25年ぐらい前の小説 OVER LOAD

30年ぐらい前から小説家になりたかったし、ログインに入ったときは、それを踏み台にして作家デビューするつもりだった。

当時友人であった青山という、やはり作家志望の人間とシェアード・ワールドのような作品を作ろうとして一時期暴走しまくっていた。

今読み返すと、三人称ではあるものの、自意識の出方が青臭くて、なんともいえない、なろうデビューをしようとしている若い子たちによく似た感じであった。

今も昔も小説家志望の若者はこういう感じの自意識過剰な小説を書いてしまうんだよな、と思った。

そしてライターになって思ったのだが、俺は小説の才能が一番なかったのだよなぁ・・・。

OVER LOAD

すでに夜が更けてからだいぶ経っている、いや、それどころか、すでに日付さえも変わっているような時刻である。闇に限りなく近い場所で、ひとつの戦い───というよりは虐殺が繰り広げられていた。
東京のとある港湾倉庫地帯。この辺りには東京都湾岸区東京港第6管区という実用本位の名称が与えられている。その機能もまた港という言葉が名前以上のニュアンスを持たない、ごく実用本位の港である。ここは東京の巨大な消費都市としての性格を支える物資を集積する役目の一端を担っている港湾倉庫地帯だ。海から来た食料、工業機材、石油など脈絡のかけらもない雑多な物資は、ここから東京を始めとして京葉工業地帯や関東一円へと運び出されていく。
湾岸の倉庫が立ち並ぶ、夜の港湾地帯ほど人を殺めるのに都合のいい場所はなかった。誰も来ないし、死体はすぐに海の中へだ。たとえ港湾関係者たちが死体を引き上げたとしても、たいていの場合警察がかかわって、仕事にならなくなるのをうっとおしがり、そのまま改めて捨ててしまうくらいである。
だが、逃げる側にとってその事実は、恐怖以外の何者でもない。それは認識と事実であった。
「くそっ……」
全身に無数の傷をつけながら筧は、自分が殺してきた者たちもこのような気分を味わってきたのだろうか、と考えていた。
確か自分は”特別”な人間の筈であった。力に目覚めてから、人からは恐れられるようになり、日常というものはなくなった。しかし、開き直って日常を回復するつもりにならなければ、思いのままにならなかった事はなかったし、人に恐れられる事はむしろ快感に変わった。
だが、どうだろう今の自分の有様は。
目の前にいるのは、自分の力に脅える事もなく、力も通用する事もない同種の人間であった。筧は、逆に何が起きたのかわからぬまま自由を奪われた。
3年前に覚醒した能力者、筧清司。年齢は今年で25になる。彼のために行方不明のまま、二度と帰る事が適わなくなった人間は、当局の調べでは男女合わせて31名とされている。まるで戦争にでも行ってきたかのようなこの数字は、まぎれもなく日本の首都で稼いできたものだ。
右腕は筋肉ごと骨まで砕かれ、辛うじて皮膚が袋の様な役目をして失うことだけは避けられている。利き腕の痛みは、痛みを通り越えて意識を遠退かせる。だが、ここで気を失えば、より確実な死が待っているだけ、だ。
「やりすぎだよ、お前。これだけ派手に暴れられちゃ、な」
筧にとっての確実な死は、そう言ってまるでその事を愉しんでいるかのように、ゆっくりと近付いてきていた。月灯りは申し訳程度の照明にしかならない。だが、彼は目の前の男が浮かべている、辛辣な薄笑いを容易に想像する事が出来た。なぜなら、それは昨日まで自分が浮かべていた笑いであったからだ。
今日も一人よさそうな獲物を見つけて、殺人、その他の愉しみには都合のいい、ここに追い込んだつもりでいた。だが、それはごく初歩的なおとりに過ぎなかったのだろうか? いきなり立場は逆転した。襲おうとした女に気を取られているうちに、”奴”は出現し、筧の腕を砕いた。
そう、ターンは変わったのだ。
今度は彼が追い詰められ、なんとか死を逸そうとあがく側となる番だった。
「くっ!!」
遠退く意識をなんとか集中させ、なんとかその影に向かい筧は戦い続けようとする。脳の中央に熱い光が閃き、焼けつくような痛みと快感が走る。その光を定めた狙点に投げつける、いつもは一方的に攻撃に使っていたこの力は、今は必死に自衛の為に使われている。本来、ある種の人間に与えられたこの類の力は、このように使われるべきであったのだろう───自分の命や遺伝子を守るために。
次の一瞬、彼が定めた狙点には光の刃が走る。
後に当局によって”霊刃”タイプと分類される、これが筧の力であった。
しかし、そこにはただ空気があるだけだ。その向こうに見える海の夜景色が、ひどく非現実的に彼には見えた。
「無駄だよ」
続いて聞こえた声が、どこから発せられているか彼にはどうしてもわからなかったし、もはやどうでもよくなっていた。
「BYE」
黒い皮手袋に包まれた手刀が、筧の喉に正確に突き入れられ、そのままその手は脊椎を避けて中指と人差指、小指と薬指の二手に分れて貫き、裏側へと突き出された。
男は表情も変えていなかった。
生地と仕立ての重厚さで───同じ服を何年も着続ける貧乏性をダンディズムと言い張るまでに歴史を変え、世界を支配した───英国製とすぐ分かる、漆黒のチェスターフィールドコート。その袖が汚れるのを気にするように男は、血を吹き出す前に軽々と筧の即死体を片手のまま海側に傾け、そのまま素早く手を引き抜いた。
手が引き抜かれた途端、せめてもの反撃とでも言うように盛大に血が噴出するが、バランスを失った主人の体とともに空しく海の中へと落ちていく。黒いコート姿の男はその様子を見つめ、血で汚れた手袋を海へ脱ぎ捨てた。なんの躊躇いもない動作である。
大きな水音が静寂を貫く。たぶん、一連の騒動の中で一番大きな音がこれであったろう。
彼は脱ぎ捨てた手袋の中にあった左手を、そっと自分の鼻に近付いて匂いを嗅いだ。特に皮の匂い以上のものはなかったが、いつもなにか別な匂いがこびり付くような気がしてならなかった。
身長は日本人の平均を大分越えている。無駄な肉は付いておらず、漆黒のコートとダークグレーのスリーピースがよく映える体つきをしていた。夜だというのに掛けている黒のサングラスで隠した容貌も、日本人離れして彫りが深く、まず端正と言える事も出来る顔をしている。だが、どことなく真剣さと緊張感を置き忘れたような表情が常にあり、見る者に彼を美男の範疇に入れるの躊躇わせる。
彼の名前は高見沢良平、とだけここでは書いておく。
「……」
彼はそのまま血の色がまだ漂う海面を無言見つめ、やがてひとつ舌打ちをした。結局忘れるのだが、いつも思う。こんなとき、箱入りの線香でも持ってりゃ便利だろうな、と。もっとも、思うだけでそんな事するつもりなどかけらもないのだが。
代わりという訳ではないだろうが、彼はコートの内ポケットから煙草の箱を取り出して、その内の一本を口に咥えた。彼が取り出した青い箱には綴り文字の英語で『ハイライト』と書いてあったが、どうもわざわざその銘柄を選ぶ趣味の出所はちょっとわからない。
火をつけ一気に煙を灰に吸い込むと、そのバタ臭い顔を全面に崩し、煙を吐き出した。
夜の海というのはその姿さえ定かでないのに、水の音だけは妙に明確で、ひとの不安を煽るような気がする。一帯に港湾倉庫が広がるこの辺りでは、この時間になっても時差ボケを隠しきれない大小の船が出入りし、時々汽笛の音がした。見れば、到底景観としては成立しようのない、小さな灯台も活発に活動している。
彼はあまり深く吸込まずに煙草を喫む。ニコチンに依存しなくても、暗がりにともる小さな火をあしらっているだけで、高ぶった精神が落ち着いた。なにより、煙草のヤニ臭さが彼は嫌いであった。
「ふん……」
何か考え深げな表情を一瞬だけ浮かべた後、彼はまだ半分も吸っていない煙草を、海に指で弾いて捨てた。
油臭い潮の香が風に乗って、吹き抜ける。季節は秋と呼んでもらいたい筈の季節であったが、すでに襟元から入り込もうとする風は次の季節の為に用意されたように冷たかった。さっき手袋を脱ぎ捨てた右手はコートのポケットから出たがらない。
(冷えるな……)
その寒さに、まだ残った仕事がある事を思い出した彼は、肩を竦めて港の岸辺から離れた。

場所は覚えていた筈だったのだが、ただでさえ暗い深夜の港湾地帯、そのしかも倉庫と倉庫の間という場所で倒れた人影を探すというのは、なかなかに骨が折れる作業であった。普通の人間よりは遥かに夜目が利くつもりであったが、それだって限度があるというものだ。
(あった……)
高泉沢は暗闇に倒れる人間の姿を見つけて、思わず小さくつぶやいた。広げられたダンボールに安置されるように、その女は倒れていた。近付いて見れば、紺のブレザーとチェックのスカートという制服の所々は破られ、辛うじて片方の靴が足に絡み付いているといった、哀れな姿だ。
(危機一髪ってとこだったな。とはいえ、それまで見てた俺も俺だが……)
彼はためらいもせず、手袋を填めた左手で彼女を抱き起こした。
「ほら、もう起きな」
軽く彼女の頬を叩きながら言った。素手に触れる柔らかい頬の感触が心地好かった。男の喉首より余程。
「ん……?」
「それとも起きるのにキスでも必要か?」
冗談とも本気ともつかない表情で、彼はうっすら目を開けた彼女に言う。神経が高ぶっていると、こんな馬鹿みたいな台詞が出てきてしまうのは、自分でも悪いクセだと思う。高泉沢と彼女は知り合いでもなんでもないのだ。というよりは、知り合いでもなんでもないのだが、妙な台詞を恥かしげもなく試せるという面も確かにあるのだが。
ようするに、さっきまで奴に追われて危うく”32人目”にされる所であった少女だ。近くで見ると、なかなかに可愛らしい娘だった。特に乱された長いストレートの髪が痛々しい程に綺麗だ。
「え……?」
始め目の前の暗がりに男の顔を見つけたとき、気絶する前の”続き”かと思った。その認識が意識と一緒に中断されていた恐怖を彼女に呼び戻してしまった。
「きゃ……、きゃあああああああ!!」
女性に悲鳴を上げさせて喜ぶ様な嗜好を持ち合せていない彼にとって、その声は非常に心外であった。だが、その心理は手に取るように判りやすく理解できたので、悲鳴を上げさせるままにしておいた。が、しっかり抱き抱えた彼の左腕は、もがく彼女を離さなかった。こんな暗がりで恐慌状態の彼女を離したら、また危険に遭遇する───最低でも転んで怪我するぐらいはするだろう───かわからない、などの理由があるにはあった。が、ただ単にこの綺麗な娘を抱きしめておきたいだけととってもらっても一向に構わない。そんなつもりも事実あるのだから。
何度か彼女の拳が自分の顔に当たったが、男の顔なんぞ減るもんじゃないと考えている高見沢は、殴られるままにしておいた。
そして、しばらく彼女もがき疲れ、ひとまず勢いが一段落ところで、高見沢は彼女の涙目に向かって言った。
「落ち着いたか?」
ぶっきらぼうなほうが、かえってこういう場合は効果を発揮するということを十分に知っていて出された口調だった。
「う……、え、あの」
一向に自分に危害を加えるそぶりが見えないのが、いったいどういう事なのか理解できていない様子であった。
「いいか? 俺は、あんたを、襲った、奴、では、ない」
一語ずつ、ゆっくりと噛んで含めるように。高泉沢はこれ以上はないという真面目くさった顔で解説する。彫りの深い高泉沢の顔がそういう表情を見せると、幾分気圧されるものがあり、彼女は体全体を竦ませる。
「とりあえず、それだけをわかってくれれば結構だ。O.K?」
と、今度は一転して顔を緩め、彼女の緊張を解いてやる。
コクリと彼女は頷き、疲れたのか彼に体重を預けるように体全体の力を抜いた。
「ちょっと待て」
そのまま、彼は器用に彼女を支えながら自分のコートを脱いで彼女を包んでやった。
「あ、ありがとう」
「……」
実を言えば礼を言われる筋合もない。彼は彼女の事を筧をおびきよせるおとりに使ったのだから。
筧が彼女に目を付けて、人気のないこのあたりに追い詰めるまで彼は───そのほうが、彼にとっても都合よかったので───傍観していたのだ。その間に破られた服や、付けられた多少の怪我の半分くらいは自分の責任だという事を彼は理解している。とはいえ、髪の長い少女が襲われるのを、最後まで黙って見ていてられるほど、非情に徹する事もまた出来なかったのだが。
そんな事情を正直に言うほど、彼は清らかに生きているわけではないし、生きたいとも思っていなかった。
「あの、暖かいです」
かけられたコートに感じた体温に素直な感想と、何か言わなくちゃだめかな、という義務感で出てしまった。変な事言っちゃったかな、と彼女は戸惑う。なんと言っていいのか、こういった異常なシチュエーションで───おそらく助けてくれた人なんだろう───彼との距離感が、まだ掴めずどんな態度をとっていいのかがわからない。
「いい答えだ」
高見沢は彼女を安心させるように、目を細めて笑った。
自分の妙な台詞が受け入れられた事がわかると、何故かくすり、と自然に笑いが出た。
二人で笑うと。少し距離感が掴めるようになった気がした、そんな彼女の変化を感じ取り、高泉沢は聞いた。
「取り敢えず、名前だけは聞いておこうか」
「あ、三田村、悠乃です」
今まで口を開くのも怖かったほど、心が硬直していたのが嘘だったかのように、すらすらと答えられていた。
「寒くはないか?」
「はい」
「まだ少し息が強ばっている。もっと意識して、深く呼吸して、息を整えたほうがいい」
言われてみると、確かに不規則で浅い呼吸をしていた。なおかつ、まだ緊張が残っているのか、胸の辺りが締めつけられるようで、深い呼吸がしにくい。
彼女に注意したあと、高見沢は静かに周囲に気を配りながら彼女を支えたままの姿勢でいた。
そんな彼の様子を見るともなしに見ていると、ああこの人に守られているのだ、という安心感が彼女を包んでいった。
かなり長い事、黙ったままでいる。いつも、友達とかに会っている時とか、こんなに沈黙が続くと間が持たなくて不安になってくるけど、何故だかそんな気が全然しない。
それどころか、自分の存在そのものが包み込まれているようで、さっきまでの事もなにもかも忘れるように安心できた。
(なんか、不思議な気分)
男の子に抱かれるってこんな気分なのかな、などと不謹慎な事まで考えてしまい、一人赤面する。暗がりなのが、幸いだった。
「よし、落ち着いてきたな。どうだ、立てるか?」
彼女の息が整ってくると、高見沢はそういって彼女を促してみた。(たぶん、もう大丈夫だと思うのだが)
仕事柄、しばしばこういう場面に遭遇するが、こんな時に体と精神のバランスが狂った状態で、立って歩かせようとしたりすると、俗に言う”腰が抜けた”状態になってしまう事が多い。それを避けての自分なりの処置だったが、どうだろう?
「あ、はい。もう大丈夫です」
高見沢は特に意識させるでもなく、手や肩で彼女が立ち上がるのを補助する。そして、彼女がちゃんと立てた事だけ確認すると、
「すまないが、少し我慢しててくれ」
と言って彼は無造作に彼女を抱き上げた。
「え……?」
「こんな所、暗がりに歩いたら転んで怪我する」
ガラスや鉄の破片、油の浮いた水溜まり、それらのせいで高見沢の靴もけっこう汚されていた。
「あ、あの」
彼のコートと腕に包まれながら、悠乃は高見沢に話し掛けた。高見沢の耳には、それが心配そうな口調に聞こえた。
「大丈夫だ、ちゃんと家まで送り届けてやるから。送り狼なんて真似はしない」
「そう、じゃないです。名前とか、聞いていいですか?」
「ああ、それか。聞かないほうがいいな」
いろいろと不都合の多い人間だよな俺も、と考えながら彼は答える。
「じゃ、あの」
「なんだ?」
そう、聞き返すと彼女は黙ってしばらく答えなかった。
「……?」
高見沢は不審に思いつつも、そんなそぶりはおくびに出さずに彼女を運び続ける。やがて倉庫の密集地から外れて、港へと出た。潮騒と言うにはみじめな凪いだ東京湾内の水音と、潮風と言うには別な匂いが混じりすぎている海の香。夜のもっとも深い時間だというのに、東京湾の向こうに見える街並みは明るく、スモッグかなにかに反射しているのか、夜空をも染め上げていた。
もう足下も、大丈夫だろうと彼はその腕から彼女を下ろした。
「重かったですか?」
太っているつもりはないけど、背がほかの女の子たちより大分高い事が、大きな劣等感になっている彼女は思わず聞いてしまう。
「抱き上げるには調度いいくらいだ。危うく家にテイクアウトしたくなったくらいにな」
そう応じた高見沢の表情がかなり大真面目だったので、悠乃は思わず吹き出してしまった。
灯りの中で始めて間近に見た悠乃は、やはり彼の人生の中でもかなり上等の部類に入る事は間違いないようだった。截れ長の目に、長い睫、小さくまとまった鼻梁と淡い紅の唇、年は中学生か高校生ぐらいだが、可愛いより美人型に分類されるだろう。
(ちっ……、口惜しいくらいに俺の好みじゃないか)
始め、彼自身が彼女を見つめるのに忙しく、彼女が自分の目をじって見ている事に気が付かなかった。彼はその事に気づいて、いったいどうしたのだろうと、内心あわてて視線を彼女の瞳に戻した。
「また、逢えますよね?」
彼はそれには答えず、彼女の唇に自分のそれを重ねた。
「え……」
(まあ、これぐらいは貰ってもいいだろう)
どうせ、二度と逢う事もないだろうし、と、この男は悠乃が自分に少し心を傾けたのを見切って、このような事を考えていた。
「俺に逢うような目には、遭わない方がいい」
低い声でこんな台詞を吐く。まずまず、自分では及第点の台詞選択だとは思っているし、実際に二度逢えないほうが彼女の身の為ある事も確かであった。今どき、こんな言葉が出る立場も珍しいと思うが……棲む世界が違う。
とはいえ内心、未練はたらたらだ。せっかく、好みピタリの容姿に出会ったというのに、いきなりリストから抹消しなければならないのだ。ここで、内心まで割り切れるほど、まだ年を喰っちゃいなかった。
唇が離れて発せられた高見沢の台詞を理解したのか、していないのか、悠乃は呆然と彼の事を見つめていた。少し、涙が浮かんで瞳が霞むように見えた。
彼はその理由は詮索しようとせず彼女の肩を抱き、歩き始める事をうながした。
「さあ、向こうに車が用意してある。早く帰ったほうがいい。日常の中へ、な」

まるでいわゆる人間とは種族が違うかのような、異様な能力を持った者たちが人間の遺伝子の中に生まれるようになったのは、いったいいつごろからだったのだろう。
ある者は手を触れずに物を動かし、ある者は異世界より異形の者を呼ぶ。常人には到底可能とは思えない身体能力を持つ者もいれば、人間の代謝機能を活性化させて怪我などを治療する者もいる。まだまだ、世界は普通の人間たちが考えているより広い。そういう者たちは、人が文字で歴史を刻むようになるより以前にすでに存在していた。
いたずらに歴史だけは重ねている日本には、そういった者たちを監視する組織が古くから成立している。”護家”や”従家”と呼ばれる存在がそれである。彼らは日本が歴史を刻むようになってよりずっと、ある時はとかく迫害されがちな能力者たちを保護し、またある時は暴走する能力者たちを取り締まり、その存在が表に現われないようにしてきた組織である。
そして、この夜もまた「連続通り魔」として、都内を騒がせてきた犯罪者筧清司が従家”高見沢”の当主によって抹殺された。
おそらく、この事件は報道される事もないまま、いつしか人々の記憶の中から消え去っていくに違いない。考えてみると、そのようにうやむやにされてきた事件は意外に多い筈だ。その全てとは言わない、ごく一部はこのようにして処理されていくのだ。少なくとも、都民はもう二度と筧の影に脅える事はない筈だ。政府と警察、そして護家と従家が産み出した馴れ合いの構図だが、このようにして日本の治安のある一面は守られているのであった。
その事を知らぬまま、また再びの朝は明けていく。
それが平和というものであった。

第1話

「いったい、どーいうつもりだっ、あれはっ!!」
それは……、馬鹿げたシチュエーションというべきであった。学生服姿の高校生が、国防軍将校を怒鳴りつけているのだ。
場所の名前は市ヶ谷にある国防軍基地、部屋の名前は国防省統合幕僚本部情報局局長室という。だいたい、学生服の存在が許されるゆうな場所ではないし、ましてや明かに高級将校と見える人物を怒鳴りつけているなど、ありえていい光景ではなかった。
にもかかわらず怒鳴りつけられている将校は、悪びれもせずそれどころか、いかにも性格の悪さがにじみ出ている薄笑いすら浮かべながら、彼の怒り顔を見物していた。
良平はこいつのこういう表情が苦手だった。ただ、黙って見られているだけというのに、何やら手玉に取られていると思えてくるのだ。
最初から説明しよう。
怒鳴りつけている学生服姿の高校生、彼の名前は高見沢良平という。昨晩、東京港でひと騒動を起こした男と同じ男だ。年は17歳、湾内1区の私立高校立英学院の2年生であり、同時に従家は高見沢家の当主という顔を持つ少年だ。
そして、怒鳴られている男の名前は宗像修一郎、国防省統合幕僚本部情報局局長という肩書きを持つ37歳だ。貧相な頬と表情を殺し尽くした果てに生まれるような目つき、軍人という職業が似合わな過ぎる貧弱な身体つき、年に似合わぬ大佐という高い階級を持っている事からも分かるように、完璧な参謀畑のキャリアを歩んできた男だ。その役職からも分かるように情報戦略に特異な才能を発揮し、軍部ばかりでなく日本政府の中枢と直結しているらしい、ようするにただの軍人ではない。だいたい、普通の軍人は官房機密費を我が物顔で使って良平のような人間を雇ったりはしないものだ。
ひととおり良平の剣幕が治まると、宗像は自分のデスクに頬杖をついておも ろに口を開いた。
「夕べの仕事の報酬……といったら怒るか?」
「怒る怒らねぇの問題じゃないな。絶対、”なわけない”んだからよ」
偉そうに腕組をして良平は断言した。
「まあな」
宗像は真面目くさった顔でそれに同意する。
「だいたい、依頼された仕事は夕べ片付けた筈だ。この上、また面倒を押し付けてくる気なら、今回は降ろさせてもらうぞ」
「さあ、どうかな……?」
と、宗像は不敵な笑みを浮かべるが、この男が浮かべる”不敵な笑い”はただただ不気味なだけであった。

それは……筧の始末を終えた次の日の午前7時の出来事だった。
良平はその朝、バカのように眠りこけていた。
湾内2区にある自宅に帰れたのは午前3時になってからで、通常の睡眠時間が10時間近いこの男にとってみれば、寝不足もいいところだ。今日は午後になるまで起きないつもりでいる。当然だが、学校はサボるつもりだ。
「……眠い……」
寝言ですら、自分の睡眠欲を主張している。ここ1週間ばかりは、筧の捜査で睡眠時間の削られる日が続いていた。

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