同人誌『戦争は艦娘の顔をしていない』に投稿させていただいた短編です。
極初期の、艦娘考察的な作品でありました。
ある『あなた』の艦隊これくしょん
その建造物一帯の胸の悪くなるような臭いの空気は、この中で行なわれている事を知っているがための幻臭だろうか?
海辺のその建造物を見るたびに私は爽やかな潮風を感じながらも、吐き気のするような幻臭に悩まされる。
そして、そのような事をおくびにも出さずに『任務』を遂行するのが、いつもの習慣になっていた。
―――横須賀鎮守府、その一帯はそう名付けられている。
「今となっては、調達も秘匿も難しい中。貴官はよく働いてくれる」
鎮守府司令長官を名乗るその人物について、私はくわしく詮索をすることを控えている。
どうせ調べた所で、空白の個人履歴と欺瞞と悪意に満ち溢れた『功績』に満ち満ちているだけだろうから。
「大井長官、自決の後はこれが自分の役割となっておりますから」
司令官に渡した書類に書かれているのは、横須賀鎮守府に定期的に補給されている物資の数々の明細。原油、ボーキサイト、鋼材、糧食などなど。
だが、それらには大した意味はない。そこまでなら、わざわざ私が出張るまでもなく、主計官ならばだれでもできる仕事であるからだ。
意味が存在するのは、その書類の後ろに束ねられた「秘」と印を押された目録である。
少女の写真と身体検査の詳細、履歴などがその目録には並ぶ。
「こればかりは、いかな『大本営発表』と言えども、誤魔化しきれるものではないからなあ」
冗談のつもりだろうか?
鎮守府司令は、ニヤニヤと嫌な笑いを浮かべながら目録を驚くべき早さで把握していく。
「いつものように、彼女たちには少女挺身隊として『横須賀の工場で働く』と伝えてあります。くれぐれもお間違えなきよう、お願い致します」
「わかっておるよ。いかに私が外道といえども、最後まで彼女たちにパンドラの希望だけをみせてやることぐらいはしてやれる。もっとも、それだけが能で、この仕事をやっているのだがね」
「パンドラの希望、ですか」
「そんなものにすがって生きているのは、何も彼女たちばかりではないということだよ。我々もまたその世界の中に存在しているのだ……」
★
真珠湾に於ける大捷に始まった大東亜戦争の我々海軍の戦いであったが、元来が勝利など望み難い戦いであったことは、心あるものならだれでも考えていたことであろう。
かすかな望みとしての米英に対して講話のテーブルにつかせるがための一向に決定的な打撃を与えることさえできぬまま、ミッドウェイ海戦において主力空母四隻を失い、また米英の通商破壊により南方に散らばった戦線を維持する事も困難になっていくに至り、いかに我々が恐るべき敵と干戈を交えてしまったのかを改めて思い知らされることとなっていた。
先に冗談に出た『大本営発表』こそ、帝国軍の快進撃を報じていたが陸海両軍ともに憂愁の面持ちがすでに濃くなっていたのは言うまでもない。
―――彼女たち
と我々が特別な意味を込めて語る存在が現れたのはちょうどその頃であった。
彼女たちは海を鉄と血の臭いで染め上げる者たちすべてを憎悪していたかのようであった。
『深海棲艦』
そう名付けられた敵性存在は、我軍も米英の区別もなく攻撃を行ない、極めて強力な火力をもって、双方に多大な被害を与えていった。なによりも彼女たちの存在が厄介であったのは、深海棲艦に対しては我軍、米英の双方の通常兵器が全く通用しないという点にあった。
こうして突如として現れた―――彼女たち『深海棲艦』によって太平洋の勢力図は一変する。
皮肉にもこの深海棲艦の被害により多くの打撃を受けたのが、優勢であったがために太平洋に広く展開していた米英の艦船であり、その甚大なる被害に比べれば我軍は比較的に過ぎないが、「米英に通商破壊をされ続けるよりは軽微」な状況となっていったのである。
このような状況下において、第21特別根拠地隊参謀としてかねてより海上護衛の重要性を主張し続けていた大井篤大佐の提案したのは、「深海棲艦の生態を調査することによって、いかに帝国海軍による海上護衛の被害を減らし、なおかつ米英の通商破壊を最小限に抑えるか」という、至極真っ当なものであった。
そして、その深海棲艦の棲息地や目的、習性などを探るために、深海棲艦を拿捕する事がきめられたのである。
そのために投入された艦艇と犠牲となった人員と艦艇については、外部に秘匿され「第三戦隊事件」という海難事故としてまとめられている。
ともあれ、多大な犠牲を払って拿捕された我軍では「駆逐イ級」と呼称されている最も小型の深海棲艦であった。「彼女」はただちに九州帝国大学に送られ、解剖が行われた。
佐世保病院長石黒芳雄軍医を中心とした医師チームは駆逐イ級の解剖を行なうことによって、大きな成果と引き返せない地獄へと踏み込むことになった。
深海棲艦の心臓部ともいうべき役割を担っている―――仮に『深海棲核』と名付けられたそれは極めて人間の女性の子宮に似た構造をしているという発見をしてしまったのである。
この事実にあたって執刀を行なった松本暢軍医は提案する。
―――人間の女性の子宮と似ているのであるならば、人間の女性に『深海棲核』を移植することによって、どのような効果が現れるかを確かめたい。
すでに完全な秘匿状態にあった実験である。
そういった場におけるこのような狂気の提案は一にも二にも受け入れられるものであった。
すぐに調達された「被験者」の名前や国籍などは、私といえども知るよしもない。
実験は大成功終わったというべきであったろう。
子宮に『深海棲核』を移植されたその娘は、ほぼ駆逐イ級と同じ深海棲艦として復活したのであるから。
★
「はじめて『彼女』の姿を見た時はなんと美しい少女がいるものかと思ったものだよ」
目の前にいる彼。
『鎮守府司令長官』と名付けられた、この異形の城の主は初めて私と会った時、問われもしないのに夢見る目つきで語り始めたものだ。
★
ミッドウェイにおいて赤城と運命を共にするかと思われた私は奇跡的にも救出された。だけど、両足と脳に損傷を受けた私は、どこに脳の損傷をうけたかはわからないが、人間たちは臓物を露わにした怪物にしか見えず、人間の作る構造物は気味の悪い肉塊と血管と筋肉がむき出しになった醜い存在にしか見えなくなっていたのだよ。
私は思ったね。
―――コンナ異形ノ存在ハスグニ滅ボスベキダ
とね。
そうして、錯乱状態として精神病院の中に閉じ込められた私の病状を松本博士はカルテの中に見つけたそうだね。
そして、あの美しい少女の写真を見せてくれたのだ。
私は松本博士に詰め寄ったものだ
「誰ですか!? この美しい娘は、逢わせてださい! この穢れに穢れた醜い地上の中で、唯一美しいと呼べる人に逢わせてください! でないと私は気が狂ってしまいそうだ」
もうその時点で「君たちの世界」にとっては私は狂っていたというのにね。
松本博士は―――私にとっては耳障りな音響を発する臓物に過ぎなかったけれど、どうやら私の反応を見て歓喜の表情を浮かべていたらしいね。
「これは運命だ、と」
さっそく私は横須賀の密閉されたドックに係留されている彼女に出会ったよ。
「あんた、私の言葉がわかるの?」
「わかるどころか、キミのような美しい声を聞いたのは初めてだよ」
『彼女』―――そう、キミも知っているように『艦娘計画』一番艦「叢雲」との最初の出会いがそれだった。
私は彼女と多くの言葉を交わした。
どういうわけか―――おそらくは人間の少女を媒介としたためであろう、彼女は他の深海棲艦のように本能として人間たちの構造物に敵意を向けることはなかった。
そして他の深海棲艦に対して帰属意識も持っていないようであった。
ただ、やはり私の見ている光景と同じように、人間たちと人間たちの作る構造物の醜さには閉口しているらしい。
それは私も同様であった。
この醜い人間たちの中で唯一美しい姿を持っている『叢雲』と私は、大日本帝国海軍の秘匿された切り札となった。私はどうも彼女たちに『深海棲艦』という敵側と同じ呼称で呼ぶのは躊躇われたので、『深海棲艦の娘』、略して『艦娘』と呼ぶことを強く主張したよ。
まあ、その程度のことは海軍省としてもお安いご用だったようだ。
かくして私は深海棲艦を利用した米英対応策『艦娘計画』の司令長官となり、石黒芳雄軍医と松本暢軍医は横須賀鎮守府付きの軍医総監となる。
「あんたが司令官ね。ま、せいぜい頑張りなさい」
『叢雲』はそう言って私を祝福してくれたよ。
小さな、もともとあった横須賀鎮守府を、私好みの調度に改装し―――それでもデッサンがくるっているとしか思えない幼稚なものでしかないが、松本、石黒両軍医の尽力によって、私と叢雲のための『船渠(ドック)』が作られたのである。
★
(それがあの気味の悪い触手や血管などが生えたドックなのか……)
私は胸糞悪くなるような赤黒い肉塊や血管などを模した調度の中で、鎮守府司令長官の狂気じみた話を聞かされたものである。
★
私と叢雲はともに出撃し横須賀沖にまで進出していた深海棲艦のイ級との戦いに勝利した。
同じ深海棲艦の出身である『叢雲』のアドバイスによって各種のコンバーター―――彼女は『臓器』と読んでいたがツケられた艦砲は、見事に敵の深海棲艦に通用した。
そして、兵器さえ通用するのであれば、洗練されていない本能によってのみ動いている深海棲艦の動きなど、人間たちが何百年にも渡る叡智によって練り上げてきた海軍戦術の前では敵ではなかった。
私の指揮によって踊るように海を駆ける叢雲は、敵の射程外から一方的に攻撃を与え続け無傷で勝利し、敵の深海棲艦を拿捕することに成功する。
「ま、当然の結果よねぇ……何?不満なの?」
「不満はないさ……いや、あるかな。こんなものは始まりにすぎない。なにもかも不満だらけだよ、叢雲。私たちはもっと大きな戦いができるはずだよ!」
無邪気にも私は言ったものだよ。
それはそうだろう。
あえて『深海棲核』を傷つけないようにして拿捕した深海棲艦からは、あらたな『深海棲核』―――今では輸送や秘匿の都合上、ただ単に『開発資材』と呼んでいるけどね―――が採取できるのだから。そして、それを用意されている少女たちに移植すれば、新たな『艦娘』ができる。
そうすれば私の、そう私だけの『連合艦隊』を形成するのも無理ではないだろうとか、その当時からすでに考えていたからね……。
★
「そして、司令長官閣下の言うとおりになったというわけです」
私は皮肉を込めて『あなた』に言う。
今や『艦娘計画』はその肉塊の巨城の中で成長を続けている。
最近では、中には核を取り出すまでもなく降伏し、『艦娘』となり彼の『連合艦隊』に加わる深海棲艦も少なく無いという。我々から見れば戦艦ル級や空母ヲ級といった巨大な深海棲艦たちに、『陸奥』や『赤城』といった彼の思うがままかつての帝国海軍艦艇の損失艦艇の名をつけていき、その戦力はすでに形骸化しつつある帝国海軍を上回るものとなっている。
そして対応策を持っていない米英―――当然だろう、深海棲艦の核を人間の少女に埋め込むような狂気が許されるとは思われないし、なによりも『あなた』のような深海棲艦を指揮するのに適合している人間など、奇跡でもない限り現れるわけがないからだ。
だが、あくまでも。
そうあくまでも彼はこの肉塊の居城からは出ようとはしない。
深海棲艦や米英を太平洋やインド洋から駆逐しつつある大英雄であるにもかかわらず、彼は人間社会での権力を求めなかった。
それもそうだろう、『あなた』にとって人間たちは醜い肉塊にすぎないし、人間社会は怪物と気持ち悪い構造物が存在するだけの煉獄であるのだから……。
そのことが帝国海軍もひいては大本営を安心させているらしい。
この横須賀鎮守府にいる限り彼は求める物資や調達すべき原材料に不自由することはない。
いや、実際に艦娘の建造や維持に必要となる原油やボーキサイトや鋼材は不足することはあるが……。
ともあれ、『あなた』はあくまでも、この異形の巨大な城の絶対権力者として振る舞い続けるのだろう。
そして深海棲艦、いや『あなた』が言うには『美しい艦娘』たちと戯れながら、箱庭の楽園の中で、彼だけの無敵の『連合艦隊』を率いて七つの海を制覇していくのだろう。
もちろん米英は強大であり、通常兵器が通用しない深海棲艦に対する最終兵器としての新型爆弾も総力を結集して開発にとりかかっているらしい。
深海棲艦と新型爆弾の応酬はさぞかし七つの海と人間世界を地獄に叩き落とすことになるだろうが、そんな地獄絵図こそが『あなたの望む世界』であり『美しい星』であるのは間違いないのだから。
★
そして『あなた』は、いつしかこんなことを囁いてくださいましたね。
「キミもゆくゆくは出世街道に乗ることは間違いないだろうし、いつかは総理大臣だって夢ではないと思うね。なあ、主計局中佐中曽根康弘くん」
おそらく、その戯言は将来的に実現することでしょう。
すでに大東亜戦争は、あなたの謂う『艦娘の顔をした戦争』となっているのですから