幕末 ぼくたちの好きな新選組 第十八章 そして伝説へ~その後の生き残り隊士たちと新選組伝説~

第十八章

そして伝説へ~その後の生き残り隊士たちと新選組伝説~

 降伏、その後

1869年、5月18日。

五稜郭において最後の幕府勢力が降伏するとともに、戊辰戦争は終了し、明治の新時代がはじまる。
土方の戦死後、五稜郭の新選組92名は官軍へと降伏したが、降伏後の隊士は弘前城下の薬王寺に移され謹慎処分となった。

函館政府は首謀者の榎本武揚が新政府に登用されたのをはじめとして、寛大な処分がとられている。

新選組の生き残り隊士たちも同様で、いずれの隊士も翌年には釈放されている。

この中の主だった隊士としては、新選組創設当時からの隊士である島田魁や尾関雅二郎、中島登など。
このうち島田魁が釈放後に日記を、中島登は謹慎中に覚書を残しており新選組の消息を伝える貴重な資料となっている。
また会津で土方と分かれた斎藤一は、会津藩と運命を共に斗南に流された末、警察官に志願。

後の西南戦争にも参戦し、多くの薩摩藩士を斬ったという。
途中、近藤たちと袂を分かった者として、江戸で分かれた原田と永倉の靖兵隊がいる。

原田は彰義隊と共に上野で戦死したとされるが、一説には生き残り満州に渡って馬賊になったというとんでもない伝説がある。

永倉新八の功績

そして永倉新八。

彼は各地を転戦して江戸の実家に戻っている。

彼は新政府の追及から逃れるため、旧主である松前藩の伝手で北海道に渡り、旧松前藩藩医杉村松柏の婿養子となり余生を送っている。
彼はなんと大正4年まで生き残り、函館や東京に新選組の慰霊碑を建立している。

また彼は、『浪士文久報国記事』、『同志連名記』など、新選組の消息を伝える数多くの資料を残し、さらに小樽新聞では彼の回想を記者がまとめた『新撰組顛末記』を連載している。

新選組の生き残りとして、その鎮魂と事跡を伝えるのにもっとも貢献した隊士が彼だろう。

彼によって、新選組の名が後世に詳しく残されているのを思えば、現役時代の副長助勤や二番組組長といった幹部としての働きよりも、新選組にとっては明治後のこういった功績のほうが、大きかったりするのかもしれない。

歴史よりも物語の中で

これら後世に生き残り隊士たちが残した資料や幕末に生きた者たちの証言などから、新選組の名は残っていったが、その武名やエピソードやキャラクターを決定的にしたのが、子母澤寛の『新選組始末記』だったろう。

新聞記者であった彼が、生き残った関係者たちや故老たちの話などを取材し、豊富な資料を持って昭和3年より『東京日々新聞』にて連載を始めたこの作品は、新選組の名を人口に膾炙させた小説である。
作者も歴史を書いたつもりはなく、多くの創作を交えた作品だが、その資料性の高さから虚実合わせて、その後の新選組に関する作品の原型ともなった。
この作品を皮切りに、さまざまなメディアで新選組が描かれ、新選組はその虚像も大きくなり、今に至っている。

そして今も、新選組は歴史の中で大きな人気を誇る作品として語られ続け、多くの人々に親しまれている。
幕末史という血なまぐさい時代のもっとも血塗られた面を象徴する彼らは、歴史よりも伝説や物語の中で語られている方が幸せであるのかもしれない……。

永倉新八

18391915

松前藩藩士の出身で、18歳で神道無念流の本目録を修得。

脱藩し近藤の試衛館道場に徒食する。

近藤らとともに浪士組に参加し、新選組結成後は副長助勤、二番組長など、幹部として活躍している。

池田屋の変でも近藤とともに池田屋に乗り込み、戦っている。

試衛館以来の同志として、近藤らとともにあった永倉だが、やはり近藤、土方、沖田、井上といった天然理心流一派とはある程度の隔意があった模様である。

池田屋の変後、増長して同志を部下扱いしようとした近藤勇の処分を願う建白書を、原田斎藤らとともに会津藩に提出している。

これは会津藩に仲裁されて事無きを得た。

だが、建白書に名を連ねていた葛山武八郎が切腹し、後に土方が第一次長州征伐に備えて作った行軍録の編成に永倉や原田の名がない事から、かなり深刻な対立であったようである。

一時期土方に干された永倉であるが、隊務に復帰した後は沖田に次ぐ新選組の実戦部隊の隊長として活躍している。

だが、最後に彼らはまたも対立してしまう。

甲陽鎮撫隊の敗戦後、銃創が悪化した近藤は江戸に帰還するに当たり、永倉と原田に隊士の取りまとめを依頼する。

永倉と原田は辛うじて集まった小数の隊士とともに会津で戦おうと主張するが、近藤は江戸で再度隊士を募集しようと主張する。

このとき近藤が、新選組の行動を永倉や原田が決めようとすることを越権だと罵り、部下として行動するなら許してもよいと失言したため激怒した永倉またも近藤らと袂を分かって永倉と原田は靖共隊を結成。

会津に向かうが、原田は江戸に戻り彰義隊として戦い、永倉は会津藩とともに戦う。

会津の敗戦後、永倉は家に戻り松前藩に帰参し藩医杉村家の養子として北海道の小樽に渡り、明治後も長く生き残っている。

様々な対立などがあったものの、永倉にとって新選組への思いは深かったのであろう。

小樽新聞では、彼のインタビューを元に『新選組顛末記』が書かれ、これが現在も残る新選組のイメージの元ネタとなっている。

他にも彼自身の手記として『浪士文久報国記事』が残されており、さらに新選組の実像に近い貴重な記録となっている。

また函館や東京などに新選組の慰霊碑を建立し、新選組の名を後世に残そうとしている。

ある意味、新選組が後世に「幕末に生きた若者たちの青春」的な見方をされるのも無理はないのかもしれない。

その元ネタとなっている永倉の記録自体が、永倉にとっての青春時代の回顧であったのだから。

天然理心流と永倉新八

現在も流派として天然理心流は残っている。

しかし、近藤勇の代で近藤宗家としての天然理心流は事実上途絶えている。

では天然理心流の技を伝えたのが誰かというと、これが永倉新八なのである。

天然理心流を宗家である近藤勇五郎より継いだのが内藤忠政という人物だが、勇五郎は宗家ではあったが天然理心流の剣を知らなかった。

そこで内藤は永倉新八を訪ね、彼から天然理心流の技の手ほどきを受けたのである。

元々、永倉は神道無念流の使い手であったが、試衛館や新選組では天然理心流も学んでおり、その技を受け継いでいる貴重な生き残りであった。

現在に伝えられている天然理心流の技は、永倉を通じて伝わったものなのである。永倉は新選組の事跡ばかりでなく、その剣をも後世に伝えたのだ。

島田魁

1826~1900

美濃大垣藩出身。

心形刀流の使い手であり、剣術仲間として永倉新八と親交があった。
新選組初期の隊士募集に応募し、伍長となる。

当時は島田甲斐と書いたようだが、文字の読み書きできない者すらいた当時の新選組では、どちらでもよかったのだろう。

山南敬助や吉村貫一郎の名前など、新選組における名前の記録はかなりいい加減であり、それほど厳密に考える必要もない。

新選組の名称にしろ、「新撰組」と「新選組」の両説を主張する者がいるが笑止である。

断言できるが、当時の隊士の中に、こだわりを持っていた者は皆無であったろう。

隊内随一の巨漢であり、鳥羽伏見の戦いでは、伏見奉行所の壁の塀を登れなかった永倉を片腕で引き上げるという、怪力のエピソードが残る。

また新選組が主催した相撲興行にも参加して活躍し、以来「力さん」とも呼ばれたというエピソードも残っている。
池田屋の変から函館戦争に至るまで転戦し、生き残った唯一の隊士である。

新選組の名を背負って最後まで戦った人物である。

函館戦争後、新政府に捕らえられ後に釈放。彼にとって新選組は格別な思いがあったらしく、彼は新政府に仕えることを潔しとしなかった。

釈放後彼は京都に戻る。

後に雑貨屋やレモネード屋などを開くが失敗し、「島田魁撃剣道場」がこれも流行せず困窮したという。

最後に彼は、かつて屯所のあった西本願寺の守衛となり、西本願寺において天寿をまっとうする。
永倉がさまざまな行動で新選組の名を後世に残したように、島田も思い出深い京都、そして西本願寺で生涯を終える。

永倉と島田は、最後まで新選組という歴史の中に生きていた人物であったと言えるだろう。
なお、彼の葬儀の参列者には「杉村兵衛」の名があった。

言うまでもなく、杉村家の婿となって北海道で晩年を過ごした永倉新八の名である。

島田魁日記

島田魁もまた新選組の記録を残しており、彼の『島田魁日記』は数少ない新選組の一次資料として残されている。

永倉が土方と袂を分かった後、函館戦争に至るまでの形跡に関しては、彼の日記を参考にして語られているとみてよい。

子母澤寛

1892-1968

読売新聞、毎日新聞の記者を経て文筆業に。

記者時代の人脈を通じて新選組に関る人物たちを取材。

彼が書き上げた『新選組始末記』三部作は、現在に至るまでの新選組に関するイメージのスタンダードとなっている。

幕末の人斬り集団としか思われなかった新選組に、物語とキャラクター性を与えた人物である。

司馬遼太郎

1923-1996

新日本新聞社、産業経済新聞社を経て文筆業に。

ベストセラー『竜馬がゆく』や『燃えよ剣』などで、戦後皇国史観を失った日本において、人物像や歴史観に多大な影響を与えた。

特に幕末においてその影響は大きく、現在流布されている幕末の史観や人物のイメージは彼の影響下にある。

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