーリナはこの新しい髪型が似合うと信じているようであり、逆にカリュウトは髪型の善し悪しを判断するほど”女”に詳しくなかったので守勢になっていた。
いきなりカリュウトは立ち上がり、髪を軽く振ってみた。
「ふ……ん。確かに動きやすいな」
カリュウトの負けである。彼女の職業をうまく理解した髪型であった。
「気に入っていただけましたか?」
「まあ、そうだな」
「よかった……」
ほっと胸を撫で下ろすリーリナにカリュウトはささやかな反撃を試みた。
「ただ、これから寝るには邪魔になりそうだな」
「あ……」
その失敗は彼女も認めるしかなかった。

「やあ、髪型変えたんですね。よく似合いますよ」
翌日、クォーダの王城に出仕したカリュウトの髪型の変化を最初に指摘したのは装甲擲弾騎兵支隊総監のリシナ・カラットであった。

いかにも人の良さそうな茫洋とした容貌とは裏腹に、クォーダにの虎の子の精兵である装甲擲弾騎兵支隊の総監として、勇猛さを持って知られる指揮官である。
「そう? そう言ってくれると助かるな。ありがとう」
実際、彼女らしくまったく表には出さなかったのだが、新しい髪型が人にどう見られているのか、彼女なりに少し心配をしていたようであった。
「あ、ずりぃ。それは俺だって気づいていたぞ!!」
カリュウトの少しはにかんだような笑顔に、リューダスは自分のライバルが如才なく得点を稼いだ事を見て取り、慌てて言った。

その様子はいかにも子供っぽく、クォーダ軍の要でありクォーダの経済をも支える傭兵団であり、フォーリス最強の戦闘集団と評されるクォーダ第一師団の師団長とは思えぬ姿であった。
「気づいていても、口にしなくては意味がありませんよ、リュード」
長い長い彼ら三人の微妙な関係はこの程度の事でバランスが崩れるわけもないのだが、それでも先を越されたという競争意識は出るらしい。

リシナは彼には似合わぬ少し皮肉っぽい口調で言った。
とはいえ、こういったやりとりは二人にとってはおなじみの掛け合いのようなもので、たいして深刻になる事もない。
「ふんだ。俺はお前みたいに口がうまくないからな」
「そうですね、リュードの口は喋るためじゃなく、食べるためにありますからねぇ」
「なんとでも、言え」
「あははははは」
リューダスとリシナの掛け合いに思わずカリュウトは大きな口を開いて笑う。
それを見て、リューダスとリシナは頭を掻きながら、それでもカリュウトを笑わせた事に満足するような表情で互いを見るのであった。
「はは……。じゃあ、別におかしくはないんだな、この髪型」
笑いをおさめてカリュウトは、数少ない彼女が気にする他人の目たちに確認する。

「ええ、カリューの黒髪は束ねるともっと艶やかになるんですね。とても素敵ですよ」
「ああ、いいと思う」
と、二人なりの感想を聞いたところで、カリュウトはそれら感想の対象が、くいくい、と引っ張られるのを感じた。
「誰だ!!」
と厳しく誰何しながら振りかえるカリュウト。
その直後に3人は唖然と凍り付いた。
「シ、シシスさま……」
視線の先には、カリュウトの三つ網をつまんで持ち上げている壮年の男が立っていた。

少し色褪せた金色の髪をまとった容貌は、頬に痛々しく銃創が穿たれているほかは端正に整っており、若い頃はさぞかし美男であったろうと思わせた。

今は年相応の年輪が刻まれてはいるが、それがかえって落ち着いた端正さを増しているような印象を与える。
彼の名はシシス・クォーダⅨ。クォーダの国王にして、クォーダ傭兵師団を創設した武将でもある。

他国にはその強引な施政と軍事的な脅威から”狂王”と仇名される王ではある。

その政軍両面にわたる手腕には当代匹敵するものがいなかったであろうと後世評価される、一代の英傑である。
「よお、カリュー。ずいぶんと遊べそうな髪にしてきたな」
その”一代の英傑”はカリュウトの髪を摘み上げて弄びながら、容貌や身分にそぐわぬ軽い口調でそんな事を言った。
「そ、そうですか……」
いきなり、現れたシシスに対する驚きとそれ以外のさまざまな理由で体を硬直させながら、カリュウトはやっと答えた。
「カリューの髪は奇麗で真っ直ぐだから、一度いろいろ遊んでみたいと思っていたのだが……。こうされるとなあ、押さえ切れなくなるぞ」
といいながら、シシスはカリュートの三つ網を軽く振る。カリューは依然として硬直したままだが、不快なわけではない。逆なのだ。
「なあ、リシナ。たとえば、これでお前の好きな猫とかじゃらしてみたいと思わんか?」
「いえ、その……」
(ごめん、カリュー。実は思ってた……)
決まり悪そうに口ごもる。
「ところでシシス様、今日は俺達を集めてなんの用なんでしょう?」
硬直したまま耐えられぬほど心臓の鼓動を早くしていたカリュウトに、助け船を出すようにリューダスはシシスに問い掛けた。

シシスを父や師といった言葉では現せないほど慕っている3人であるが、その中でリューダスは長兄といった役目を負っているようだ。

才能そのものについて、3人の中でもっともシシスに認められているふしがあるリューダスは、彼らの中で一番物怖じせずにシシスに話し掛けることができた。
「おお、そうだ忘れてた。来月な、傭兵団の出陣が決まったぞ。今度はコルアの国境紛争なんだが、派遣する陣立てを相談しておきたくてな」
さすがに切り替え早くシシスはカリュウトの髪を放し、武人らしい威厳を取り戻した。
「やっぱ、俺達も征けるんですか?」
まだ戦争という行為に疑問を抱くような平和な思想のなかった時代である。

リューダスのような血気盛んな若者が、来るべき戦に抱く感慨は勇躍以外になかったであろう。

それに彼のような楽天的な気質の青年にとって、遠い異国に行けて、しかも自らの天賦の才能を発揮できる戦ができるというのは、まったく楽しみであるという他なかったろう。
また、遠征さえもそのように将兵たちを思わせる事によって士気を維持しているシシスの心理操作も、そこにはあったに違いない。
「ははは、リュード。また珍しい物でも食いたいか?」
シシスはリューダスの頭を叩いて言った。
「でも、お腹壊して戦に出られないのは勘弁してよ」
「ちぇっ、みんな俺のことを食い意地張った餓鬼みたいに言いやがる……」
「いやぁ、事実は事実ですからねぇ」
ふと真面目な顔になってシシスはリシナに向かって言った。
「リシナ、今度の戦ではいよいよ竜騎兵どもを試してみようと思う。訓練は十分に出来ているな」
「はい、いつでも実戦投入が可能なところに来ています」
打てば響くようにリシナは応える。さすがに自分のペースを崩さない彼も、シシスの前では緊張するのだ。
「こいつが実戦で効果を挙げられれば”光寧(コーネル)”の魔導使いどもも恐くなくなるんだ。期待しているぞ、リシナ」
「はっ……!!」
と敬礼するリシナ。
「まあ、いい。詳しいことは軍議で話そう。俺は少しエディウスと話す事があるんでな、軍議室で待っていてくれ」
シシスはそう言い放ち、立ち去ろうとする。
と、その背中が何かを思い立ったように振り返り、大きな手がカリュウトの小さな頭を叩く。
「その髪型似合ってるぞ」
そう言って、シシスは国王らしくない大股の早い足取りで去っていった。
「あ……」
残されたカリュウトの表情を見て、リューダスとリシナはいつも同じ感慨を浮かべなければならなかった。
(かなわないな、あの方には……)
それは決してあきらめの混じったものではなく、幸福を覚えるくらいに立派な超克の対象を持った青年たちの、「いつか越えてやる」という前向きな姿勢を持った感慨であった。
そして、その二人が見ている一人の”少女”は何を思うのだろう。
ただ一つ、確かな事は彼女は今日宿舎に戻ったあと、また彼女を慕う娘に礼を言い、これからも同じ髪型を結う事を依頼することであろうという事であった。

それは月命暦215年も過ぎ越そうという冬の話である。
まだ、誰もこれからの運命を思わずにいられた幸せな最後の冬の、小さな小さな出来事であった。
その三つに編まれた髪に意味を込めずにいられた頃の……。

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