地方の電気屋やパソコンショップ

1980年代のパソコンゲームの話をすると必ず言われるのは、「でも、数十万円もした当時のパソコンを持っている人って一部なんでしょう?」ということだ。

まあ、案外当時は景気が良かったのとローンが組みやすかったのもあって、教育目的や将来性を感じて(昭和の頃は100万円もするピアノを買ったり十数万円の百科事典を揃えている中流家庭が多かった)、パソコンを買っている中流家庭が多かったというのもあるが(うちがそうだった、ピアノもあった)、それは置こう。

実は1980年代は、そこらじゅうに町の電気屋があってパソコンが置いてあったり、「パソコンショップ」というものが驚くほど地方にあったのだ。

意外かもしれないが、「オフィスオートメーション化」や「OA化」という波は都会ばかりでなく、田舎の中小企業でも危機感として受け止められてきたのである。

そうした地方の企業の需要もあって、わりと地方の電気屋にもパソコンが置いてあったし、地方の街にも案外「パソコンショップ」があった。水戸にも一軒や二軒でなく、わりと少し流行っている通りにパソコンショップがあったりしたのだ。

そんなパソコンショップには、かなりの確率で、「パソコン少年たち」がたむろしていたのである。

ぶっちゃけた話、まだ著作権意識が希薄だった頃なので、コピーやレンタルされたゲームを、そういったパソコンショップで起動して遊んでいた高校生とか割と見かけたし、そのパソコンゲームの周囲には、目を輝かせた小中学生が何時間もゲームをただ見ていたのである。

私もその一人だ。

下市(水戸の今は完全に寂れた旧繁華街)のカトーデンキ(今のケーズデンキの前身)に置いてあったPC-9801には、毎週半休の土曜や休日日曜になると、パソコンを使える高校生がやってきて、『ファンタジアン』や『夢幻の心臓』といったパソコンゲーム(ほぼ間違いなくコピー品)を遊んでいた。

私は毎週数時間ずーっとその後ろでゲームを眺めていた。

極稀に少しだけ触らせてもらえることもあった。

こうした経験は、私と同じかそれより上の世代には、かなり多く持っていた体験だったと思う。

そんな流れで私もログインやBEEPを読むようになっていったし、パソコンは持っていないけど、パソコンゲーム雑誌は買っていたという人は驚くほど多い。

そんぐらい、1980年代のパソコンゲームは輝いていたし、当時の少年たちの憧れのアイテムであったのだ。

ゲームセンターや家だけでなく、そういった電気屋やパソコンショップなどで育ったゲーム少年は、意外なほどいたし、都会だけでなく地方にも存在していたのだ。

そして、そういったパソコン少年たちの中からクリエイターやゲームライターやゲーマーたちが育っていたのだ。

確かにパソコンを持っていたのは一部の人かもしれないが、まだ著作権意識やパソコンの所有意識が希薄でおおらかだった時代。

実数以上にパソコンゲームは遊ばれていたし(もちろん今から身れば唾棄すべきコピー文化だ)、そうした層が先駆者として、後のコンシューマーゲーム市場を築いていったのだ。

実はパソコンゲームについては、今のように「何本売れた」や「何台普及していたか?」という議論は、こうした背景を抜きにして考えて置かないとと片手落ちになりがちである。

事実として「パソコンゲームの場合正規品の数倍のプレイヤーがいた」と考えた方がいい。

もちろん、それは間違っているし、今の著作権意識からは許されることではない。

だが、それで育っていった「パソコン少年」たちによって、黎明期のゲーム市場の一端が支えられていたのも事実なんである。

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